第13話 ふわふわ
暴れるように飛び交う無数の物体を、迎え撃ったり、ときどき躱したり。
地道に、だが確実に、じりじりと本体——英司との距離を詰めていく。
先程感じた違和感とそれに対する仮説は飲み込み、目の前のやるべきことに集中する。それが今の最適解だ。
第一、頭脳派でない牙人に、細かく考えたりというのは向いていない。高卒の上にテストも平均辺りをうろうろしていたやつに、灰色の脳細胞を期待されても困るというものだ。
「ぐぁ……ぇはっ……ああああああああ!」
一方の英司はなおも苦しそうで、しゃがみこんで言葉にならない悲鳴を上げている。
周りを気にかけている余裕もなさそうで、先程までの爽やかで明るい、少し抜けている少年とはまるで別人のようだ。
鬼気迫った表情で、獣のように唸るばかり。
使用者への強い負担——栞の言葉が、なぜだか耳に残る。
自分すらも傷つける、望まぬ力の暴走……。
「ま、手のかかる子ほどかわいいって言うしな!」
軽口を叩きながら、投げ槍のごとく頭部めがけたぼろぼろのビニール傘を鷲掴みにする。
誰だ、こんな場所に傘を捨てたのは。
顔も知らないポイ捨て野郎に心の中で八つ当たりして、傘を遠くに投げる。
しかし、集中砲火を食らいながらも、結構前進してきたものだ。
英司との間も、あと五メートルといったところか。
この距離ならば、タイミングを見計らって前に跳躍すれば余裕で……。
「うおっ」
突然生じた体の違和感に、牙人は驚きの声を上げた。
なんだか体が軽い。重力が消えたかのようだ。
内臓が本来の位置にないような、気持ちの悪いふわっとした感覚。まさに浮遊感。
いや、事実——
「うわー……嘘だろ?」
自分の考えの甘さに舌打ちが漏れる。
どうしてこの可能性を考えていなかったのだろう。
自分の力の及ばないところで自分の体が勝手に移動させられる不快感。
抜け出そうにも、目に見えない力で持ち上げられている以上、もがいても脱出は不可能だ。頭ではわかっているが、せめてもの抵抗になればと体をよじる。しかしそれもむなしく、案の定全く効果は表れない。
ゆっくりと地面が離れ、牙人は羽をつままれた昆虫のように無様に体を揺すりながら、思考と視界を回す。
なんだか手足もうまく動かせない。水中にいるときみたいだ。体全体を包み込まれて、一挙手一投足に制限を受けるあの独特な感覚。
牙人の文字通り人外の
周りにつかむものがあればあるいは……と思うが、周囲に生えていた木は文字通り根こそぎ英司の力の支配下だ。
「地に足つけた生活したいんだけどな……」
そんな皮肉が通じるはずもなく、見晴らしのいい景色を拝めるほどまで体が浮き上がる。
このくらいの高度から叩きつけられたくらいでやられるほどやわではないが、問題はそこではない。
うめき声を上げる英司を見下ろす。
彼を止めるのが目的なのだ。そのために、一発叩き込まなくてはいけない。長引けば、周囲にさらに被害が出て、いろいろと面倒なことになるだろう。
それに……これ以上、
しかし、そうは言っても焦燥感に包まれた頭に名案が浮かぶわけもなく。
そうこうしているうちに、体に再度ふわりとした感覚が生まれる。今度は横方向。ジェットコースターの方向転換の瞬間を思わせる感じ。
反射的に進行方向となりうるだろう方角を見やると、そちらには渦を巻くように飛び回る自然物の集合が。
これは、少しまずいかもしれない。毛が逆立ち、はは、と乾いた笑みが漏れる。
——と。
腹部に突如小さな違和感を感じ、視線を下に向ける。腰に黒い帯が何周にも巻き付いているのを確認したと同時、今度は背中の方向にぐん、と引っ張られた。
「お」
少し後方に体が動いたと感じた瞬間、体を縛るようだったあの妙な感覚がふっと消えてなくなる。
「おおおー」
そのことに疑問を覚えながらも、間抜けな声を上げてされるがままに加速度運動をする牙人。
