第10話『幕開け目前』


 ◆ ◆ ◆

 

「最後に、流れをもう一度確認しておこうと思う」

 半日後。

 このあたり一帯に水を供給している『ヴァンの食らいつく川』までやって来た俺たちは、木陰で打ち合わせを行っていた。

「まず、初手で俺が『鉄鎖グレイプニル』を使って拘束するから、ミーナとホルガーさんは背後に回って『闇討ち《バックスタブ》』をぶちこんでほしい。クルトとエーリカは『出血状態』の付与を頼む。拘束が解けたら、俺が『挑発』を連打してやつのヘイトを稼ぐから、その間に皆はひたすらやつの背後に回って攻撃してくれ。すきを見て『闇討ち《バックスタブ》』も頼む」

「いつもの『ばぐ技』は使わないのか?」

「残念だけど、ランドルフに有効なバグはない。今回ばかりはひたすら真っ向勝負だ」

 バグだらけの初期『アスガルド』準拠の世界だが、なんでもかんでもバグでやり過ごすというわけにはいかない。

 そもそも、今までは『バグが使える相手』を選んで戦っていたので、バグで攻略できたのは当たり前の話である。

 一番バグを使って楽をしたい敵に限ってバグが使えないとは、ままならないものだ。

「一番注意しなくちゃいけないのは、皆も知ってると思うけど『呪毒状態』だ。基本的に、やつの攻撃は一発も食らわないつもりで戦ってほしい。逆に言うと、少しでも反撃をもらう可能性があるときは攻撃しちゃダメだ」

「大丈夫ッスよ! フミオさんにめちゃくちゃパリィ鍛えてもらいましたから、ランドルフの攻撃なんか当たんないッス!」

 クルトが自信たっぷりに胸を叩く。

 事前に、ランドルフのモーションを知り尽くしている俺は、皆にパリィの猛特訓を施したのだ。

 さらに、分身時の手数の多さにも対応できるよう、二人がかりで攻撃される状況も訓練済みだ。

 本物のランドルフで練習したわけではない以上、完璧とはいえないが、それなりの対策はしてきたという自負がある。

「わ、わたしはまだちょっと不安ですけど……」

「安心しろって。お前は俺の後ろに隠れてりゃいいんだよ」

「はあ? バカにしないでよ。わたしだって騎士なんですけど?」

「こらこら、つまらないことで喧嘩するな。まったく、お前たちも少しはフミオ殿や団長殿を見習ったらどうだ」

「「はーい……」」

 ホルガーさんに叱られて、クルトたちがしゅんとしている。

 俺はアイテム一覧を開き、必要なものが揃っているかどうか、目を皿のようにして確認した。

 回復薬。

獣縛りの鉄鎖グレイプニル

『瀟洒な双剣+9』

『聖銀のタリスマン』

 食べると筋力を増加させる『猪肉の燻製』

 持久を増加させる『鹿肉の塩漬け』

 魔力を増加させる『賢者の蜜酒』

 知力を増加させる『若返りの林檎』

 敏捷を増加させる『兎肉の丸焼き』

『呪毒状態』のスリップダメージを回復するための『オークの丹薬』

 などなど。

 食事によるバフは、食べるとなくなってしまう代わりに、武技レギン魔法ルーンによるものよりも効果が大きい。

 強敵と戦う際には、絶対に用意しておきたいアイテムだ。

 と、ミーナがひょいと俺のメニュー画面を覗き込んでくる。

「いつ見ても信じられんな。こんな薄い板の中に、大量の物資が納められているとは」

「これ、皆も使えたらいいんだけどね」

「そうだな。武器も防具も好きなだけ持ち歩けるとは夢のようだ」

 何気ない会話を交わす俺たちを、じっと見つめていたエーリカが、やがてニヤッと笑いながら質問してきた。

「なんか、お二人距離近くないですか?」

「え、そ、そう?」

「い、いつも通りだと思うが」

「そうですか~? 怪しいな~」

 弾かれたようにミーナが俺から離れ、肩をすくめる。

 しかし、なにかに勘づいたらしいエーリカのニヤニヤは止まらなかった。

「昨晩も、ずっとお二人で過ごされてると思ったら、いつの間にか姿が見えなくなってましたよね。どちらにいらしたんですか?」

「ふ、フミオが肉を食いすぎて腹を壊したと言うのでな。ベッドまで運んで介抱してやっていたのだ。な?」

「え? あ、うん。そうそう」

 初耳だ。

 ミーナのバレバレの嘘に、ミーナがわざとらしく驚いたふりをした。

「本当ですかフミオさん? お体、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫大丈夫。寝てたらすぐ治ったから」

