第39話

「穂香、おはよう」

「おはよ...うございます」

テンパリングを終えたチョコレートを、ボールに移しているところで声をかけられ振り向くと、そこには割烹着かっぽうぎを着て三角巾さんかくきんで頭を覆った青王様がにこにこしながら立っていた。

「えっと...三角巾までつけているとどこかの食堂のおかあさんみたいですね」

「初めて芋煮を食べた山形の店の女将さんもこんな感じだったな。あ、そういえばマスクもしていた」

「へぇ...」

私が着たら指先まで隠れてもまだあまりそうなほど長い袖も、青王様にはだいぶ短くて、それがなんとも滑稽こっけいで、何度見ても笑いそうになる。だけど、青王様はこの割烹着が気に入っているようだから笑ったりしたら落ち込んでしまうだろう。でも笑いをこらえるの、つらい...


「今日はハイカカオチョコをたくさん作ります。この型の中にこのくらいずつチョコを流していってください」

ボタンの形の型に絞り袋でチョコを流し入れながら説明すると、青王様は「気をつけないと溢れそうだ」と言いながら真剣な表情を浮かべ慎重に作業を始めた。


二人で七十袋分のハイカカオチョコを作り終えると、青王様はボンボンショコラも作りたいと言う。

期待に満ちた顔でお願いされてしまい、すぐに調理台に材料を並べると青王様は慣れた手つきでボンボンショコラを作り始めた。

「もう完璧ですね」

「これなら従業員として雇ってもらえるかな?」

「なに言ってるんですか。従業員になったら、お手伝いじゃなくてお仕事ですよ」

青王様は「しまった!」という顔でこちらを見つめている。

「ふふふ、これからもお手伝いしてくださいね」

「穂香のためならなんでも手伝うよ」

私は笑顔でうなずき作業を再開すると、すぐに瑠璃がやってきた。

「おはようございます」

「おはよう。いつもより早いけど、どうしたの?」

ふじのほうでいちご大福五十個の予約が入っていて。青王様、なんだかすごい格好してますね...えっと、お願いしておいたいちごはどこですか?」

「あっ、すっかり忘れていた。すぐに収穫してくるよ」

「ちょっと待ってください」

バタバタと割烹着を脱いでいる青王様を呼び止め「私も使いたいのでたくさん収穫してきてください。瑠璃ちゃんも一緒にいってきてね」と声をかけ瑠璃に大きな籠を渡した。

二人を見送り、瑠璃から「これ、お願いします」と渡されたメモを確認すると、そこには瑠璃が今日作る予定のお菓子とそのレシピが書いてあった。

私はそれぞれのレシピに合わせたチョコレートを準備していく。



「戻りました!」

「おかえりなさい。うわぁすごい!」

真っ赤で大粒のいちごが山盛りに詰まった籠からは、甘くておいしそうな香りが漂ってくる。

「食べ頃のものが思ったよりたくさんあったんだ。少し取っておいて、あとでそのまま食べるといい」

「はい、そうします!」


「穂香さん、チョコの準備ありがとうございます」

私はコクンとうなずき、あっという間に元の割烹着姿になった青王様に「それでは続きをお願いします」と声をかけ、三人で黙々とお菓子作りを進めた。


お菓子を一通り作り終えると、青王様と瑠璃はたくさんのお菓子を抱え藤に向かった。

今日は私と寿が Lupinus の店番をする。瑠璃が寿を連れて戻って来るのを待ちながら開店準備をしていると、目の前に四人の人影が現れた。

「またあの男が来ると心配だからね」

「チョコレートが足りなくなっても、すぐに固めてあげるからね~」

「...ということなので、わたしは藤に戻ります!」

瑠璃は「わたしは青王様に連れていくように言われただけですからね!」と、逃げるように戻っていった。

「穂香さん、おはようございます。わたしは商品を並べてますね」

寿はサッとその場を離れ冷蔵ケースにケーキを並べ始めた。

「わたしは瑠璃に連れていってほしいと頼んだんだ。決して命令したわけではないから」

「青王様、なんだか目が泳いでますけど...」

きっと瑠璃に無理矢理ついてきたんだろう。青王様はとても過保護だから、きっと何を言ってもここに居座るんだろうな。たぶん本当の目的はお手伝いだと思うけど...

だけど、本音を言えば二人のお手伝いはとてもありがたい。

「わかりました。商品が足りなくなった時はお手伝いお願いしますね」

「もちろん!」

「わたしたちは邪魔にならないところにいるからね~」

そう言って厨房の奥にある椅子に座った二人。それにしても、割烹着に三角巾姿だと場違いというか、ここにいるととても違和感がある...


ハイカカオチョコは想定をはるかに上回る売れ行きで、午前中にボンボンショコラまで品薄になってしまった。青王様と茜様にお手伝いをお願いして追加のチョコレート作りをしていると、十四時を過ぎた頃にオーナーがやって来た。

「昨日購入したチョコレートがとてもおいしかったから、ぜひショコラティエさんとお話をしたいんだけど」

「私がここのショコラティエですが」

「ああ、あなたがこのチョコを作ってるんだ。ここで使ってるカカオ豆って、もしかしてチュアオ?」

「それは企業秘密です」

「そうか...俺はパティシエやってて、今度東京に店を出すんだ。君の腕は確かだし、もしよかったら俺の店に来てもらえないかな?」

その時、ワイシャツにスラックス姿でエプロンをした青王様が厨房から顔を出し「オーナー、二号店から電話ですよ」と声をかけてきた。

振り向いた私の耳元で「寿と一緒に厨房にいって、穂香は電話に出ているフリをして」とささやき私たちを避難させてくれた。


「彼女がここのオーナーなの?」

「そうですよ」

「なんだ、そうなのか...あ、ねぇ、君はこの店で使ってるカカオ豆の産地、知ってる?」

「それは企業秘密なのでお伝えできません」

「やっぱりだめか。それじゃ今日はザッハトルテを一つもらうよ」

「かしこまりました」

電話を耳に当てながら青王様の様子をうかがっていると、慣れた手つきでラッピングと会計をしている。今まで接客をお願いしたことなんてないはずなのに...


オーナーが退店したのを確認し店へ出ると、青王様が「大丈夫かい?」とそっと背中をなでてくれた。

「態度はいいとは言えないけれど、初めて来たときのような攻撃性は感じなかった。でもあの感じだとまた来るだろうな」

「何度か来るうちに私のことを思い出したりしないでしょうか。私が空良のことを思い出したみたいに...」

「術は効いているからそう簡単には思い出さないはずだよ。だけどこれからしばらくは穂香がここにいたほうがいい。もしあの男が来たときに穂香がいなかったら、瑠璃たちから二号店のことを聞き出そうとするだろうからね。さっきわたしが二号店から電話だと言ってしまったから」

ということは、またオーナーと顔を合わせる可能性が高いということ。怒鳴られなかったとしても何度もしつこく言われたら「言うことを聞かなければ...」と思ってしまいそうで怖い。

「穂香、ちょっと手を握らせてもらうよ」

青王様はそう言って私の両手をギュッと握り「うん」とうなずいた。

「え?」

「わたしもここにいるから大丈夫だよ。次にあの男が来たらしっかり記憶を消してやろう。その時は穂香の力を借りるために手を握らせてもらうからね」

「私の力...」

青王様が言う私の力とはなんなのか、それをどう利用するのか、まったくわからない。だけど、せっかくオーナーから逃れてここまで来たのだから、もうこれ以上邪魔されたくない。

「青王様、お願いします。もうオーナーが来ないようにしてください!」

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