太めの木の後ろに入ったところで次第に減速下降し、地面から三十センチほどの高さになったところで、しゅるりと帯が解けた。危なげなく着地し、恋しい地面を踏む感触を噛み締めてから後ろを向く。
「……助かったよ。寺崎」
「まったく。助けが必要なら言えといっただろう」
「返す言葉もない……」
巻き尺を戻すように“黒影”を右手のひらに収納しながら、栞は呆れた様子でため息をついた。
「すまん、ちょっと焦りすぎてた。ありがとうな」
素直に感謝を告げると、栞は「わかればいいとも」と満足げに笑ってみせた。
人間、予想外の事態に直面すると当たり前のことに気づけなくなるものだ。
そんな感覚はとうの昔に捨てたつもりでいたが、この一年で平和ボケしたか……。
「……ほんと、助かるな」
かすかな呟きは、湿気を孕んだそよ風にかき消され、栞に届くことはなかった。
「しかし、これでは近づいて叩けないな」
栞は牙人から視線をずらして、樹木越しに英司を見やって唇を噛んだ。
「千春がいればまだ……」
「あ、それなんだが」
小さく手を上げた牙人に、栞が疑問の視線を向けてくる。
先程感じた違和感。
確証はないが、試してみる価値はある。
「ちょっと思ったことがあるんだ」
「思ったこと?」
「ああ。少し賭けの要素が強いんだけど、どうします?」
「……聞かせてくれ」
「うす。そんじゃ……さっきから違和感があったんだよ。あいつの攻撃、なんか単調すぎやしないかって。念動力を使ってるなら、もっと複雑な動きをしてもいいはずだろ?」
「それは、理性が飛んでいるからじゃないのか?」
「その可能性ももちろんある。けど……」
牙人は、己の右拳を静かに見つめた。
「手ごたえがないし、抵抗もなく叩き落せる。……まるで、見えない手に
「つまり……念動力で投擲をしていて、操っているわけじゃないってことか?」
確かめるような栞の問いかけに、肯定の意を込めてうなずく。
「で、さっき寺崎に引っ張られたとき、少し位置がずれただけで念動力の影響が消えたんだ。もしかしたら、有効範囲、みたいなものがあるんじゃないか? イメージとしては、そうだな……中に入ると念動力が働くシャボン玉……みたいな。それを操る異能力なのかもってのが、俺の仮説だ」
探るように言葉を選んで、拙いながらもなんとか主張を終える。
ほとんどが戦闘経験からなる野生の勘によるものだから、言語化するのが難しい。
栞は「ふむ……」と少し考えると、しばらくして確かめるように口を開けた。
「なるほど。……要は、テレキネシスじゃなくてサイコキネシスということだな」
「……それって何か違うのか?」
「テレキネシスが『物体に直接働きかける念動力』、サイコキネシスが『力場を発生させてその中にある物体に力を加える念動力』のことだ。狼谷が言っているのはサイコキネシスに近いだろう?」
「うん、力場……そうだな。つまり、それを俺に重ねないといけなかったから、その力場から出たことで力も消えた……ってことか」
微妙な感覚に明確な言葉という形が与えられたことで、思考がまとまった。
「と、いうことはだ」
打開の可能性が少しだけ見えてきた。根拠も十分と言っていい。
今考えうる最良の手は、これしかないだろう。
単純な話だ。
「要するに——あいつが捕まえられない動きをすればいいんだな」
「それは……」
できるのか、と目で問いかける栞に首を振る。
「さすがに、全く捕まらないように動くのは俺でも無理だな。そのサイコキネシスが働く領域で待ち伏せでもされたら終わりだからな。
「一人、なら?」
「ああ。……てことで、ちょっくら手を貸してくれませんかね、先輩」
なんだか照れくさくて、目線を明後日の方に向けながら、くぐもったような声でそう告げる。
栞が少し驚いたように「ん」と息を吐く音が、やけに大きく聞こえた。
一瞬の沈黙の後。
「もちろんだ」
口元を緩めた栞が、力強くうなずいた。
——さて、反撃の時間だ。
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