アイク島冒険記
嶺月
第1話 王城の庭で
王城の庭にいくつもの声が重なって響く。まだ太陽の上りきらない空には雲一つ無く、挙がった和声はそのまま吸い込まれていくようだ。声を上げているのはそれぞれに意匠を凝らした全身鎧を身にまとった騎士たち。総勢二百から三百人ほどになるだろうか。片手に剣または鎚を、反対の手にはこれまた家紋らしき文様の施された盾を構えて気合と共に武器を振るっている。
騎士たちの組む隊列は縦横に整っているが、その動きは一糸乱れずとは言い難い。振るった剣の重さに体を泳がせて体勢を乱す者や、中にはやる気なさげにただ上下に武具を動かしているだけのような者も居る。それでも隊列に正対する壮年の指揮官らしき騎士の掛け声に合わせて、
騎士たちの集団の後方にまだ少年の域を脱したばかりで、鎧も胸当てだけというどうやら見習いらしき戦士が数人居る。その中に剣でも鎚でもない、巨大で不可思議な形状の武器を振っている者が一人居た。際立った長身ではないがよく鍛えられたがっしりとした体形と、その体格には少し似合わない涼やかな目元が印象的で、やや色味の薄い赤毛に白い鉢巻を巻いている。
普通の剣の刀身よりはやや短い両刃を鉄の棒の両側に備えた、それを振るう若者の身長よりも長大な武器を、身体を軸に回転させるように横薙ぎにしている。他と根本的な動きが異なることに加え、その動きの流麗さが明らかに際立って目立っていた。
「「九十九、百!」」
「よし、やめ!」
ついに素振りが百を数え、指揮官の許しが出ると騎士たちは構えていた武器を下ろし、酷使した腕を曲げたり伸ばしたりして疲労を取っていく。だが先ほどの長物を操っていた見習いは武器の大きさの分激しく疲労しているはずなのに、上気した頬にその疲れを示すだけでまだ続けられそうな様子でその不思議な武器を見つめている。
「レオンハルト、あまり根を詰めるなよ」
そこへ騎士甲冑を身にまとった壮年の男が声をかけてきて、レオンハルトと呼ばれた青年騎士は構えを解いて一旦武器を地面に置く。
「ニールフェルト卿」
そして右手を左胸に当てる騎士の礼をとると、相手も礼を返してくる。
「騎士としての鍛錬に熱心なのは感心だがな。ただでさえ普通の剣やメイスと違ってその…」
「デュラディウスです」
「そう、そのデュラディウスは常識はずれに大きく重いのだからな。限度を超えた鍛錬で腕を痛めでもしたら本末転倒だぞ」
「いえ、振るっている間はさほどでも。これも重力水の恩恵ですね」
レオンハルトが言葉を返すと、ニールフェルトも自分の持ったメイスを見つめる。
「確かにな、不思議なものだ。こうしてただ持っているときは確かに重さを感じるのに、振る時はまるで羽のように軽い。それでいてその打撃は普通の剣には到底繰り出せないような衝撃を与える事ができるとは…」
感慨深げに呟いて黙考する。ニールフェルトもこのアイク島に初めて重力水がもたらされた冒険行の一員だった。その時の事を思い出しているのだろう。しばらく会話が止まるが、再びニールフェルトが口を開く。
「すまない、話が逸れた。実は私は今度任務でアルカナ山へと赴くのだがな。お前も同行してみてはどうかと誘いに来たのだ」
「アルカナ山へ?ニールフェルト卿の任務というと…」
「ああ、天文局の…む?」
説明しかけたニールフェルトの目が城門付近に移り、不審そうな色を映す。気になって振り返ったレオンハルトの目に一人の少女の姿が見えた。若い娘にしては珍しく肩に届かぬ長さに切りそろえた短い、太陽光を反射して明るく輝く髪に、遠目からも誰なのかレオンハルトにはわかった。
「こんな時間に平民が?陳情ならば朝一番に来るはずだが」
