第25話 確かな愛情の繰り返し
「それでそんなに慌ててたの?」
ちょうど買い物帰りの薫とばったり会い、勢いのまま抱きついた。
驚く薫は荷物を置き、大きな腕で抱きしめてくれる。発狂するばかりの蓮はめいっぱい薫の匂いを嗅いで落ち着きを取り戻した。
温かなほうじ茶と共に、身に起きた流れを彼に説明する。
「確かに、カタカタ音が鳴って動いたんです」
「ネズミとかじゃないの?」
「ネズミもいやですけど、幽霊だったらどうしよう」
「蓮はそういうの敏感?」
「いえ、全然見えたりはしないんですけど」
「別のところは敏感だもんね……いてっ」
「古い建物だから、きっといろんな人が憑いてるんだっ……!」
「もう夕方だし、それなら明日の朝に見てみようか」
「今日、一緒に寝るからっ」
「はいはい。いつも寝てるけど」
なかなか寝つけないまま、朝を迎えた。春休み中だから良かったものの、目の下に隈ができている。
「大丈夫?」
薫は蓮の目元をそっと撫でた。
「怖いなら俺ひとりで見に行こうか?」
「薫さんだけに任せたくないです。幽霊が襲ってきたら、俺が守ります」
「それは頼もしいな。怖くなったら蓮に抱きつこう」
薫は肩を震わせ、笑いをこらえている。
薫は先頭になって、蔵の扉を開けた。重厚な音は歴史が脳裏に浮かぶ。
「あの板?」
「あれです。どうしよ、食べられる」
「幽霊はお腹空かないよ、多分。……ん?」
かた、と音が鳴り、ひいっと蓮は短い悲鳴を上げた。
微かだが、動物の鳴き声が聞こえた気がした。
「やっぱりネズミかな……」
「ネズミの鳴き声とは違うと思うけど……」
薫は恐る恐る近づき、薄い木板を持ち上げた。
暗闇と同化していてネズミかと思ったが、それほど小振りではない。
小さな生物はみゃー、と鳴いてこちらを見つめている。
「猫だ……」
「猫ですね……」
人が怖くないのか、木板から顔を出してこちらへ近寄ってきた。
「まだ子猫だ。近くに親はいるかな」
「だっこしたいけど……触らない方がいいですよね」
「そうだね。匂いがつくといけないから」
子猫はみゃ、と短く鳴き、じっとこちらを見ている。
一度蔵を出て辺りを散策すると、緑の下生えの隙間に毛むくじゃらが見えた。大きな身体の猫だった。
「親だよね? 多分」
「さっきの子猫と毛の模様が似てます。ほら、ついておいで」
蓮たちは少しずつ蔵まで進んでいくと、親猫は警戒しながらついてきた。
「こっちこっち」
蔵の扉を開けて少し離れたところから見ていると、蔵の中で子猫が鳴いた。親猫は中に入っていき、出てくるときには子猫を咥えていた。
「よかった。親が見つかって」
「お化けじゃなくてよかった……!」
蓮は薫に寄りかかると、すっぽりと身を包まれる。
「猫のねぐら専用に……とも思ったけど、それだと衛生面や臭いの問題でご近所とも揉める可能性があるから、ここは俺たちが使い道を考えよう」
「元々は米を保管しておくところだったみたいですが……今だと農具の収納くらいしか思いつきませんね」
「それでいいんじゃないかな。埃がどうしても溜まるところだし、食べ物の保管はちょっと遠慮したい」
幽霊騒ぎは無事に解決し、蓮は安堵した。
あとはこれからの生活に胸を膨らませるだけだ。
幸せだった絶頂から転落するのは、そう遅くはない。
端末に二度ほど祖母から電話が入っていて、かけ直すと今の今まで頭の片隅にもなかった名前が木霊した。
──お母さんね、京都に行くって言ってるのよ。蓮に会うために。
お母さん。久しく聞いていなかった。血の絆は強く、けれど家族としての絆は脆い。
ゴールデンウィークに京都へ行くといってきかないらしい。
カレンダーを見ると、あと数日だ。
家だけはどうしてもばれたくない。ようやく掴んだ幸せの形を壊したくない。
ならば、こちらから会う約束を取りつけるしかなかった。
指先がおかしいほど震えている。こんなに震えるのは、薫と再会を果たしたとき以来だ。
実家の電話番号をタップすると、母の声が聞こえた。身体が硬直し、声帯まで凍りついてしまう。
「ぼ、僕だけど……」
かろうじて出た声は裏返ってしまう。
『蓮、久しぶりだけど元気にしてる? ご飯は食べてるの? あなたひとりで勝手に大学決めちゃうんだから』
「うん。自分の人生だし」
二十歳を超えてようやく判ったことがある。蓮は母親に対してすぐに「ごめん」という言葉が出てしまう。それが弱さを増幅させてしまい、母親のヒステリックな性格をむき出しにさせていた原因でもあった。
なるべく言葉を選びつつ、母親の出方を伺う。
『しばらく会えてなかったでしょう? ゴールデンウィークに合わせてそっちに行くから。待ち合わせ場所は京都駅にしましょうか。地理は詳しくないから、わかりやすいところがいいわ』
「それなら京都駅で待ち合わせで」
しばらく母親の小言が続く。相づちを打ちつつ、時計を気にする。
ようやく電話を切り終えると、蓮は畳に寝転がった。
目を瞑ると過去の映像が次々にフラッシュバックしていく。
一生目が見えなくなったらどうしよう、なぜ生んだと八つ当たりが先走る感情を抱えながら過ごした学生時代。そして荒ぶる心を浄化させてくれる人と出会った。大学を入り直してまた大学生である。人生は判らないものだ。
「蓮、蓮…………」
身体を揺さぶられ、まぶたを開けた。
「大丈夫? そこで寝ると背中が痛くなるよ」
「あれ……僕……」
眠ってしまっていた。外は暗く、夕食を作る時間はとっくにすぎている。
「目、見える?」
薫のトーンが下がった。寝起きだからか、目がかすんでいる。
「ゆ、夕食の準備しないと……」
「落ち着いて。ご飯は出前でも取ろうよ。たまにはピザ食べたくなるし。ひとまず横になって。目薬持ってくるよ」
久しぶりの目薬だ。薬を仲間外れにするからこうなるのだと言われている気がした。
薫は蓮の頭を持ち上げ、膝の上に置く。
「初の膝枕」
「世の恋人たちはこういうことしていちゃついてるんだ……」
「どう?」
「固い」
「あはは、だろうね。ほら、目開けて」
数滴垂らされる。目の医者なだけあって、素早い動きで戸惑いがない。
猫が元気そうだだの、午後はわりと忙しかっただの、薫はとりとめのない話を繰り返した。
蓮自身を落ち着かせようと気持ちが伝わり、目の奥が熱くなる。目薬のせいだと言い訳し、出そうになる涙を必死に抑えた。
薫は蓮をあやしつつ、端末でピザ屋に電話をかける。本当に頼むつもりらしい。しかもLサイズとポテト、サラダも追加だ。
「あ、チキンもお願いします。生地は……えーと、もちもちしてるのなんでしたっけ? そう、それです」
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