第25話 あいつが私の……

 ——ドラゴン。

 それは、神話に出てくる怪物である。

 その姿は爬虫類に酷似しており、またその強さは数ある伝説上の生き物の中でもだと言われている。

 だいたい、この辺は共通認識だろう。

 そして、今牙人を威風堂々と見下ろすこの生物を何と呼ぶと問われれば——その「ドラゴン」にほかならない。

 牙人の目が確かならば、男の肩に乗っていたトカゲが、謎の光とともに急激に巨大化したようだった。

 ただ、トカゲがそのまま大きくなったわけではないのは明らかだ。少なくとも、普通のトカゲには翼は生えていない。


「……あれって、ドラゴンになる能力とかだったりします?」

「知るかんなもん!」

「ですよねー」

 かろうじて出した声での有悟への質問は、至極当然の答えで一蹴された。

 ドラゴンが、喉の奥で唸り声を響かせながら、前足を一歩前に踏み出した。


「あははははははは! どうだ! こいつが! 僕のだ!」

 子供がおもちゃを自慢するかのような誇らしげな声が、廃工場の中に響き渡る。

 ドラゴンの足元で、痩せた男は腕を大きく広げながら、心底愉快そうに笑っていた。

「乙でぇす! さあ、どうしてやろうか! どうしてほしい!?」

 哄笑する男は、こちらを煽るように言葉を吐いてくる。

 正直ちょっとうざい。だが、牙人の意識は圧倒的に別のものに支配されていた。こちらを睥睨へいげいする金色の瞳に、ぶるりと身を震わせる。無意識に、唾を飲んだ。


 背後から、けほけほと咳まじりの呻き声が聞こえた。

 振り向くと、ぽつりと空間に穴。千春の“ゲート”だ。

「あいつは……周郷すごうは……“洗脳”の能力者だ……」

 “ゲート”から、栞が千春の肩に寄りかかりながら出てきた。息切れしながらも男——周郷を憎悪の視線で射貫くように見つめる。

「あの怪物が何なのかはわからないが……おそらく、やつの能力で操っているんだろう」

「寺崎、大丈夫……ではなさそうだな」

「うん、“黒影”で衝撃を殺したけど、このざまだ。……急に飛び出してすまない。周りが見えなくなっていた」

 栞は唇を噛んで、頭を下げた。

 その時牙人の脳裏をよぎったのは、栞と二人で帰った夜のこと。

 あの後、牙人は何を誓ったか。


 ——守らなければならない。


 牙人と違って、簡単に壊れる。簡単に、死ぬ。だから、守ってやらなくちゃいけないのに。

 ……それが、この体たらくだ。

「呆けてる場合かよ……」

 小さく呟いた牙人は、静かに拳を握り締めた。

「……生きてんならいい。それより、“洗脳”っつーとあいつは……」

 有悟の言葉に、栞は再び炎を宿した視線を周郷にぶつけた。

 さすがにそれに気づいたのか、周郷は笑うのをやめて「んあ?」と怪訝そうにこちらを眺める。


「あいつが私の……!」


「っ!」

 驚きの一方、ああそうか、と牙人は妙に納得した。

 なるほど、瞳の炎に既視感があったわけだ。

 ——復讐心。

 わき腹の古傷が疼いて、牙人は無意識に手をやった。


「え? そうだっけ?」

「……っ! お前ぇ!」

 道でぶつかった人に言いがかりをつけられた、とでも言いたげな表情で、周郷は首を傾げた。

 激昂した栞が前に出ようとするが、「ぐっ」と顔をしかめて崩れ落ちる。

「駄目だよ栞!」

 その体を支えた千春が、悲痛な声で言った。


「待てよ? 夫婦って言うと……ああ、あの二人の娘か! そういえば能力も似てるわ。全然気づかなくて草ぁ」

 合点のいった、というふうに拳を手のひらに打ちつける周郷。

「いやあ、あれは我ながら酷いことをしたと思ってるよ。けど、騙される方も悪いって言うし? “局”の一員ともあろうものが、そう簡単に……」

「……おい」

 へらへらと言い訳まがいのことを並べ始めた周郷の台詞が、どすの効いた声に打ち消された。

「いつまでもつまんねーこと言ってんじゃねえぞ。てめえの話なんざ聞いちゃいねえんだよ」

「……っ」

 有悟の迫力のある眼光に、周郷はひるんだように言葉に詰まった。しかし、すぐに気を取り直すように咳ばらいをすると、「まあいい」と引きつった顔でわざとらしくため息をついた。

