第1話 『フリードベルク家の女執事』
グレイシャルが生まれて半年ほど経ったある日。
――――
グレイシャルは元気な子に育っていった。
生まれたときは産声を上げなかったどころか心臓すら止まっていた、などとは思えない程に。
どれくらい元気かといえば、まだ這いずって動くことしかできないのに、屋敷の中を端から端まで動き回ったり。
もしくは庭に出て、花壇の中に突撃して泥だらけになるほど元気だった。
「ぼ、坊ちゃまぁ! お待ちくださいませ! 坊ちゃまぁ!」
多くの使用人が悲鳴を上げながら、毎日のように捜索したり追いかけたりしていた。
しかし赤子のグレイシャルは意にも介さずそんな日々を送っている。
それもそのはずだ。
今の彼には目に映る物全てが、新鮮で美しく思えているのだから。
そんなグレイシャルはよくイタズラをして過ごしていた。
ある時は皿を割り、またある時は洗濯物を隠したり。
普通の家の子供ならば親に躾をされる。
しかし親バカとはよく言ったもので、アリスとカールはそんなグレイシャルを叱るどころか、逆に褒め称える始末だった。
「流石だなグレイ! 産まれたばっかなのにこんなによく動けるなんて、僕に似たのかな」
「違うわよカール。グレイは私に似てるの! 目を見なさい。私と同じ空色の瞳よ!」
「えぇ? それを言うならグレイの髪の色は、僕と同じで白色だよ」
そう言って毎日、どっちに似たのかを話し合う二人。
だが、最終的にはいつも同じ結論にたどり着く。
「「まあ可愛いからいいか!」」
このままではマズい――
そう思った使用人達は、金髪で琥珀色の瞳をしており、丸メガネが特徴的な女執事に相談した。
「――という訳で、我々も仕事が増えすぎて困っているんです、サレナ様」
サレナは深く溜息を付いた。
「まったく、カール様にもアリス様にも困ったものですね……。わかりました。二人には私が言っておきます。皆さんは仕事に戻ってください」
サレナは使用人達を部屋から追い出し、窓の外を眺めながら呟く。
「本当にあの人は、優柔不断だったり極端だったり……」
サレナは自分の部屋を後にしてカールの執務室に向かった。
――――
私はバーレルの街の酒造ギルドのトップであるジャイル・バーレリアの娘、サレナ・バーレリアである。
幼い頃から兄がギルドを継ぐことが決まっていたので私は、将来は何か別の所で働くように常日頃から父に言われていた。
そうして七年前、私が17歳の時。私は王都の学校に通うことを決めた。
裕福だったこともあり父は簡単に許可した。
というより、跡継ぎ関連の無駄な争いを起こさないためだろう。
私は三年間、王都の学校で経済学や貴族としての礼儀を学んだ後、バーレルの街に帰ってきた。
問題は翌年、ライン歴924年に起こった。
バゼラントの西にある大きな島。
竜しか住んでいないとされる島から竜が飛んで来て、街を破壊した後に自分の巣としたのだ。
当時のバーレルの街の領主や警備隊はその時の戦いで無惨にも殺され、王都から派遣された騎士団も力及ばず同じ結末を迎えた。
バゼラントが誇る最強の戦士であり『バゼラントの死神』の称号を持つ、獣人ジアを派遣しろとバーレルに住む者は王に言ったが、その時ジアは遠く離れた異郷の地、マデュール王国に任務で行っていた為、竜を討伐する事は事実上不可能だった。
悩みに悩んだ王は自らのメンツと民の命を天秤にかけた結果、隣国であるクロード王国に騎士団の派遣を要請した。
そしてクロード王国はそれに応えた。
クロード王国は、世界最強と言われる自国の騎士団である『青薔薇騎士団』から、
その時に、竜にトドメを刺して街を救ったのが『カール・フリードベルク』と『アリス・イェルケン』だった。
通常であれば任務はそれで終わり、カールとアリスはクロードに帰っていただろう。
しかし、強かなバゼラント王は借りを作るだけでは終わらせなかった。