「ところで、ここ、キスマークがついていますよ」

「え、嘘っ!?」

 エーリカが首のあたりをつつきながらそう言ったのに、思わず反応してしまう。

 だが、よく考えてみると、そんなところにキスはされていない。

 引っかけられたと気が付いたときには、もう遅かった。

 エーリカが「キャー!」と黄色い歓声を上げ、手を打った。

「おめでとうございます、フミオさん、団長!」

「いやいや、違うから! そんな、想像してるようなことは決してしてないから!」

「またまた、照れちゃってフミオさん。可愛い!」

「いやもう本当に!」

 ランドルフ戦を前に、窮地に陥った俺が視線で助けを求めると、ミーナは怪訝そうに小首を傾げた。

「? キスマークなんてついていないではないか」

 冷静にエーリカのカマかけをスルーするミーナ。

 すると、今度はエーリカが自分の唇に指を当てた。

「団長、知ってます? 誰かとキスしたあとって、唇がちょっと赤くなるんですよ」

「ええっ、そうなのか!?」

 一瞬で語るに落ちた。

 どうやら、さっきスルーしたのは、単純にカマをかけられたことに気づいていなかっただけのようだ。

「フミオ、私の唇、赤くなっているか?」

「ミーナ、嘘だよ嘘」

「なに! おのれエーリカ、騙したな!」

「えへへー。……で、どうでしたか? 初めてのキッスのご感想は?」

「べ、別にどうもこうもない。ただの粘膜接触に過ぎない。挨拶のようなものだ」

 またどこかで聞いたようなことを言っている。

「挨拶ですか。じゃあ、わたしもフミオさんにキスしていいですか?」

「だっ、ダメに決まっているだろう! ……あ、いや、その」

「あっはっは! 冗談ですよ冗談! クルトもそんな怖い顔しないで」

「はっ? してねーし! お前が誰とキスしようがどうでもいいし!」

 ずっと蚊帳の外に置かれていたクルトが、とつぜん水を向けられ、大きな声を出す。

 そういえば、クルトとエーリカの関係はどこまで進展しているのだろうか。

 見たところ、両思いなのは間違いないが……。

「つーか、なんの話してんだよ、さっきから」

「団長とフミオさんがエッチしたって話」

「ま、マジッスかフミオさん! そこまでいっちゃったんスか!?」

「いやしてねーよ!?」

 というか、今の今までなんの話かわかっていなかったのか。

 ミーナ以上のにぶさかもしれない。

 クルトが近づいてきて、俺の服をクンクン嗅ぎ始めた。

「な、なんだよ?」

「あー、確かに団長っぽい匂いする」

「ええっ! 気持ち悪っ! 匂いで判断してるのかよお前! てかミーナの匂いとか言うなよ失礼だろ!」

「いや、人間から匂いがするのは当たり前のことだぞ。フミオもフミオの匂いがするしな」

「そ、そう……」

 現代日本人のように、毎日風呂に入るという習慣がないから、体臭をあまり気にしないのだろうか。

「それはともかくだ。確かに私はフミオとキスはした。だが、行為にまでは至っていないし、その予定も当分はない。我々にはまだ、戦わねばならない敵が数多といる。家庭を持つのは早すぎる」

 観念したのか、誤解されるのが嫌だったのか、とうとうミーナはきっぱりとそう言いきった。

 避妊具が発達している現代なら、セックスは娯楽のように扱われているが、この世界では子作りに直結しているようだ。

 ……つまり、業魔モーズを全滅させるまで、ミーナとの本番はお預けってことなのか?

 それは大変困るな。

 ミーナの発言を受け、エーリカが真面目な顔で問いを投げる。

「団長。好きな人とするキスって、どんな感じですか?」

 ミーナがはにかむように笑う。

「……とてもよいものだぞ」

「……そうなんですね」

 エーリカは深くうなずくと、クルトのほうに向き直った。

 そして、さらりと言った。

「ねえ。ランドルフ倒したら、キスしよ」

「はっ……? えええちょちょちょお前、それって」

「わたし、クルトのこと好きだから。……もう知ってたかもしれないけど、こういうのって、ちゃんと言葉にしておいたほうがいいと思うから」

「…………お、おお。俺も、お前のこと、す、すすすす……」

 ええい、肝心なところで締まらないやつだ。

 ぷっとエーリカが失笑した。

「あはは。いいよ、あとで聞くから」

「……わかった。絶対聞けよ。聞かせてやるから。そんで、絶対死ぬなよ。俺も死なねーから」

「うん。絶対死なない」

 ほとんど言葉にしているようなものだったが、それでも二人は関係の成就を先延ばしにした。

 ……ヤバいなー。ぶっとい死亡フラグ建っちゃってんじゃん。こりゃ死なせられないぞ。

 と、微笑ましげに俺たちのやりとりを見守っていたホルガーが、不意に人差し指を口元に当てた。

「しっ。おそらく業魔モーズが近づいています。団長殿、いかがしますか」

「ランドルフと戦うまでは交戦を避けたい。隠密行動でいく」

「了解しました。こちらへ……」

 恋バナムードは一瞬にして霧散し、ピンと張り詰めた空気が漂い始める。

 次にこの緊張が解けるのはいつになるだろうか。

 そのとき、俺たちは全員揃っていられるだろうか。

 ……いや、絶対に揃って迎えるんだ。新しい日々を。

 俺は静かにそう誓い、ホルガーのあとについて歩き出した。

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