第5話 一緒に住むことになりました
――遡ること1時間前。
彼女を保護してもらうために訪れた交番の警官に事象を説明したが、結果から言うと彼女を保護してもらうことはできなかった。
理由は大きく2つある。
1つ目は彼女について不明な点が多すぎること。
現在警察に届け出されている、どの行方不明者の特徴にも当てはまらず、彼女の捜索願いが出されるまでは打つ手がほぼ無いらしいが、もちろん警察側の方でも彼女の素性についてはしっかり調査してくれるとのことだ。
2つ目は説明した一連の内容と彼女の行動から、俺達が誘拐したという疑いは無いと判断されたこと。
交番についてから、彼女は基本俺達のやりとりを観察しており、その間は何故かずっと俺の袖を掴んで離さなかった。
もし誘拐など強引な手段であれば言葉は話せずとも、彼女のこのような行動は考えにくく、そもそも警察に保護を願い出てくることもないと判断されてのことだ。
以上のことと、長年この町に住み、多くの人から信頼されるじいちゃんの顔もあって、「本来ならばあり得ない話だが、彼女についての情報が集まるまで家で面倒を見てくれないか」と逆に警察から保護を頼まれてしまった。
正直言うと、あまり受け入れたくは無かったが仮に交番で保護してもらったとしても、衣服や部屋などの提供が難しいらしい。
それならば仕方ないとじいちゃんが保護することを承諾し、こうして3人で再び家に帰ってきたわけだ。
「豊、とりあえず俺は嬢ちゃんの部屋を用意してくる。多少埃が積もってるからな」
そう言ってじいちゃんは2階に行った。
リビングに戻った俺はソファに腰掛け、ふぅと息を吐く。
俺の後をついてきた彼女はリビングに入ると、先程と同じように飾っている写真や家具を見て回り始める。
これからのことを考えると不安になってくるが風呂や着替えなど男で対応できないところは杏にお願いしたところ、OKをもらえたので1番大きな問題はなんとかなりそうだ。
――杏には足を向けて眠れなくなってしまったな、今度ちゃんとお礼を言いにいこう。
そう思いながら、俺は冷蔵庫にべっこう飴を取りに行った。
作り置きしておいた最後の1つを手に取り、冷蔵庫の扉を閉める。
そして、片手にべっこう飴を持ったまま振り返ると、先程までリビングを見回っていた彼女が俺の真後ろにいた。
「うわっ! びっくりした!」
驚きつつも、俺は彼女が注目している対象は俺自身ではないことに気づく。
今まで彼女が俺を見る時は俺の顔をじっと見つめていたが、今は顔ではなく手の方を見ている。
そう、今彼女が興味を示しているのは俺が持つべっこう飴だった。
「こ、これはお前のじゃないぞ! 俺のだ!」
俺の言葉を聞いてはいるようだが、彼女は再びべっこう飴を見つめる。
「そんな顔で見つめても駄目だぞ?」
しかし、俺の言葉はもちろん通じない。彼女は持っているべっこう飴に触れようとすると、俺は咄嗟にべっこう飴を持った手を頭よりも高い位置に上げて、彼女からは届かないように避難させる。
「俺のだって!」
すると彼女は自身の背丈よりも上にあるべっこう飴に手を伸ばし続ける。
彼女がこの家に来て、ここまで何かを主張するのは初めてのことだった。
自分の興味の対象が思い通りにならないことから、彼女はやや不満げにむっとした表情をする。
これまでほとんど表情が変化しなかった彼女の新たな一面に思わず動揺してしまう。
その瞬間、彼女はべっこう飴に手を伸ばしたまま、ぴょんとジャンプをしたが、べっこう飴には届かない。
しかし、彼女は諦めずにぴょんぴょんと何度もジャンプを繰り返す。
「あとで作ってやるから! これは俺のなんだ!」
俺ができる最大の譲歩を、やはり彼女は理解できず、未だ跳び続ける。
すると彼女は跳ぶのを中断し、そのまま目線をべっこう飴よりほんの少しだけ下げ、再びジャンプすると、先程までとは違いべっこう飴に手を伸ばすのではなく、べっこう飴を持っている俺の腕に両手でしがみつき、足を浮かせて全体重を乗せてきたのだ。
「なっ! お、お前……!」
いくら女性と言っても、片腕1本ではその全ての体重を支えきれるほど俺は屈強な男ではない。
彼女が目線を下げたのは「べっこう飴を獲るためには、べっこう飴を持っている腕を狙った方が効率的」だと気づいたからだろう。
ぶら下がった状態の彼女に耐えきれず、徐々に腕が下がってくる。
彼女の目線の近くまでべっこう飴が降りてくると――そのまま手に持っていたべっこう飴をパクっと食べてしまった。
「あー! 俺のべっこう飴が!」
俺の悲鳴混じりの声が響く。
数少ない楽しみを失い、今日出会ったばかりで言葉が伝わらないとわかっていても、説教の1つでもしてやろうと、彼女を睨む。
しかし彼女はそんな俺のことを気にもせず、べっこう飴を味わっていた。その表情はさながら無邪気な子供のような顔……いや、それ以上の表情だ。
言い例えるなら、「こんな美味しいもの初めて食べた」と言わんばかりの衝撃と幸福で満たされ、まるで周辺に幸せなオーラが見えるようなキラキラした表情だ。
そんな彼女を見ていると、ついさっきまで抱いていた彼女への怒りもどこかへ行ってしまった。
なにも言えずにいると、俺の声を聞いたじいちゃんが2階から降りてきては、キッチンを覗く。
「豊、どうした? なんかでかい声が2階まで聞こえてきたぞ?」
「こいつに俺の飴食われた!」
「なんだ、そんなことか。べっこう飴ぐらい、また作ればいいだろう」
溜め息をついたじいちゃんは彼女の方を見る。
彼女は先程から変わらず、とても幸せそうな表情でべっこう飴を味わっていた。
「きっと腹でも減ってたんじゃねぇか? 俺らが嬢ちゃんを見つけてから何も食ってねぇし……」
じいちゃんの言葉には納得だが、空腹ならべっこう飴で腹は膨らまないだろう。
言葉も伝わらない彼女を保護することを決めたのだから衣食住をサポートする責任は俺らにある。
べっこう飴が無くなり持ち手の爪楊枝しか残っていないことに不服そうな表情を浮かべる彼女を見ながら俺は立ち上がり、彼女の食べられるものを用意するべくキッチンの方へと体を向けた時――。
「お……れ……」
俺やじいちゃんからは絶対出すことのできない綺麗な女性の声が耳に入った。
今、この状況で女性の声が聞こえるとしたら、その声の主は決まっている。
刹那の思考と共に、反射的に声のする方へ振り返った。
「お……れ……お、れ!」
あまりにも突然の出来事で声が出ない。
神社で出会った時以来、声を出すことがなかった彼女がべっこう飴の持ち手であった爪楊枝を突き出しながら、何度も「おれ」と言ってなにかを訴えてきたのだから――。
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