第25話 公爵令嬢、研究者になる

 バモガンの寝室の扉の前に立ち、スレラは緊張する。これから待つ運命を思えば、無理のない事だった。一度深呼吸をすると、意を決してドアをノックする。


「スレラでございます。旦那様のお呼び出しに、まかりこしました」


「時間ギリギリか。まあよい。入れ」


 バモガンは傲慢に命令する。はいいてきたスレラを一瞥すると、ふん、と不機嫌そうな顔をして、テーブルに置いてあるワインをグラスに注ぎ、一気に杯を空ける。かなり飲んでるようで、顔が赤い。


「昼間見たよりも、陰気な顔をしているな。化粧っ気もない……美しい顔が崩れていく姿が楽しみだというのに……最近は質が落ちるばかりだ。仕方がない。ついてくるが良い」


 そう言って、バモガンは椅子から立ち上がるが、その瞬間足がふらつき、そのまま倒れる。


「旦那様?」


 スレラが駆け寄ろうとするが、スレラも強烈な睡魔に襲われ、そのまま倒れてしまう。そしてその直後5人の少女が部屋に現れた。



「セーフ」


 私は額に滲んだ汗を、手で拭きながら言う。睡眠の魔法が効いて良かった。


「私達まで来る必要なかったんじゃない?」


 エナが少し不満そうに言う。


「それは結果論よ。魔法が効かなかったかも知れないし、部屋に罠が仕掛けられてたかも知れないし、護衛の兵士が居たかも知れないわ。何もなくても、レベル40のボス戦をやる羽目になってたかもしれないのよ。25レベルのヘルハウンドですら恐かったのに……用心してし過ぎることはないの」


 私はそう説明するが、4人とも今一つピンときてないようだった。これは恐怖という感情がないせいだろう。だがそれでいい。4人が積極的に行動して、私がブレーキ役を務めれば済む話だ。そっちの方が性に合っている。


「このまま殺しちゃう?」


「うーん。止めとくわ。殺したら別のろくでもない奴が代行として送られてくるか、親戚の中でも変な奴が公爵家を継ぐかしそうだもの。殺せると分かったこいつの方が、まだ安心できるわ」


 まともな者が送られてくる可能性が、限りなく低いのがこの世界だ。バモガンはクズだが、貴族としてはごく普通というのが救えない。


「じゃあ、どうするの?流石にこのままじゃ、こいつも眠らせた犯人を、捜し始めると思うわよ」


 今度はイスナーンが発言する。


「そうねぇ……大分飲んでたみたいだし、アルコールを血液に注入して泥酔させましょう。それにアルコールと併用したら、記憶障害の副作用のある睡眠剤を混ぜれば、何とかなると思うわ。駄目だったら仕方ないと諦めて殺しましょう」


 前世の世界で、一時期睡眠障害になった時に服用していた薬で、丁度いいものを思いだした。服用時より前の記憶まで遡って失わせるため、犯罪に使われ、幾つかの国では禁止薬物に指定されていた物だ。


「じゃあ、私が血管に注射するから、エナは呼吸を、イスナーンは心臓を見てて。その二つが動いてれば、取りあえずは死なないはずだから。トゥリアは吐しゃ物や排泄物が出たらすぐに消してね。汚いし。テッセラは一応スレラの方を見ていてちょうだい」


「「「「分かったわ」」」」


 4人が同時に返事をする。息はぴったりだ。不測の事態が起きてもチームワークで乗り切れそうな気がする。

 私は大きめの注射器を作り出し、アルコールの化学式と、睡眠薬の化学式を思い出し、薬液を注射器の中に生成する。

 飲むお酒を直接血管に注入したら、流石に危険だろうが、純粋なアルコールと薬なら問題ないはずだ。後はどれぐらいの量を注入するかが問題だ。何せこいつは通常状態の他に、化物に変化へんげできる。体重で考えたら10倍くらい違いそうな感じだ。悩んでも仕方が無い事なので、えいままよと、500㎖程、首筋の血管に注射する。

 暫くは大丈夫だったが、次第に呼吸が浅くなり、大量の汗が出始める。一瞬異臭がしたので失禁もしたようだ。もう暫く様子を見ていると、白目をむいて痙攣を始める。


「うーん。間違えたかしら?」


 症状が収まりそうに無かったので、仕方なしにアルコールと薬の成分を除去する。症状は治まったが、眠りから覚める様子はない。何だか眠っているというより、気絶しているような気がしないでもない。途中からは全身に電気ショックを浴びせていたようなものだから、そういう事もあるだろう。

 あまり深く考えずに、次はもう少し少なく注入する。また同じことが繰り返される。


「脱水症状起こしてない?」


 誰かが呟く。よく見れば一回り身体が小さくなった気がする。仕方がないので、薬液に生理食塩水を追加する。

 結局いい具合になるまでに、20回ぐらい繰り返す羽目になってしまった。


「泥酔するのに意外とアルコールの量はいらないのね」


 私は思っていたより注入したアルコール量が少なかったので、そう呟く。体力や抵抗力が一般人と比べるとはるかに大きいのに、余りこういうのには関係ないのだろうか。


「ちなみにマスターは、化学式を思い浮かべて薬液を作ったのよね。思い浮かべたアルコールの化学式は?」


 エナが何かを思いついたのか、そう尋ねてくる。


「CH₄Oよ」


 私は自信満々に答える。実は私は前世で、化学は専門では無かったとはいえ、受験戦争という名の戦場を勝ち抜いた、国立理系出身者だったのである。代表的なものの化学式は頭の中に入っている。


「それメチルアルコール……お酒のアルコールはC₂H₆Oよ。こいつは今、泥酔してるんじゃなくて、死にかけて昏睡してるんじゃないかしら」


 言われてみればそうだった、自信満々で答えた自分が恥ずかしい。メチルアルコールは、毒物に指定されてるアルコールだ。よく考えればあれだけ苦しがっていたのに、全く意識が戻らなかったというのも、ちょっとおかしかった気がする。あれは致死量で、死にかけていたのだろう。


「マスター……」


 直接触れてないとはいえ、一番いやな汚物の処理をしたトゥリアが、ジト目で私を見てくる。罪悪感が芽生える。

 ちなみに義父に対する罪悪感は、全くない。実験できてちょうど良かった、と思ってるぐらいだ。

 それはともかく、トゥリアに余計な事をやらせたのは事実だ。


「ごめんなさい」


 私はトゥリアに、素直に謝った。




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