05_ガーデンパーティ 前編

 それからガーデンパーティまでの一ヶ月は目まぐるしく過ぎていった。

 光陰矢の如しとはこのことかと思うほど、アイビスは決め事や準備に明け暮れた。


 母アルドラは自身でウェディングドレスを設えている。一針一針愛情を込めてドレスを縫う姿は慈愛に満ちている。

 実はアルドラはそれなりに有名なドレスデザイナーであり、街には彼女がプロデュースするドレス店が出店するほどである。


 結婚指輪はシンプルなデザインのものを選んで、裏には互いの瞳の色を模した宝石を埋め込んだ。

 アイビスはアンバーを、ヴェルナーはタンザナイトを。

 常に互いの色を身につけることにむず痒さを感じるが、不思議と嫌ではない。

 何とかパーティまでに間に合わせてくれるということで、アイビスは指輪が薬指に嵌められる日を心待ちにしている。


 ゲストには学友のメレナを招待した。

 あまり友人に恵まれなかったアイビスの唯一の親友である。ヴェルナーの友人でもあるため、二人の結婚を知らせると屋敷まで飛んできたぐらいで、「やったわね!ヴェルナー!長かったわあ~」としみじみしていた様子を見ると、どうやらメレナはヴェルナーの気持ちに気付いていたようだ。

 うるさいと一蹴されるかとニヤニヤした笑みを携えていたメレナであるが、「ありがとな」と微笑むヴェルナーに目を瞬いた。こりゃよっぽど浮かれていると理解して、それほどに愛されているアイビスを羨ましく思った。

 メレナは学園卒業と同時に、かねてよりの婚約者であったサイモン・メロル侯爵令息と結婚し、幸せに過ごしている。五つ年上のサイモンはメレナを溺愛し、メレナもサイモンを深く愛しているため、今では社交界でも名高いおしどり夫婦である。


 ふわふわしたピンクブロンドのミディアムヘアに、いつも花柄のカチューシャをつけているメレナは、大きくてピンク色の瞳を有した小柄な女性で、男女問わずに人気者だ。あざと可愛いメレナであるが、その性格は快活で、違うことは違うとはっきり言えるズバズバした女性である。そんな彼女だからこそ、男勝りなアイビスとも意気投合し、今でも仲良くしてくれている。


 メレナの実家は花屋を営んでいるため、アイビスのブーケや当日の飾り付けなどを一手に担ってくれた。というより、アイビスのブーケ制作だけは絶対に譲れない!とメレナが聞かなかったために全て任せることとなったのだ。

 何度も打ち合わせを重ね、テーブルに飾る花や、植物のアーチなどを用立ててくれている。

 「一生結婚しないつもりかと思っていたから嬉しいわ」とメレナは会うたびにお祝いの言葉をかけてくれる。自分でもまさかこんなに幸せな日々を得られるとは思いもよらなかったため、改めて家族や友人の大切さが身に染みる思いである。



 そんなこんなで、あっという間にガーデンパーティ当日となった。



 ◇◇◇


「アイビス様、お美しいです!磨き上げた甲斐があるというものです」

「あはは、ありがと」


 主役に相応しい華やかながらも素材を生かした化粧を施し、純白のドレスを身に纏ったアイビスを、あらゆる角度から隅々まで確認したサラは満足げに頷いた。


 結婚が決まってからというもの、毎日サラはアイビスの髪や身体のメンテナンスに勤しんだ。オイルを塗り込み、入念にマッサージをされ、隅々まで磨き上げられたおかげで、アイビスの肌は光を反射するほど艶やかでもっちりとした潤いに満ちていた。


「アイビス様は普段お洒落に無頓着ですから、前々から思う存分磨き上げたいと思っていたのです!はぁ、満足……お美しい……」


 念願叶ったサラは何度も何度もアイビスのチェックをしては恍惚な表情を浮かべている。

 あはは、とアイビスが苦笑いを浮かべていると、控えめに扉をノックする音が聞こえた。


「アイビス、用意はできたか?来賓も揃ったし時間通り始められそうだ」

「ええ。どうぞ」


 声の主はデュークだった。

 素早くサラが扉を開け、部屋に一歩踏み込んだデュークはアイビスを見てポカンと口を開けた。


「まあ、アイビス。とっても綺麗よ。ドレスもピッタリね」


 固まってしまった父の陰から、ひょっこり顔を出したアルドラがアイビスに歩み寄って賛辞を送る。その目には既にうっすらと涙の膜が張っている。

 母が涙を堪えている様子に、アイビスもつられて鼻の奥がツンとするが、今泣いてしまってはせっかくの化粧が崩れてしまうのでグッと堪える。


「ねぇ、あなた……はぁ、ちょっとしっかりしてよ」


 アルドラが振り返って依然として扉の前で棒立ちになっているデュークに語りかけるが、デュークは声を出さずにだばだばと滝のような涙を流していた。

 やれやれとため息を吐きつつ、ポケットからハンカチを取り出したアルドラは夫の涙を優しく拭ってやる。

 その様子を見つめるアイビスは、パーティが始まったら父の身体中の水分が無くなってしまうのでは?と少し心配になった。


「うっ、ううっ…アイビス……幸せになるんだぞ」

「もう、お父様ったら……パーティが始まる前に泣かせないで?」


 アイビスの目元にキラリと光る水滴をサラが優しく拭ってくれる。柔らかな笑みを浮かべて礼を言うと、サラも優しい笑みを返してくれる。少しその目元が赤い。


「さあ、行きましょう。ヴェルナーくんも待ちかねているわ」


 アルドラがパチンと手を合わせ、ようやく一同はパーティが開かれる中庭へと降りていった。




 ◇◇◇


 中庭には、既に親族が集まってわいわいと賑やかに談笑を始めていた。

 アイビスの祖父母や叔父叔母、兄夫婦、それにヴェルナーの親族も勢揃いだ。ふと目があったエレナも、ふわりとした桃色のドレスを纏っており、相変わらず花のように愛らしい。ひらひらと手を振り、大きく口を開いて「お め で と う」と口の動きで伝えてくれる。


