第80話 臨戦態勢でした


 「豊! 早く早く!」


 数歩先の白花が俺に手招きをする。


 彼女が恵花市から300キロ離れた釧路に来て一夜が明け、朝を迎えた。特に今日は予定も無く、本来なら自堕落な休日でも過ごそうと思っていたが、せっかく白花が来てくれたのだ、どうせならどこかへ出かけようと俺達が訪れたのは市内の大型商業施設。施設内は休日と言う事もあってか、店内は家族連れやカップル、友達グループなど大勢の人で賑わっていた。


「夏に豊と杏と行った札幌程じゃないけど、人多いね!」

「だな。まずはどこに行こうか? どこか見たい店とかあるか?」

「んーお腹空いた!」


 お腹をさする白花に内心「朝、たらふく食っただろ」と突っ込みつつも、今日はできるだけ彼女の要望を叶えてやろうと決めていた為、俺は彼女と今年水揚げ全国1位の釧路漁港直営の海鮮料理が楽しめる店へとやってきた。

 俺が釧路に来て一番衝撃を受けたのは、とにかく飯が美味い事。それは「何を食べても美味い」と言われる北海道の中でも別格で、特に釧路漁港から水揚げされた豊富な魚介類はどれも絶品だ。


「美味しい! 美味しいよ豊!」


 生簀からあげたばかりの活きの良い魚の刺身を口に運んだ白花が驚きと幸福感で浮かべた笑顔に俺の口角が自然に上がる。


「はい! 豊!」


 白花が箸で摘んだ刺身を俺の口に近づける。皆まで言わなくてもわかる。これは俗に言う「あーん」と言うやつだ。そしてもちろん俺は小っ恥ずかしさから素直に従わない。


「ちょ! そんな事しなくていいって!」

「いいからいいから! はい、あーん」

 

 彼女の押しに負けてしぶしぶ口を開けて、刺身を受け入れると白花は満足そうに微笑んだ。


「美味しい?」

「……美味い」


 確かに彼女が食べさせてくれた刺身は美味い。しかし、それよりも顔が熱い。


 その後も食事を堪能した俺達は店を出て特に目的も無く、施設内を歩き回る事にした。


「白花? せっかく来たんだし何か見たい物とかしたい事はないのか?」

「んー私はこうして豊が隣にいてくれるだけで満足!」

「そ、そうか……」

「あっ! あった! やりたい事!」

「おっなんだ?」

「豊とキスしたい!」

「馬鹿! 変な事をでかい声で言うな!」


 そう言うと白花は俺の耳に顔を近づけて、そっと囁いた。


「私……豊とキスしたい」

「小声で言えば良いってもんじゃねぇ!」


 どうやら白花は昨夜した俺とのキスを忘れられないらしい。いや忘れられないのは俺もなのだが……。


「あれ? 時庭君?」

「ん?」


 突如背後から声をかけられ、振り返ると見覚えのある女性が俺を見ていた。こちらの学校で俺の隣の席に座るクラスメイト、野崎だ。


「野崎! 奇遇だな」

「うん! もしかして隣にいるのは……もしかして白花さん!? 釧路に来てたんだね!」

「あぁ……学校の休みを利用してな。白花、この人は野崎、こっちの学校で凄い世話になったんだ。ほら、前テレビ電話した事あるだろ?」

「……」

「……白花?」


 急に黙りこんだ白花に違和感を覚える。普段なら人懐っこく誰とでもすぐに仲良くなれる白花だが、何故か野崎に対しては警戒するような表情を向けていた。そんな彼女に野崎も察する物があったのか、少し困り顔で笑いながら「よろしく」と呟く。

 すると突如白花は野崎を睨んだまま俺の腕を組んで、「むー」と唸った。


「おい白花! いきなりどうしたんだよ!」


 戸惑う俺の言葉に白花は反応を見せずに代わりに睨み続けていた野崎に口を開いた。


「豊は私とずっと一緒にいるの! 豊は渡さないんだから!」

「……へ?」


 突然敵意を向けられた野崎が呆然と白花を見つめる。俺は慌てて白花と野崎の間に割って入った。


「し、白花!? なにいきなり変なこと言ってんだ!?」

「変じゃないもん!」


 いまだに野崎へ敵意むき出しの白花は俺の腕を組む力をよりいっそう強める。


「ははは、私はお邪魔みたいだね……じゃあ時庭君、また学校でね!」

「悪いな……また学校でな」


 空気を読んだ野崎が俺達の目の前から姿を消すと俺はこの釧路で数少ない友人に失礼な態度をとった白花に説教をしてやろうと彼女の目を見た。


「白花! いったいどういうつもりなんだよ!」

「だって……あの人に豊がとられちゃうと思ったんだもん……」


 頬をぷくっと膨らませる白花に俺は溜め息を吐く。


「あのなぁ……今日の俺はお前と一緒にここに来たんだ。お前を置いてどっか行くわけ無いだろ?」

 

 呆れながらも俺は白花の頭をくしゃくしゃに撫でると彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「えへへ……豊に撫でられた……豊の手好き。豊は大好き」

「全く……今後は今みたいな事はするなよ? 約束してくれるか?」

「……わかった」

「よし、じゃあ今度は次の店に行こう」

「あ、待って! ちょっとお手洗い行ってくるね!」

「わかった。じゃあ俺はここで待ってるからな」

「ちゃんと待っててよ! どこかに行ったら私泣いちゃうからね!」


 そう言って白花は手洗いに向かった。

 彼女を待つしばしの間、何の気なしに目の前の店を眺める。


 ……これは?


 店内に並べられたある物が俺の目に留まった。

 

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