第4話 執事との会話

 このまま一目散に逃げても良かった。

 だが、


「夜の散歩か? でもまだ外は寒いだろう?」


 セイリスがチッチッと舌を鳴らしながら、めっちゃ笑顔で手招きしてきたのだ。


(ど、どういうこと? いつもは笑顔どころか、表情一つ変えないのにっ‼)


 今までの彼の様子を思うと、ありえない光景だった。

 実は別人です、と言われた方が、まだ信じられる。


 レヴィアは警戒感を強めながら執務室の中に入ると、彼の足元をするっと抜けていった。横切っていった黒猫を見て、笑顔だったセイリスが、困ったように唸る。


「警戒してるようだな。尻尾が膨らんでいる」

(猫についてよくご存じで‼)


 猫は尻尾の様子や動きで、機嫌が分かる。どうやらレヴィアの気持ちが、思いっきりしっぽに出てしまったようだ。


 だがそんな猫知識、猫を飼っている者か、猫好きぐらいしかもっていないだろう。少なくとも、目の前の氷壁の侯爵様が知っているとは思えなかった。


 セイリスは机の呼び鈴を鳴らした。

 すると、


「お呼びですか、旦那様」


 やって来たのは、執事のグラソンだ。セイリスと同じ歳だったはず。主と同じくスラっとした長身で、長い茶色の髪を綺麗に一つにまとめている。


 屋敷の管理について、よくグラソンと相談するため、夫よりも関わり合いの多い人物である。華やかな容貌をもつセイリスとは違い、落ち着いた雰囲気を纏った男性だ。


 グラソンの問いかけに、セイリスは一つ頷くと、絨毯をうろうろしているレヴィアを指差した。


「この猫に、ミルクを出してやってくれ。もしあるなら、何か食べ物も」

「承知しました――って、この猫、もしかして奥様の飼い猫では?」


 グラソンの黒い瞳がレヴィアに向けられ、尻尾が驚きで膨らんでしまう。


(そうだったわ。猫になった私が見つかっても追い出されないよう、飼い猫を連れて行きたいとお願いして、了承して貰ったんだったわ! こちらが世話をするから迷惑は掛けないと言って……)


 グラソンにどんな猫を連れていくかは伝えていないが、輿入れの際に黒猫のぬいぐるみを籠に入れていたため、そのときに見たのだろう。


 執事の言葉を聞き、セイリスが瞳を大きく見開いた。


「レヴィア……嬢の飼い猫? 彼女は、猫を連れてきていたのか?」

「はい。とはいえ輿入れ後、一度も猫の姿を見た者がいなかったので、逃げてしまったのかと噂しておったのですが……って、夫婦になったというのに、まだあの方をレヴィアと呼んでいらっしゃるのですか? それに本人の前では、あなたとか言って名前すら呼んでいないようですが」


 クスクスと笑うグラソンに、セイリスは唇を尖らせた。頬を赤く染め、彼から視線を逸らす。


「し、仕方ない……だろ。いざ夫婦になったら、何と呼んでいいのか分からん」

「普通に、呼び捨てされたら良いだけでは? あなた様のような優秀な方が、自分の妻を呼び捨てにできないなど、理解しかねますがね。それに久しぶりに領地に帰って来られたのですから、奥様にお会いになられたらよろしいじゃないですか」

「もう寝てるのだから、起こすのは可哀想だ」

「本当は今すぐにでも奥様の部屋のドアを叩きたいくせに」

「……黙れ、これ以上茶化すとクビにするぞ」

「では、さっさと荷物をまとめてきますね」

「じょっ、冗談に決まってるだろっ‼」

「分かってますよ。はぁ……あなたのどこが【氷壁の侯爵】なんでしょうね? 本当はこんなに素直で恋愛ベタな御方なのに……」

「……さも褒めているような言い方をするな」

「最大級の褒め言葉ですよ? ほら、奥様の飼い猫にこれだけ素を出せるのですから、奥様にも同じように素直になってください。あれだけ求めた方をようやく伴侶にできたのでしょう?」


 そう一方的に言うと、グラソンは笑いながら部屋を出て行った。


「……あいつ!」


 パタンと閉じた扉に向かって、セイリスが吐き捨てる。


 二人のやりとりを妻がすぐ側で、口を半開きにしながら見ていることも知らずに。

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