26_同じベッドで
「ねぇ、ヴェル……ジェームズ殿下ってどんなお方なの?」
「え?殿下?うーん、そうだな……」
屋敷に到着してお風呂と着替えを済ませたアイビスは、ヴェルナーに呼ばれて彼の部屋にやって来ていた。
アイビスが入ってくるなり、ヴェルナーはアイビスを抱き上げてそのままソファに腰掛けた。突然のことに抵抗する間も無くソファに落ち着いてしまったアイビスは、少し遅れて胸を叩いて抵抗を試みた。
「心配かけた罰」と言われれば、素直に身を委ねるしかなく、アイビスは現在、頬を染めながらも遠慮がちにヴェルナーの首に腕を回していた。
そんな体勢で尋ねた問いに、ヴェルナーはうーんと考え込んだ。間近で物思いに耽る表情を見つめるアイビスは、(ヴェルは考え込む表情も絵になるわ)と我が夫の美貌に改めて嘆息していた。
「そうだな、正直腹の内が読めない油断ならないお方、かな。ルーズベルトとは性格も真逆で、穏やかな印象を受けるが、その実、内に秘める激情があるんじゃないかと踏んでいる」
「激情……確かに、なんだか内に猛獣を飼っているようなお方よね」
「ああ、確かにな。基本的には優しい博愛主義者なんだが、締めるところは締めるし頭も切れる。ルーズベルトは昔からジェームズ殿下の支えとなるべく勉学に励んでいたよ。それにも関わらず、未だにルーズベルトを立太子させようとする勢力があるものだから困るよな」
ため息と共に飛び出した不穏な話題に、アイビスは驚いてヴェルナーを見上げる。
「え、そうなの?ご本人にその意思がないのに?」
「ああ、王家というのはそういうものなんだ。いくら平和な国だとしても、陰謀が複雑に絡み合うのは必然だ。ジェームズ殿下が王になったら困る派閥がいるのだろう。殿下が取り締まりを強めている業者が幾つかいるらしくってな、近々、税率を引き上げたり取引を制限したりするんじゃないかと言われている」
「なるほど……いろいろ思惑があるのね」
顎に手を当てて考え込んでいると、アイビスを抱きしめる腕の力が強くなった。
「どうしたの……?」
「どうして急に殿下のことを気にする?……まさか、アイビスはジェームズ殿下のような人が好みなのか?きちんと会うのは今日が初めてだったよな」
「え??……あっ!ち、違うわ!誤解しないでちょうだい。ちょっと、その……ううん」
嫉妬の炎を宿してズイと迫ってくるヴェルナーの瞳を見たアイビスは慌てて弁明した。不確定な憶測と共に、夜会でジェームズに牽制されたことや、鋭い目線のとこを告げてしまった。
アイビスの話を聞いたヴェルナーは驚き目を見張った。
「ジェームズ殿下が?アイビスの考え過ぎでは……ないか。誰よりもそうした視線に敏感だし野生動物並みに感覚が鋭いもんな」
「ねぇ、それ褒めてるの?」
「ははっ、まあ殿下のことは俺も気にかけておくよ。何事もなければもうすぐ立太子されるだろうし、不穏な因子を警戒しているのかもしれないな」
じとりと睨みつけると、ヴェルナーは可笑そうに肩を揺らして宥めるようにアイビスの頭を撫でた。
そしてヴェルナーは、不意に視線をアイビスの足に落とした。
入浴前に包帯を外してしまい、寝る前に巻けばいいかと素足のままだ。細かな切り傷が痛々しく今日の出来事を物語っている。
アイビスはさりげなく足を隠そうとしたのだが、ヴェルナーはいつもの優しい表情でとんでもないことを口にした。
「サラに薬を預かっている。俺に塗らせてくれないか?」
「ええっ!?ぬ、塗るって、足に……?!」
「他にどこがある。まさか黙っているだけでどこか他にも怪我を……」
「してないしてない!足だけよ!」
「よし、じゃあここに座って」
「ちょ、え、うぇぇ?!」
ひょいとソファに降ろされ、床に膝をついて懐から瓶詰めの塗り薬を取り出すヴェルナー。カチャカチャと蓋を開けるヴェルナーを見下ろしながら、アイビスは急な展開に頭がついていかずに瞬きを繰り返している。
(ま、待って……確かに薬を塗るように言われていたけど!しかも傷口を保護するためにしっかりたっぷり塗り込めって……それをヴェルが?)
