02_お見合いの結果は

「ちょ、どいてどいて~~~!!!」


 軍部の長を父に持つ伯爵家の娘アイビス・アルファルーンは今、宙を舞っている。


 というか絶賛落下中だ。


 お見合いの場から逃げ出すために、二階の窓から飛び降りたはいいものの、窓の下に誰かがいるのは想定外であった。

 二階ぐらいの高さであれば着地に難はないのだが、人とぶつかるとなると話は変わる。

 忠告のため咄嗟に叫んだけれど、彼の人が逃げるには時間が足りないのは明白で――


(ぶつかる……!)


 そう思ったアイビスは来たる衝撃に備えてギュッと目を閉じた。

 だが、覚悟した痛みは訪れない。

 軽い衝撃のあと、温かな何かに優しく包まれているような……


「ぴぎゃっ!」


 恐る恐る目を開けると、なんと窓の下にいた人物に抱き止められていたらしく、アイビスはしっかりと横抱きにされていた。


「まったく、お転婆もここまで来ると呆れて物も言えないな」

「え……うそ、ヴェル!?」


 アイビスを抱き止めて盛大なため息を吐いていたのは、隣の伯爵家に住む幼馴染のヴェルナー・ロテスキューだった。


「なあんだ、あなただったのね。っていつ戻っていたの?隣国に留学していたはずじゃ…」

「ん、今朝戻ったばかりさ。それにしても、二階から飛び降りるなんて何考えてるんだ、バカ」


 ヴェルナーならば大丈夫だと安心したのも束の間、アイビスは思い切り叱られてしまった。


「だってえ……」

「まあ、何か事情があるんだろう?俺には聞く権利があると思うが?」

「ぐう……」


 唇を尖らせ歯切れの悪いアイビスに対して、ヴェルナーは「ん?」と首を傾げて話を催促してくる。


 チラリと先ほど飛び降りた二階の窓を見上げると、お見合い相手の男性が慌てた様子で身を乗り出していた。

 はぁ、とため息をついたアイビスは、事の次第を話し始めた。




 ◇◇◇


 各々挨拶と自己紹介を済ませたあと、あとはお二人でとデュークとアルドラが席を立ち、アイビスはお見合い相手と談話室で二人きりとなった。もちろん未婚の男女が密室に二人きりで過ごすわけにはいかないため、入り口の扉は開かれ、廊下には使用人が数名控えてはいるのだが。


 今日のお見合い相手の男性は子爵家の嫡男で、名をリッド・ウーデルといった。

 歳はアイビスより七つ上の二十八歳。ほんわかした雰囲気の優しそうな人であった。


 趣味や学園時代の話、家族の話など、他愛のない会話を重ねたのちに、リッドはとある話を切り出した。


「アイビス嬢、あなたは護身術の道場を運営されているとか…」


(!来たわね)


 アイビスとしても避けては通れない話題であるため、表情には出さずに身構える。


「ええ、天職だと思って一生懸命取り組んでおりますわ」

「そうなんだ、君はすごいねぇ」


 おほほと優雅に答えながら相手の反応を窺う。

 さて、どんな反応をするのだろうか……


 相手はうんうん、とにこやかに頷いてはいるが、続く言葉にアイビスは密かに落胆した。


「でもねぇ、やっぱり女性が道場を運営するのは…その、ねぇ?野蛮だとか乱暴者だとか言われかねないと思うんだよ。周りの目もあるし、僕と結婚したら道場は畳んで欲しいなぁ。それに僕は奥さんには家庭に入って家を守ってもらいたい質なんだよねぇ」


(……ああ、この人もか)


 アイビスがこれだけは譲れないと決めている条件、それは『護身術道場の運営を続けていく』こと。


 たったそれだけのことなのだが、これまでほとんどのお見合い相手は道場の運営に難色を示し、辞めて家を支えて欲しいと言った。

 今では女性も手に職をつけて活躍する時代となってはいるが、やはりその職種は限られているらしい。また、古き慣習として女性は家を守るべきという考えもなかなか抜け切ってはいないのだと、お見合いを重ねる度に痛感した。


 最後のお見合い相手とはいえ、道場を畳むことだけは譲れない。一生独身を覚悟して、アイビスが「申し訳ないのですが……」と口を開きかけた時、リッドが徐に立ち上がった。


「ふふ、それにしても、アイビス嬢。君はじゃじゃ馬娘という噂と違って、随分愛らしい女性だねぇ。正直に言うと結構好みでさあ……これまでのお見合いはうまくいかなかったんだろう?それならさ、僕との結婚、前向きに考えてみないかい?」


 リッドは許可なくアイビスの真横に腰を下ろすと、さりげなく距離を取ろうとしたアイビスの手を取り、頬擦りをした。

 ゾゾゾゾ!とアイビスの全身の身の毛がよだった。


「ああ、艶やかな肌だねぇ。柔らかい印象の化粧をしているけれど、そのキリッとした目。僕は少し気の強い女性に責められるのが好きなんだよねぇ……ちょっと軽く罵ってはくれないかい?」

「ヒィィィィィィ!!」


 恍惚な表情で、息遣い荒く言われてしまっては、アイビスにはもう我慢ならなかった。


 咄嗟に掴まれた手を捻って相手の腕をひっくり返し、肩を押さえつけた。


「痛タタタッ!ああぁ、いい、いいよぉ!!この痛みもまた君の愛だと思えば気持ちがいいよぉ!!」

「げっ」


 痛い痛いと言いながらもハァハァ鼻息が荒いリッドは、どうやら相当変わった性癖の持ち主らしい。

 道場継続云々の前に、この人と結婚なんて無理!と判断したアイビスは、飛び上がるようにしてソファから立ち上がった。


 騒ぎを聞きつけたのか廊下の方が賑やかになっていく。

 それに肩をさすりながらもリッドが立ち上がって、ジリジリとアイビスににじり寄って来ていた。


 大の男であれ放り投げるのは容易い。

 だが、流石に父の知人でありお見合い相手であるリッドを投げ飛ばすのは、賢明な判断ではなかろう。


 両手を前に構えて臨戦態勢を取りつつ、後退していたアイビスの背中が窓枠に触れた。


「ええい!ままよ!」


 どうとでもなれ!と窓を大きく押し開いたアイビスは、勢いよくそこから飛び降りたのだった。




 ◇◇◇


「……へぇ、お見合い。それにどこを触られたって?」

「え?ええと、左手だけど……」


 包み隠さず事情を説明すると、ヴェルナーがなぜか怒気を孕んだ瞳でアイビスを見据えた。

 低い声で問われ、アイビスは素直に左手を差し出した。

 ヴェルナーは優しくアイビスを立たせると、差し出された左手を取り、指を絡めるようにして握りしめた。


「ひゃ!?な、何…!?」


 異性との触れ合いにまるで免疫のないアイビスの顔は、みるみる真っ赤に染まっていく。


「……俺がいない間にお見合いに明け暮れていただなんて。もっと早く帰ってくるべきだったな」

「え?」


 ヴェルナーはブツブツと何やら呟いているが、意識が左手に集中しているアイビスの耳には届いていなかった。


「アイビス、俺と結婚しよう」

「はいぃ!?」


 そして、目を伏していたヴェルナーは意を決したように顔を上げると、とんでもないことを口にしたのであった。

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