『竜を討伐した褒美』と称してカールとアリスに貴族の地位と莫大な金を授けるから、死んでしまったバーレルの街の新たな町長になってくれないかと頼み込んだのだ。
カールとアリスは一年間悩んだ末に王の提案を承諾。
結婚していた二人は青薔薇騎士団を抜けてバーレルの街に引っ越してきた。
そして
こうして策士と名高いバゼラントの王『セン・ヨルク・バゼラント』は、竜すら滅する力を持つ者を自国に引き入れた。
そしてカールは思っていた通り領主としてもクロードとのパイプ役としても優秀だった。
カールとアリスのお陰で街は二年で復興を遂げ、竜に破壊される前よりも栄えていた。
人々は二人を英雄とか、平和の象徴とか持て囃した。
何を隠そう、私もそのうちの一人だ。
人としても、使えるべき主としても大好きだった。
それが今や――
「グレイちゃん~! 君は本当に可愛いなあ! お母さんの茶髪じゃなくて、お父さんと同じ白色の髪の毛でよかったちゅね~! できれば瞳も、僕と同じ緑色になってくれればよかったけどね!」
「何言ってるのよカール! グレイは私と同じ空色の瞳で嬉しいって言ってるわよ、ね~!」
正直、見ているだけで頭が痛くなる。
親バカを通り越してただのバカだ。
「カール様、書類が全く進んでいないようですが。アリス様も、本日は酒造ギルドに顔を出すと仰っていましたよね。どうなされたのですか?」
私は二人を睨みつけた。
しかし、二人は気にも留めず、
「まあまあサレナ! それよりもこの可愛いグレイを見てくれ! ほら、可愛いだろ!?」
「私も、やっぱり今日は行かないわ! グレイと遊ぶことにするわ!」
などと言った。
私は正直、言葉を失った。
子供の事になると人間はここまでダメになるのか。
言いたい事は色々あるが、とりあえず深呼吸をする。
そして最後に、深く溜息を付いてから。
私はカールとアリスとグレイに当たらないように、執務用の机を窓の『外』に蹴り飛ばした。
「いい加減にしなさい。カール・フリードベルク、アリス・フリードベルク。あなた達は、自分がどのような立場の人間なのかを理解していない」
二人は呆気にとられて口を開けている。
だが、グレイシャルは突然大きな音が聞こえて来て恐ろしくなり泣いてしまった。
「ちょっと! いきなり何するのよサレナ! グレイシャルに当たったらどうするの!?」
「そうだよサレナ! 突然どうしたんだい? なにか不満があるなら聞くよ」
ここまで言われてまだ分からないのか。
ならば仕方ない。
分からないのなら、分かるまで言うだけだ。
「
まずは息子の方を私は見つめた。
「一つ目。あなた達がその子、グレイシャル様に対してまともに躾をしていないことです。そのせいでその子は笑いながら物を壊したり、ところ構わず汚したりしています。対応に追われる使用人身にもなって下さい」
「ちょっと待ってよサレナ。この子はまだ生まれて半年よ? ちょっとのイタズラなんて当たり前よ?」
「普通の家の子供なら別に、それでも良いのでしょう。しかしグレイシャルはフリードベルク家の跡取りです。それ相応の品格が求められます。赤子だからなどという戯言は、貴族の社会では通用しません」
アリスはそう言われて黙る。
次に私はカールを見た。
「二つ目。その子が生まれてからあなた達は碌に仕事をしていない。カール様が働かない分を私が寝ずに働き、アリス様が働かない分を他の使用人たちが働いています。知っている分野ならまだしも、魔術に関する分野の仕事など、専門外もいいとこです」
「い、いやいやサレナ……。確かに僕たちは最近グレイにばかり構ってはいたけど、一応自分の仕事はやっているつもりだよ?」
「だから駄目なんです。やっている『つもり』というのは、大して働いていないのに働いた気になっている、典型的に仕事のできない無能の言い草です。カール様はまだ良いです。最悪、私がどうにかできます。でも、アリス様の仕事は大変どころの話ではありません」
