第6話
「貴方は誰?」
「フレイネル。貴女の敵だ、聖女よ」
敵というには、あまりに丁寧で穏やかな名乗りだった。
「貴女の名は」
「コーデリアよ」
互いに敵であることを承知しながら名乗り合うのも、不思議な感じがする。
「けど、聖女というのは初めての呼ばれ方だわ。貴方は禍刻の英雄のことをそう呼ぶの?」
似た辺りでは、しばらく前に魔馬からラースディアンが聖王と呼ばれていたことだろうか。
「違いはない」
認識が一致しているならば、呼び方はどうでも然程の問題ではない。
ややこしくはなるが、異なる立場でものを見れば表現が変わるのは珍しくないだろう。
ただ、明言されたことでコーデリアには疑問が生まれる。
「人違いじゃないのね? 以前出会った魔物からは、わたしの仲間が聖王だと呼ばれたけど」
コーデリアの言葉にフレイネルは順に三人を見て、うなずいた。
「間違っていない。今代の神子は貴女だ、コーデリア。しかしその魔物の見立てもどうやら正しい。貴方も神子だな、神官」
「……非常に不安定ですが、全く無関係ではないようでしたね」
自分にも刻まれていた禍刻紋のことを思い出してか、ラースディアンは否定はしない。
「レフェルトカパスは愚かな決断をしたようだ。しかし朗報でもある。ここで貴女たちを打ち倒せば、我らが神の悲願にまた一歩近づくことだろう」
「……?」
フレイネルの話す内容がどうにも繋がっていない気がして、コーデリアは眉を寄せる。
(なぜレフェルトカパス神が出てくるの?)
世界を護ってくれている偉大な神だが、生憎、人の身でその恩寵を受けることはほとんどない。
今回の禍刻の主襲来の件に関してもそうだ。レフェルトカパス神は一切手を貸してくれていない。
信心が薄い一因には、求めたときに手が差し延べられない、この距離感の遠さが間違いなくある。
「では、聖神の神子たちよ。貴女たちに降伏を促そう。無駄に命を散らすのは、蛮勇と言うものだ」
「……」
フレイネルの言葉は、また予想外のものだった。
「一応聞くけど。降伏したらどうなるの。命を助けて、人が魔物からも襲われなくなると言うの?」
禍刻の主には理性があったとはコーデリアも思う。意思疎通ができれば、交渉という道もあるかもしれない。
ただそういった禍刻の主に対する印象とは別に、フレイネルが言葉を届けられる立場かどうかがコーデリアには分からない。
「事によっては可能だろう。レフェルトカパスから、我らが神に改宗すればよい。人族の中にも、信仰を変える者はすでに少なくない。戦いの結果は見えているのだ。無用に犠牲を生むことはない」
否定はしきれなかった。実際、禍招の徒という組織がずっと存在しているのだから。
「親切なことだな。戦わずにして勝ちたいってか」
「そういった目論見がある事は確かだ。勝てる戦であっても、戦えば犠牲は出る。分かり切った答えに辿り着くために支払うには、あまりに大きい犠牲だ」
「まだ、負けるとは決まってないわ」
ずっと敗北を前提に語られているのが面白くなくて、コーデリアは反発した。
国の歴史書を信じるならば、禍刻の英雄は――人間は、ずっと過酷の主を退けてきた。
分かり切った結果と言うなら、むしろ勝率的には人間側の方が高い。
コーデリアのした反論に、フレイネルは唇を歪めた。呆れを含んだ冷笑だ。
「自分だけは特別で、勝てるとでも思っているのか。大した自信家だ」
「――?」
どうも、話が噛み合っていない。
(今の言い方だと、まるでこれまでも負け続けているような……?)
だがそれでは、国の史書が延々嘘を書き連ねているということになる。
果たしてそのようなことが可能だろうか。
「だが、貴女の意思は受け取った。ではその命、ここで奪わせてもらおうか」
「!」
軽く右手を振ったフレイネルは、次の瞬間にはどこからともなく取り出した剣を手に握っていた。闇色の刀身を持つ装飾の美しい剣だ。
唐突に表れた得物だが、手品や未知の技術というわけではなさそうだ。フレイネルの剣からは、凝縮した強い魔力を感じる。
(魔力そのものを剣の形にしている)
質量は桁違いだが、コーデリアが拳に神力をまとうのと同じようなものだろう。
「気が早い奴だな。まだ舞台にも上っていないってのに」
「私は貴方たちと違って神子ではない。そして神子ではない者が舞台に上がる前に役者を消してはならないという約定もない。可能であれば聖神とて同じことをするはずだ」
「そりゃそーだ」
舌打ちをしつつ、ロジュスはコーデリアには微妙に理解しきれないフレイネルの主張を認めた。
そして次には短剣を構える。そちらの意味は分かりやすい。コーデリアも拳に神力をまとい、身構えた。
そして対峙して、改めて思い知る。
(どう打ち込んでいいか分からない……)
「では、行くぞ」
剣を目線の高さにまで持ち上げ、フレイネルはその場で突きを行う。空気を裂く音がして、咄嗟に飛びのいたコーデリアの頬に一筋、傷ができた。
血が流れて冷やりとした感覚に背筋が怖気立つが、それどころではない。
不可視の刺突を放った直後。自ら切り込みに走っていたフレイネルは、コーデリアの回避に合わせた動きで剣を振り被っていた。
眼前に迫る魔力の刃を前に、コーデリアには再度避けるだけの時間はない。
(叩いて逸らす!? いいえ、多分無理。拳ごと斬られる。それよりはッ!)
「ふッ」
短く呼気を吐いて覚悟を決め、コーデリアは両手の平で刃を挟み、止める。触れた手の平が焼けた音と臭いを立て、黒煙が上がった。
――熱い。そして痛い。だが手を離すことはできない。離した瞬間に真っ二つだ。
「やッ!」
代わりに、安定を犠牲にして思いきり、フレイネルの横腹を蹴り飛ばした。
手ごたえは重い。というより、芯に届かなかった感覚がある。肉体に届く前に、分厚い障壁に拒まれた気配だ。
(多分、魔力)
フレイネルに、コーデリアの一撃に対して何かしらの対処を行った様子はない。おそらくは常時纏っている魔力に邪魔されたに過ぎないのだ。
そんな、防御とも呼べない障壁に阻まれた。そのことに多少なりと同様を覚える。
攻撃としてはあまり効果をあげなかったが、僅かながら軌道は逸らせた。どうにか飛びのく隙を作って距離を作り、構え直す。
(どうしよう)
そうしながらも、背中に冷や汗が流れるのを意識せずにいられない。
(本当に勝てない)
相手に痛打を与える手段がない。致命的なほどに。
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