第19話 新生活

「いた! れんれーん!」

 『蓮』という名前が『れんれん』と呼ばれるのは運命なのかもしれない。

 大学へ入学するのはこれで二回目だが、どちらも早急に『れんれん』という名前よりも長くなるあだ名をつけられた。嫌なわけではない。高校時代は日が当たる生活ではなかった蓮にとって、むしろ嬉しかったりする。

 高揚感のせいかつい太陽の光を浴びたくなる衝動を堪えながら、肩を叩く年下の生徒を見つめた。

「珍しい! 今日はお弁当?」

「お弁当作りに慣れようと思って」

「へー、急になんで?」

「今度の休日にお弁当持って遊園地に行くことになったんだ。それでちょっと練習」

「偉いねえ。俺なんて料理まったくできん。できたらモテるようになるのかな? 合コンやっても全然だよ、俺」

「モテるかどうかは判んないけど、お金の節約にはなるから作れないより作れた方がいいと思う」

「あ、佐藤と宮野じゃん。一緒するわ」

「どうぞどうぞ」

 佐藤と呼ばれた彼は、佐藤星夜という。珍しい名前で、初めは名前を名乗らず佐藤と言われたいと笑っていた。なので「佐藤君」と呼んでいる。

 蓮は自分の年齢を明かしていない。距離を置かれたくないのと、勉強しに大学へ来ているため年齢は関係ないと思っているからだ。だからこそ、同じゼミの生徒から宮野やれんれんと言われていた。

「れんれんがモテたいがために弁当作りを始めたらしい」

「聞いてた? 僕の話」

「遊園地に弁当持ってくから、練習してるらしい」

「そうそれ」

「弁当って料理作るより面倒くさくない? 作ったと思ったら入れ物につめなきゃいけないし」

 同じゼミの彼女は、げんなりとした様子でコンビニのサンドイッチを広げた。

「お前、料理すんの?」

「するけど、ラーメンとか作っても鍋のまま食べるタイプ。皿に盛ると洗い物大変じゃん」

「うわ……」

「女に夢見すぎんな」

「わかってますー。だから俺は彼女ができないんだ」

 佐藤は頭を抱えてしまった。

「ちなみに好きなタイプってどんな人?」

「家事全般得意で、俺の言うことにいっつも笑ってくれて、健気で三歩後ろを歩いてくれる子かな」

「うわ……」

「合コンに絶対来ないタイプだわ。アンタって女兄弟いないっしょ?」

「兄貴がふたり! れんれんって、恋人と同棲してるらしいけど、料理とかどうしてんの?」

「えっ彼女と? うそ、やだ。進んでる」

「バイトがない日は、僕がご飯作って、バイトで遅くなる日は同棲相手が作ってくれる。それか、普段は作り置きとか食べてる感じかな」

「お金は? 揉めたりしないの?」

 二人とも興味津々だ。講義を聞くよりも真剣そのものだ。

「相手が社会人だから、基本的には恋人が多く出してくれる。元々向こうの住んでるマンションに僕が転がり込んだ感じだし。それじゃあ悪いから、少しでもバイトして負担を減らして、多めに家事をやるようにしてる」

 話ながら、語尾が消えるほど小さくなった。

 恋愛経験自体が乏しく、語れるほど多くはない。

「文化祭とかに連れてきなよ。会ってみたい」

「ええ? それは……聞いてみないと」

 前の大学のときは、来てほしくてたまらなかった。手が届くとなると、あんな素敵な人を隠したい気持ちもある。ただの独占欲だ。

「じゃあ食べ終わったから先に行くね」

「あ、逃げた」

「逃げてない」

 空になった弁当箱を片づけ、蓮は食堂から出た。

 蓮は図書館へ移動すると、窓際でノートパソコンを開いた。この前の会話を思い出しながら、窓越しに見える生徒たちを眺める。

『来週の日曜日なんだけど、空いてる?』

『バイトもお休みですけど、何かあるんですか?』

『ミカが遊園地に行きたいって言うんだ。蓮君もよければ一緒にどうかな』

『僕はいない方がいい気がするんですけど……ミカちゃんは薫さんとデートがしたいんじゃないですか』

『蓮君も一緒にってさ。それで、お弁当を作って行こうって言ってる』

『お弁当?』

『そ、お弁当』

『簡単に言いますね……僕、お弁当なんて作ったことないですよ……』

『奇遇だね、ふふ』

 薫は不敵な笑みを浮かべた。

『……練習しますか。明日の昼食は、ふたり分のお弁当作ります」』

『蓮君も? バイトだっけ?』

『大学の図書館で勉強しようと思ってたんです』

『なら俺が朝食の用意をするよ』

 今朝のやりとりが浮かび、にやける顔を抑えるのに必死だった。


 京都の夏は暑い。東京よりも熱く感じる。

 太陽が頭部を照りつけ、熱を吸収し限界を感じた頭は汗を吹き出す。

 一軒家では涼を求めて縁側に風鈴を吊るし、夏の暑さを軽減させている。

 なるべく日陰を歩きたいところだが、残念ながら影が伸びるにはまだ早く、日陰がほとんどない。

「ただいまー。あっつ……」

 ポロシャツのボタンを全開にしているが、あまり意味を成さない。それどころか、日光までもが隙間に入り込んできて、余計に身体が火照っている。

 家主は外出中だ。冷蔵庫のホワイトボードには『スイカもらってきます』と書かれている。スイカの時期にはまだ早いが、一年前にもあった光景を思い出し、宮野蓮は顔をほころばせた。

 冷蔵庫に食材をつめ、蓮は温めのシャワーを浴びた。朝も浴びたが、肌に張りつく感覚が受けつけない。

 タオルで頭を拭きながら出ると、キッチンで物音がした。

「蓮君」

「薫さん、おかえりなさい」

「ただいま。シャワー浴びてたの?」

「汗すごくて。大きいスイカですね」

「もう少し時間が経てばもっと大きくも甘くもなるって。とりあえず味見してみてって母さんからもらってきた」

 桶に氷を入れて、スイカを丸ごと入れた。縦縞がしっかりとしていて新鮮な証だ。

「マンションって、風鈴つけるのダメでしたっけ?」

「あんまり音が鳴るものは良くないかな。急にどうしたの?」

 窓に蝉がぶつかった。蝉も驚いているだろうが、蓮の心臓も悲鳴を上げている。とっさに隣にいる家主に抱きついた。ここぞとばかりに抱き返された。

「びっくりした……!」

「役得。それで、どうして風鈴?」

「ええと……買い物から帰る途中に気づいたんですが、風鈴をつけている一軒家が多かったんです。音が綺麗で、暑いのに涼しく感じました」

「俺たちが一軒家に引っ越しすればできるかもしれない。ここ田舎だし。まあそれは蓮君が大学を卒業するタイミングで考えようか」

 蓮は薫のいるマンションへ引っ越ししてきた。家具一式は揃っていて、薫もわざわざ寮を借りる必要はないと言ったからだ。

「スイカもらいにいって思ったよ。庭がないと家庭菜園ができない。親に言ったら真顔で『稼げ』って」

「あははっ……僕も資格を取って稼いで、薫さんに美味しいいなり寿司をごちそうします」

「それは蓮君の手作りがいい」

「今日は材料がないので、明日買ってきますね。明日の夕食はいなり寿司にしましょう」

 蝉こわいー、とぐいぐい押し合っていちゃつきつつ、蓮はふたり分のコーヒーを淹れた。最近よく作るのは水出しコーヒーだ。パックに入っているので、麦茶を作る感覚で数時間浸せば簡単にできる。牛乳と混ぜ、カフェオレにした。

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