 アイビスが所定の位置に着くと、賑やかだった場も次第に収まり、みんなが本日の主役に注目した。


「アイビス、本当に綺麗よ。幸せになりなさい」

「お母様……ありがとう」


 アイビスはゆっくりと膝を曲げて腰を落とすと、やや前屈みになり母にお辞儀をするように頭を垂れる。アルドラはそっと優しい手つきでアイビスにベールをかけると、ふわりと一瞬だけ愛する娘を抱きしめた。


 この日のために用意された祭壇の上には、既に真っ白なタキシードに身を包んだヴェルナーが待っている。髪を撫で付け、胸には赤い薔薇を刺し、遠目からでもどきりとするほど素敵だ。


 アイビスは差し出された父の腕に手を添えて、一歩一歩踏みしめるようにバージンロードを歩いた。すんすんと鼻を啜る音が隣から聞こえ、思わず笑いそうになってしまったが、それと同時に涙も込み上げてきて困ってしまう。


 結婚準備期間の一ヶ月で、いかに自分が両親に愛されているのかを改めて知ることができた。

 これまで結婚とは義務的なものだと考えていたアイビスであったが、家族との繋がりを強く感じることができる素敵なものなのだと考えを改めていた。


 そんな幸せを感じられるのも、ヴェルナーがアイビスを夢ごと受け止めてくれるからである。ヴェルナーは試しに結婚しようと言ってくれたが、この一ヶ月の間も毎日アイビスの元へと通っては愛を囁いてくれた彼に、アイビスの気持ちは既に揺れ動かされていた。

 子供の頃からの幼馴染と愛し合う夫婦になるということがどうしても照れ臭く、その羞恥心がまだアイビスを素直にさせないのだが、そう遠くない未来に、きっと、アイビスは人を愛する喜びを知るのだろう。


「ヴェルナーくん、改めて、アイビスをよろしく頼む」

「はい、お義父さん」

「ううぅっ…ずび、ぐすっ」


 デュークがヴェルナーに声をかけ、ヴェルナーがデュークに代わってアイビスの手を引いてくれる。一段高い祭壇に登ると、ぐっとヴェルナーとの距離が近付いた気がする。


「アイビス、綺麗だ」

「……あなたも素敵よ、ヴェル」


 壇上で両手を取り合い向かい合うと、牧師が徐に口を開き祝いの言葉を述べてくれた。

 そして、ヴェルナーの親戚の子供たちが得意げな顔をして、結婚指輪とブーケを持って来てくれた。可愛らしいタキシードとドレス姿で胸を張って歩く姿は、何とも微笑ましい光景である。


 ブーケは真っ白な花をベースに、薄い黄色や紫の花が散りばめられており、これからアイビスとヴェルナーが手を取り生きていけるようにと願いを込めて束ねてくれたという。そんな友人の想いごと受け取り、メレナに視線を移すと、彼女は目元をハンカチで押さえながらうんうん頷いていた。


 結婚指輪はヴェルナーが受け取り、そのまま牧師に差し出した。牧師は指輪を台座ごと掲げると、一つを取り出してアイビスに差し出した。アメジストが裏に嵌め込まれたヴェルナーの指輪である。


「汝、この者を夫とし、病める時も健やかなる時も――生涯愛し抜くことを誓いますか?」

「――はい、誓います」


 アイビスは指輪を丁重に受け取ると、ヴェルナーの左手薬指にそっと嵌め込んだ。そして誓いの言葉とともに、指輪に唇を落とした。


「汝、この者を妻とし、病める時も健やかなる時も――生涯愛し抜くことを誓いますか?」

「はい、誓います」


 同様に、ヴェルナーも誓いの言葉と共にアイビスの左手薬指に、割れ物を扱うかのごとく丁寧に指輪を嵌め込んでくれる。アンバーが裏に埋め込まれた、アイビスだけの指輪だ。そして誓いの言葉とともに、指輪に唇を落とす。


 これは、この国で一般的な結婚の儀式である。

 互いに愛を誓い、誓いのキスを介して指輪に想いを封じ込めるのだ。


 指輪の交換を終えると、ワッと割れんばかりの拍手が二人に降り注いだ。ぴゅう!と指笛を吹く者や、笑顔で祝いの言葉を述べる者、涙ぐむ者など十人十色ではあるが、皆が一様に二人の門出を祝福してくれている。


 温かな風が吹き抜け、来賓が投げたフラワーシャワーが巻き上げられる。そして鮮やかな花々は、雪のようにひらひらと辺りに漂った。


 そんな春の日の美しい光景は、アイビスの胸に大切な記憶として深く刻み込まれた。

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