「よし、じゃあ右足からいくぞ」
「ちょ、待って……!ひゃ」
アイビスの心の準備が整わないまま、ヴェルナーは自身の太腿にアイビスの右足を乗せ、手にたっぷり薬を取り出すと、包み込むようにアイビスの足に塗り込んでいく。
薬はひんやりと冷たく、ヴェルナーの手はどこか熱くて、くすぐったいような、何か身体の奥から込み上げてくるような奇妙な感覚に襲われる。触れられた場所からゾクゾクとした痺れが這い上がってくるようだ。
「んぅ、っ!」
「傷跡が残らなければいいのだが……」
ヴェルナーが手を動かすたびにピクピク肩を震わせ、変な声まで出てしまい、アイビスは両手で口元を覆った。恥ずかし過ぎて目に涙まで滲んでくる。
一方のヴェルナーは懸命に、そして丁寧に薬を塗ってくれている。その目にも手つきにも下心なんてものはなく、ただアイビスのためを想っての行動だということはよく分かる。分かるだけに一人で羞恥心に襲われ、ましてや甘い疼きすら感じていることに罪悪感を抱く。
アイビスがうーうー唸っているうちに、ヴェルナーは素早く包帯を巻いていく。
「よし、できたぞ」
そう言われてホッと息を吐くが、アイビスはすっかり忘れている。当たり前だが、足は二本あるのだ。
「次は左足だな」
「~~~っ!?!?」
そっと右足を下ろしたヴェルナーは、続いてアイビスの左足を自分の太腿に乗せると同じように丁寧な手つきで薬を塗り込み始めた。
アイビスはもう辛抱が効かなくて、クッションを手繰り寄せると顔にギュッと押し付けてヴェルナーの処置が終わるのを待った。
左足の包帯を巻き終える頃には、すっかりアイビスの息は上がってしまっていた。そんなアイビスに、ヴェルナーはトドメの一言を宣った。
「これから毎晩俺が薬を塗るからな」
「えっ!?!?」
もちろんそんなことは全力で阻止である。
「じ、自分でできるわっ!!」
「ダメだ、アイビスが自分でしたらきっと塗り残しもあるだろうし塗り込みも甘くなる。治りが遅くなって跡が残ったらどうするんだ」
「じゃ、じゃあ、サラに頼むから……!」
「問答無用だ。妻を労わるのは夫の務め。サラにもよーく言い聞かせておくから頼もうったて無駄だ」
「そ、そんなぁぁ……」
こうなるともう何を言っても聞かない。
ヴェルナーが案外頑固であることは、幼馴染のアイビスがよく知るところである。
がくりと肩を落としたアイビスを、またもやひょいと抱き上げるヴェルナー。さっきから何なの!?と目を剥くアイビスを抱いたまま、ヴェルナーはズンズンと自分のベッドに向かっているではないか。
「え、ちょ、な、なに……」
ギシ、とベッドを軋ませながらアイビスを横たえたヴェルナーは、素早く部屋の電気を落とした。カーテンの隙間から僅かに差し込む月光だけが光源となり、暗闇にヴェルナーのシルエットが浮かび上がる。
ドクドクと全身の血液が沸騰するのではないかと思うほど、身体が熱くなって、心臓は激しく鼓動を刻む。
身体を硬くするアイビスの額に、ヴェルナーは触れるだけのキスを落とすと布団に潜り込んだ。
「ほら、アイビスも」
「え、えっと……い、一緒に寝るの?」
「安心しろ、手は出さない。あんなことがあったんだ、今夜はアイビスの存在を感じながらでないと眠れそうにない」
「うぅ……」
「それに、一緒に眠るのは初めてではないだろう?」
「子供の頃の話でしょお!?今と昔では年齢も、私たちの関係も、全く違うじゃない」