「あれはこのデュラディウスを鍛えたディル老の孫娘です。かの鍛冶師はよく連絡をあの娘に託してきますので、またなにごとか伝言でしょう。城にまで来るというのは初めてですが、また何か新しい道具の発明とやらに関する事でしょう」
「ディル殿のか。この島に重力水という新たな道具をもたらした賢者の使いとなれば無碍にはできまい。私の任務についてはまた後にでも話そう。昼食の時にまた声をかける。それではな」
重力水とその利用法を発明した鍛冶師・ディルはその知恵とともに
そそくさと去って行くその姿をレオンハルトは丁寧に騎士の礼で見送るが苦笑も禁じ得ない。微妙な表情でニールフェルトを見送る騎士見習いの耳に、練兵場の砂を踏み散らす軽い足音が近づいてくる。
「レオンハルト!」
振り返ろうとしたレオンハルトの耳に呼び声が届く。やや甲高いが鈴を鳴らすような心地良い声。だがレオンハルトは思わず顔を
「ルーチェ、今は他の人の目がある。まず
振り返ったレオンハルトの目にまず見慣れた明るい金髪が映る。ついで鍛冶仕事で焼けた浅黒い肌。いつもはえくぼが愛嬌を振りまく顔には、少し申し訳なさそうな眉の下がった表情が浮かんでいる。
「あ、ごめん…えっと、ごめんなさい。レオンハルト様」
「うん」
レオンハルトは騎士としてはまだ見習いの身分だが、れっきとした騎士階級。一方、少女ルーチェは天才鍛冶師ディルの血族として幼い頃から付き合いがあるといっても平民階級。公衆の面前で身分の差を無視した振る舞いをされる事は、騎士として秩序の守護者を任じるレオンハルトには見過ごせなかった。
ルーチェがあまり形式的なやり取りを好んでいない事は知っているが、だからこそ近しい年長者である自分が常に注意を促していく必要が有ると考えていた。
「それにしても珍しいね。ディルは余程急いでいるのかい、王城まで使いを寄越すとは?」
「いいえ、今日はあたし自身の用事です」
「ルーチェの?」
「うん、じゃなくてはい。今朝、ようやくお爺ちゃんのお手伝いじゃなくて、あたし自身の研究の成果が形になったから」
「言葉遣いに気をつけてな。そうか、とうとう君も自分の発明をか。今まで聞いてこなかったがどんな物を作ろうとしていたんだ?」
「実際にその目で確かめて欲しい…いただきたいから、この後祖父の工房へお運びいただければ、と」
「すぐに行ってこの目で確認したい気もするが、この後予定が入っていてね。まぁせっかくだから午後の自主鍛錬は中止にしよう。昼食が終われば見習いには特段の役目も無いし、午後には必ず訪ねるよ」
「はい、それではお待ちしています。失礼します」
そう答えると、ルーチェはレオンハルトが促す前にさっさと立ち上がり、離れていく。それも本当は礼儀に反することだがレオンハルトは注意しようとは思わなかった。レオンハルトはルーチェがまだ五歳でディルの工房に出入りするようになった時から知っている。
女の身ならば家政を取り仕切る事を考えるのが当たり前のこの島で、天賦の才を示したとはいえ家業の鍛冶を継ぐと言い出した彼女が周りから
特にこの二、三年は近い年頃の少女たちが親の
立場や理由は全く違うとはいえ、レオンハルトの生家、カシウス家も貴族の社会では外れ者と疎まれることが多い。その視線を敢えて気にすまいと武術に打ち込み、その態度がまた周りの人間を遠ざける悪循環に陥っているレオンハルトには、ルーチェの気持ちがわかるような気がする。身分は
その彼女が初めて成果が出たと言ったのだ。レオンハルトには数少ない親しく声をかけてくれるニールフェルトの話とはいえ、なるべく早く済ませて発明品を見てやりたいと思った。
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