カールも黙り、二人はようやく反論すらしなくなった。
だが、ここで手を緩めてはいけない。
私の父がいつも言っていた。
『サレナ。もし誰かを叱ることがあるのなら覚えておけ。叱る時は徹底的に叱れ。プライド・メンツ・自信。そういった物で自分を守れなくなるまでな。だが叱るだけ叱ってポイ、というのは良くない。如何に論理的であろうとただの暴力と変わらなくなってしまう。いいか。最後には、必ず相手の気持を尊重しろ』
要はアメとムチを上手く使い分けろ、と言う事だ。
「三つ目です。先に述べた内容と被りますが、この二つの問題のせいで使用人達は本来の職務が碌にできません。時間がないのです。そのせいで辞める者も出ており、少しずつ屋敷にも影響が出ています。具体的には、掃除が行き届かない事や食事の質が低下している事」
二人はようやく事の重大さを悟ったようだった。
「今はまだなんとかなっていますが、このまま行けば近いうちに確実に、この屋敷はダメになります。それはつまりこの街の腐敗にも繋がります。そうなれば王はあなた達を投獄、悪ければ死罪にするかも知れません」
子供の泣き声がやけに頭に響いてくる。
まるでカールとアリスの為に謝っているかの様だ。
「私はあなた達にそうなって欲しくない。グレイシャル様だって、
私は再び溜息を付いた。
父の影響で溜息を付くのが癖になっているのだ。
「だから変えていきましょう。変わっていきましょう。あなた達がやると言うのなら、私はどこまでも付いて行きます」
私は泣いているグレイシャルを抱き上げた。
「この子が二人のことを、この街のことを。いつか自信を持って語れるように」
そうして私は二人に向かって微笑んだ。
――――
それ以来カールとアリスは己の職務を遂行し、グレイシャルをしっかりと躾をするようになった。
例えばある時、グレイシャルが壺を割った。
アリスはグレイシャルの元に飛ぶように駆け寄ると、彼を烈火の如く叱る。
「こら! だめでしょ! これはお父さんが尊敬する人から貰った壺なのよ!」
そう言ってアリスはグレイシャルの頭を軽く叩いた。
グレイシャルは泣いてしまったがアリスは、
「でも、あなたに怪我がなくて本当に良かったわ」
と言ってグレイシャルを抱きしめた。
カールはと言うと、真面目に領主としての仕事や子爵としての王の家臣の仕事をこなすようになった。
そのお陰で使用人たちも仕事量が減り、本来の職務をする時間が確保できる様になった。
家もしっかりと掃除が行き渡っており、食事の質も元に戻った。
これでこそ、だろう――
私はと言うと、特に変わったことはない。
が、より一層二人と過ごす時間が増えた気がする。
自分で言うのも何だが、貴族相手にあんなことをして良く生きていると思う。
「『やらないで後悔するより、とりあえず動いて猛省しろ』だったよね、父さん」
私は今、竜から街を守る為に戦い命を落とした父の墓参りに来ていた。
今日はカールに言って休みを取ったのだ。
子供の頃は理不尽なだけの父だと思っていたが、今になればわかる。
父は父なりに、相手のことを考えていたのだ。
真に恐れるべきは衝突ではなく、すれ違いなのだろう。
あぁ……。
私は、昔は嫌いだった父のことが今は――
「おーい、サレナぁ! ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど! 休みのところ悪いね! 明日こそ休みでいいから!」
私は深く深く、溜息を付いた。
しかしいつもと違いその顔は恐らく笑っていただろう。
「またですか。だから昨日、一人で大丈夫か聞いたじゃないですか」
「あはは。いやあ、悪いねえ」
この人は本当に……。
私は立ち上がり、カールの元に歩いて行った。
「ありがとう、お父さん」
誰にも聞こえないように、小さく小さく、呟きながら。
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