「ああ。俺たちは夫婦だ。夫婦が閨を共にして何が悪い?抱きしめて眠るだけだから」
「もう……わ、分かったわ」
先に述べた通り、こうなると頑固なヴェルナーは折れない。アイビスは覚悟を決めて素早く布団に潜り込むと、ヴェルナーと反対側を向いて布団を頭まで被った。
「何してる」
「~~っ、もうキャパオーバーなのよっ」
ヴェルナーに笑いながら問われ、アイビスは震える声で噛み付くように答えた。ヴェルナーが身じろぎしたのか、ギジリとベッド沈む。
「少しは俺のことを男だと意識してくれているのか?」
「なっ!そ、んなの……」
低い声で囁かれた言葉にカァッと頭に血が上り、ガバッと布団から顔を出したアイビスは、月夜に輝くヴェルナーの瞳を見て息を呑んだ。
ちょうど雲もなく晴れた美しい夜だ。
宝石のように輝く瞳に吸い込まれそうになる。
(ヴェルを男として意識しているか、ですって?)
そんなの、きっと、求婚されたあの日から――
「……してるわよ。悪い?」
認めるのも何だか悔しくて、拗ねたようにそう言ったアイビスは、ヴェルナーの顔が見れなくて再び布団の海に潜ろうとする。その間際、気配でヴェルナーが息を呑んだことが分かった。
「アイビス、隠れないで。顔をよく見せて」
「い、いやよ……絶対変な顔してるもの」
「そんなことはない。可愛い」
「も、もうっ」
囁くように可愛い可愛いと言われ、観念したアイビスはすっかり茹だった顔を覗かせた。
ヴェルナーの唇は本当に嬉しそうに弧を描いていて、ドキリとアイビスの胸が高鳴る。
「アイビス、今日はまだしていないぞ?」
「っ!」
何を、と聞くのは流石に無粋だろう。
ギュッと布団を握りしめたままの手を包み込むようにヴェルナーの手が握る。そのままそっと布団を下ろされて露わになった唇に、柔らかな感触が降ってくる。
ちゅ、ちゅっと何度も触れては離れてを繰り返す。
アイビスはキュッと唇を引き結んでいたのだが、力を抜いて恐る恐る喰むようにヴェルナーのキスに応えてみた。
アイビスからすれば精一杯の行動であったが、その僅かな動きはヴェルナーのスイッチを思い切り押し込んでしまったらしい。
「んん、んんぅ?!」
グッと後頭部と枕の隙間にヴェルナーの手が潜り込んできて、触れるような優しいキスが唇を覆い尽くすような獰猛なキスに変わる。
酸素を求めて顔を捩っても、またすぐに唇を覆われてしまう。
いつのまにかのしかかるようにヴェルナーの身体が乗り上げてきていて、アイビスの両手はベッドに縫い付けられている。ぎゅうっと強く手を握れば、ヴェルナーもぎゅっと握り返してくれて胸が切なくなる。
ずし、と感じるヴェルナーの重みが何だかとてもリアルで、一層アイビスの心を掻き乱す。
「はぁっ、はぁ……か、加減してよね」
「悪い、辛抱できなかった」
ようやく解放された頃にはすっかり息が上がってしまい、アイビスは涙の膜が張った瞳で精一杯ヴェルナーを睨みつけた。
ドサっと倒れるように横たわったヴェルナーは、その視線に気付くときまりが悪そうに頬を掻いた。
「……それじゃあ、夜も更けてきたし寝るか」
「……そうね、おやすみなさい」
二人はどちらからともなく、コツンと額を合わせて身を寄せ合った。自然とヴェルナーの背中に腕を回したアイビスは、多幸感に包まれながら眠りの世界へと堕ちていった。
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