第14話

退院に明日を控えても、光田が書いたメモはポケットの中だった。


昨日と今朝に至っては、配膳の時にも会えていない。


このままでは、もうそよに会えないかもしれない。


会えないほど気持ちは焦り、ますます会いたくなる。

そよの真っ直ぐな眼差しに会いたかった。



最後の日までそよには会えなかった。


特別室の荷物は全て運び出され、後は自分が去るだけだった。


関係者が最後の手続きに行った。迎えの車が来るまでまだ時間がある。

光田は僅かな期待を抱いてそよを探していると、休憩室で新聞を読んでいる稲村に会った。


気づいた稲村は新聞から顔を上げ、光田が引くスーツケースに目をやった。


「ようやく退院か」

「はい。これから出るところです」

「そうか。そりゃ良かった。お前さんはインフルエンザにもかからんかったのか?」


「インフルエンザ?」


光田が不思議そうにしたので、稲村はまるでけがらわしい物でも見るような軽蔑の眼差しを光田に向けた。


「知らんのか?」

「何をですか?」


「インフルエンザの集団感染がおきて、大騒ぎさ。わしのそよちゃんも感染した。もう3日も会えてない」


そよに会えない理由はそれだったのか。


光田はそよが自分を避けていた訳ではないことを知った。


状況を詳しく知りたくて話を続けようとした時、手続きを終えた関係者が光田の姿を見つけ声をかけた。


「ここにいらっしゃいましたか。光田さん、もうすぐ車が来ます」

「分かった」


光田はポケットから素早く小さなメモを取り出した。


「稲村さんを信じて、お願いがあります」


「お願い?」


光田の改まった様子に、稲村は怪訝な表情を浮かべる。

そんなことを気にすることもなく、光田は稲村の右手を取るとメモを握らせた。


「そよさんに渡して下さい。お願いします」


扉の向こうから再び声がした。


「光田さん、行きますよ」

「今行く」


光田は稲村にもう一度「どうか、これをそよさんに頼みます」と深々と頭を下げて、去って行った。



稲村は光田から渡された小さく折り畳まれた紙を見た。


はじがよれてくしゃくしゃになった紙きれ。


明らかに、今書いた物ではない。

暫く前からそよに渡そうと持ち歩いていたのだろう。


そういうことか。


「ライバルの俺様に託してどうするんだ。捨てられるかもしれんだろ。随分と安全な人間だと思われたものだ」


鼻息荒く呟いた稲村だったが、こんなに面白いこともあるまい。


受け取った時のそよの顔、自分がそよへ約束通りメモを渡したかどうか不安に思う光田の顔。


想像するだけで笑いが込み上げてくる。


こんなに美味い酒のツマミもないだろう。


数日焦らして渡そうか、このまま口に入れて飲み込んでしまおうか。


稲村はほくそ笑んだ。

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