「とにかく、お前らがこの取引めちゃくちゃにしたんだよな?」

「……それがどうした」

「この前の“念動力”のガキのときといい、僕の邪魔ばかりしやがってさあ……!」

 周郷は台詞の中でだんだんと語気を強め、きっとこちらを睨みつけて指を突き付けてきた。

「せっかく“異能力暴走剤”で一儲けできるって言うから様子を見に来たのにさあ。お前らのせいで台無しだろうが!」


「……今、なんつった」

「はあ?」

 僕が作った、と。周郷は確かに、そう言った。

 あの黒い飴。牙人の初仕事をとんでもなく面倒なことにしてくれたあれを作ったのがこいつだと、そう言ったのだ。

 その前には、「“念動力”のガキ」とも。間違いなく、英司のことだ。


「……なるほど。俺も個人的に、あんたを大いに殴りたくなってきた」

 理由は十分。なかなかに腹が立ってきた。

 牙人は感情を吐き出すような長めのため息をついて、その眼部にあたる箇所を鈍い赤に光らせた。

「くそが! 僕が責任取らされんだよ……!」

 周郷は右手で顔を鷲掴みにするように覆って、声を荒げた。

 言葉を切った周郷の右腕が、糸の切れた操り人形のそれのようにぱたりと下ろされる。顔を上げて血走った眼を見開き、周郷がわめいた。

「ふざっけんな!」

 周郷の叫びに呼応するように、ドラゴンが咆哮を上げた。




 先手必勝。

 駆け出した牙人は、勢いそのままに地面を蹴り、跳躍した。

 空中で回転しながら、遠心力を利用したかかと落としがドラゴンの鼻先に炸裂。


 ——が。

「うそん」

「グルゥ……」

 ドラゴンは、鬱陶しそうに首を振って唸り声を上げた。

 正直、今ので沈めるつもりでいたのだが……。

 全く効いていないわけではなさそうだが、牙人のそこそこ本気の攻撃に余裕で耐えてみせるとは思わなかった。

 片手を着いて着地した牙人は、乾いた笑みを漏らした。

 むしろ、こっちのかかとが少し痺れた。体表を覆う、紫に輝く鱗。ドラゴンの鱗といえば、RPGなんかでは強力な装備の素材として使われることも多いが……。まさか、実際にその強靭さを思い知ることになろうとは思ってもみなかった。


「グルルァ!」

 そんなことを考えていると、今度はこっちの番だと言わんばかりに、ドラゴンが前足を振り上げた。

「っ!」

 飛びのいた牙人が先程までいた空間を、鱗に覆われた前足が通過していく。

 回避が間に合わなかった有悟が、腕を体の前で交差させるのが見えた。野球で芯を捉えた打球のような音。有悟の体は軽々と、壁際に置き去りにされた資材群へと突っ込んだ。

「隊長!」

「ってぇな! 痛かねえけど!」

 体の上に乗った鉄骨をぶん投げながら、有悟が起き上がった。

 急いで顔を戻して構えなおした牙人の視線の先で、ドラゴンが動きを止める。

「……?」


 空中に紫色の光が現れたかと思うと、光を中心に素早く幾何学模様が映し出された。


「うおうっ!?」

 刹那、そこから発射されたものを、横に転がって避ける。

 銃弾のようなスピードでコンクリートの床に突き刺さったそれは、のような形をしていた。数秒すると、黒い槍は煙のように掠れて消失した。

「……なんだこれ」

 喉からかすれた声が出た。

 トカゲからドラゴンに変身し、円形の奇怪な紋様から槍を放つ。

 そんなのまるで——。


じゃんか」


 思わず牙人の口から出たその単語を肯定するかのように、ドラゴンの傍らに新たなが生まれた。

 その隣、またその隣にも……。次々と展開される幾何学模様は、眼前を埋め尽くす勢いで広がっていく。


「おいおいおい、嘘だろ……!」

 本能ががんがんと警報を鳴らしている。

「あはははははははははは! まとめてくたばれカス!」

 周郷の狂ったような哄笑とともに。


 無慈悲にも、数十はあろうかという魔法陣から、漆黒の槍が一斉掃射された。

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