第22話 寄るがよい

 はためには、廓主と筆頭侍女の少女2人に、いちゃこら、あまやかされ、楽しく常識をさとされているようにみえているにきまっている。 エウドーラ―廓内を巡視の彼女と顔をあわせるつど、リュミ、もとえ、准護衛士に昇進し改名のリウミイは、汚物をみるようなややかな眼力がんりきで僕をさげすんでくる。 


 彼女は選抜孤児の出という、なまりが抜けない15歳。 優秀というだけでなくここまでくるまで並大抵なみたいていの努力、苦労ではすまなかったはずだ。 それが同じ孤児でも魔潟まがたひろわれたという一点だけでほんの6歳にして宮中伯に成り上がった樸の存在がおもしろくなくても当然だ。


 魔潟を知るはずもない彼女が『ふん、いい気なやつっす』とかろんじようが、とがめる気にはなれない。


翻訳のじつは本当の機能で、”以心伝心”に限らず心の声をきけるのはエウドラ、サテラにも秘密。 それもあって彼女には、ごまかしのお愛想笑あいそわらいでお茶をにごすのがマイブーム。 


 もしここから逃げ出したら、リウミイやアラトスらは守り手から追い手、猟犬にかわるだろう。 そういう関係にある。


 でもエウドラやサテラのもとから逃げ出す気になるには彼女らのふところには入りすぎた。 逃げ出せば、より命にかかわる状況になるらしいこともあり、デレてくれないリウミイだって、立派なお味方みかただ。



 そんな状況のなか、常識は武器というサテラの言葉にすがり、常識の貯蓄ちょちくはげんでいた。



 サテラ先生はいう。

 「魔術は人が構築するもの。 魔法は天然、自然のもので、同等の効果を得るには魔術なら、より極める必要があるわ」


 サテラのため口講義によると

 「姫様の”清浄”は魔法。 もしそれを魔術で再現するなら、例えば、汚れの検知、汚れのみの除去、除去した汚れの処理の、最低3系統の魔術を並行して実行するという面倒になるの」


 出会いの衆目を集めた寒冷の事例についていえば、エウドラは魔法、サテラは魔術で、ぶっつけ合いだったという。


 エウドラの「寒気をゆるめぬか」は、実はサテラは魔術暖気でエウドラの寒気魔法に対抗するも、出力が及ばず、寒気優勢で押し切られた。


 主従ともども勘違いされて上等で、そのまま様式美を優先、そのままどやプレーでおしとおした。


 どうやら、あのサテラの待ち伏せじたいもそういう主従ごっこでもあったらしい。 


 ただ今から思えば、プチ家出娘のエウドラに複数の監視の目が向いていなかったとはとても思えないから、あれもお遊びでない意味があったのかも。 サテラの暖気魔術の妨害でエウドラの寒気魔法の本当の実効出力は隠蔽いんぺいされただろうし・・・


 それから、サテラがぼくの打撲にしてくれた”治癒”は魔法で、それについてはエウドラの”治療”の魔術より効果があった。 


 「魔法にも魔術にも、得手不得手えてふえてがあって、姫様のそば仕えですので ”治癒”はかなり得意なのです。


 魔法はある日ある時、突然、魔法の方から訪れる、ギフトだわ。 そこに大きな落とし穴があるの。 早すぎる強力な魔法は、事故多く、その持ち主を害す。 幼少ほど魔法持ちの子供は障害児なり早世なりの不幸が多いの」


 サテラは自分の卓越した”治癒”ギフトのゆえ、早熟なエウドラ側近の侍女爵に選ばれたと言いたいらしい。


 「それに対して、魔術は研鑽けんさん、修練を重ねて得られる、スキルだわ。 その過程で危険への理解度も深まるから、自爆になることは魔法より少ない。 でも”清浄”の例に示すような面倒な複雑さは、事故に繋がる原因にもなるの」


 魔法にしろ、魔術にしろ、自爆や誤爆相当の負の側面があると言うことか。

 こわいことだ。


 「ラナイの霊薬体質とか傍聴は魔法とは違うので、ギフトのようでも魔法のギフトではないわね」


 ふ~ん、そうなんだ。


 「魔法魔術のいずれであれ、効果は無からは生まれない。 効果のもとがあり、それが魔素といわれるものね。 


 魔素は普遍的に分布するけれど、その濃度は人の領域では五感でわからないほど希薄。 

 いっぽう魔族の領域では、生身(なまみ)ではひとときと耐えられないほど高濃度で、致命的に濃い瘴気しょうきでもあるの」


 わかる、毒を呼吸する・・・即死レベルでなくても何か急性毒性のあるものが風なき空中に滞留している。普通に息をすることがはばかれて、そのぶんよけいに息苦しい。 とてもじゃないが、ここにいてはダメだ・・・思い出すのも息が苦しい。 僕が転移したのはおそらく魔族の領域か、そこに近いところ、そこで魔族に捕らえられて・・・


 「人の領域と魔族の領域の境界には、魔素の濃度の勾配が周期をもって変化する、干満する場所もあり、魔潟まがたというのがそれね」


 ・・・そうだ、気がついたら魔潟にいて、そこで婆さん姿のエウドラにひろわれた。


 「魔潟には、魔素が引いて瘴気として薄い間は防着程度ではいれる。 そこから持ち出されるオーブは、魔素濃度がうすい人の領域では有用きわまりないわ。 


 魔素切れの時、希薄な魔素を急速充足するギフトがなくても、オーブを消費すれば、直ちに魔法魔術を行使できるから、オーブが魔素の塊なのは間違いないの」 


 サテラの話しでは、オーブの色は融合した魔素の色と考えられていて、魔法魔術の効果を左右するというのが定説のようだが、細部は諸説あり、統一されてはいないらしい。 



 ・・・あの微細粒、この世界人には見えずめもしない色とりどりな微細粒は・・・それは直感、僕にとって特異点的なもの。 

 魔素でないか思うけど、でもなぜ僕には見えてしかも噛んでしまうのだろう・・・うーん、わからない。 




 晴の夜、エウドラがくるわテラスのささやかな露天庭園でスターゲイズ、星詠みをするからと、さそってきた。 もちろん拒否権は・・・あるはずもないのがお約束だ。 


 それでも、壮絶なブラックホールのしょくと重力レンズの効果、アインシュタインリングの神秘の夜空ではなかろうと、よい気分転換になる気がしていた。


 魔潟のほとりのあの素晴らしい夜空にはほど遠いと、不満たらたらのエウドラだったが、それでも記憶の世界の輝く街あかりの上とは比べものにならないほど空は深く黒い。 電離して淡く光る星間分子雲・・・輝線星雲きせんせいうんのなかにはその優美な広がりがわかるものもあった。  


 そんな星雲は別格として、夜空の星々の輝きは、仮に望遠鏡で拡大に拡大を重ねても、遠くにあればあるほど、光の点のままだ。 その星々のエネルギーは光として僕の目の網膜にとどき、”星”として脳で視覚情報処理される。 


 そして僕にとどいた光のエネルギーが大きいほど星は明るく見える。 明るいほど、ちいさな強い光の点ではなく大きな星として見える。 そのように僕の感覚はできている。


 ならば、そのサイズが実際に極微でも、陽子を包む、大きさがある証拠が見つからない電子の存在殻のように、そこに確たるエネルギーがあるから、僕には魔素が大きさのある粒として目に見える、認識できる・・・のかもしれない。


 その魔素が見えるだけでなく僕はガリッと噛める。 ガリッと噛めるということは、この世界既存の魔法や魔術によらず、魔素に直接働きかけているのかもしれない。


 ・・・僕という存在の意思と魔素との双方向性、対称性・・・


 思考を堂々巡りさせるうち飛躍して、魔素を粒子と波の性質をあわせもつ量子とみなす、そんな可能性を夢想した。


 見る意思で見えて、噛む意思で噛めて・・・それなら、魔素を量子として仮定して、この世界のネイティブな魔法魔術とは違う機序で効果を出せる可能性・・・魔素を仮想の量子、魔量子と解釈する魔術構築、量子魔術の創造・・・んー、その方向あり、かな・・・でも、どうやって・・・魔素が量子の夢を見る・・・



 そのとき、エウドラがガードの准護衛士に命じる声がきこえた。

 「リウミイ、もっとラナイのがわにるがよい」

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