第340話 長谷川組2
例の男を南の湖を囲むジャングルの中に呼び出した。男はトイレでしゃがんでいたわけではないようだが、先日の私立探偵と同じように椅子に座っていたようで、現れたとたんに後ろにでんぐり返ってしまった。
日本はまだ9月。それなのに男は暑苦しそうなむち打ち装具を首に巻いていた。
顔が正面を向いているので正常な状態に保っているのだろうが、今盛大に仰向けにひっくり返ったので、後ろ方向に首がよじれたかもしれない。むち打ちって癖になるとか聞いたことがあるから、せいぜい依存症にならないようにな。俺が入院していた病院は国公立系とすればメジャーな病院だから、政府からポーションの配布があったはず。むち打ち程度なら初級回復ポーションで治ると思うが、男は処方されなかったようだ。人相が悪いのは仕方ないかもしれないが、態度が悪いのは本人のせいだ。態度でポーションを処方するしないを決めてはいないだろうが、甲乙つけがたい場合、態度の悪い人間より、まともな人間を優先するのは人情だ。
それはそれとして、男が呻きながら立ち上がった。
「よう。素人に頬をはたかれて気絶した、玄人のおっさん、首は大丈夫か?」
「お前! こ、ここはどこだ!?」
「気にするな」
「さっきまで俺は、……」
「おっさんがさっきまでどこにいようが、今現在、ここにいる。それが大事だろ?
ちなみに、お前の力じゃ、ここから元居た場所には戻れないぞ。
さあ、どうする?」
「これは夢なのか?」
「現実だよ。だけど、普通じゃないことだけは確かだろ? おっさんの目から見てもここはジャングルだ。ジャングルって密林のことだぞ」
おっさんが『ジャングル、ジャングル』と、つぶやきながら周りを見回したタイミングで、何かの動物の鳴き声がおっさんの背後から聞こえた。それだけでおっさんはびくっとしたようだ。ナイスタイミングだ。しかし、昨日の威勢はどこに行った?
「ここがどう見ても日本じゃないって分かったんじゃないか?
つまりおっさんは『超常的』な力によってここに飛ばされて、今現在ジャングルの中にいるって事しか分からない状況の中にいるってことだ」
「俺はどうすればいいんだ?」
「おいおい、俺の事務所にやってきたときの威勢はどうなった? 昨日みたいにすごんでくれてもいいんだぞ? 今日はドスはもっていないのか?」
「……」
「俺はそろそろ帰るから。いずれ野垂れ死ぬか、大型動物に食い殺されるんだろうが、せいぜいこのジャングルであがくんだな」
「ま、待ってくれ。俺が悪かった!」
「いやに素直だな。それだけで許されると思ってはいないだろ? 自称玄人なんだから俺に何か提案するとかあるんじゃないか? 今まで素人にしてきたことを、思い出せば思いつくんじゃないか?」
「金が欲しいのか?」
「お前が工面できる金ってあったとしても100万単位だろ? 笑わせるな!」
「じゃあ、小指か?」
「お前の小汚い小指など欲しいわけないだろ!」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「お前の属している何とかって組織の場所を教えろ」
「長谷川組の事務所の場所を教えるだけでいいのか?」
「それだけでいいはずないだろ! それが第一歩だ。お前、名刺か何か持ってないのか?」
「持っている」
「そこに住所と電話番号が書いてあるだろ? 一枚俺に寄越せ」
おっさんは背広の内ポケットから財布を取り出してその中から名刺を1枚差し出した。
その名刺には『長谷川興業(株) 渉外担当部長 吉田剛児』と書かれていた。
「お前のところ、長谷川組じゃなかったのか?」
「表の看板は長谷川興業ということになっている」
「ここに書いてある住所と電話番号でいいんだな?」
「それでいい」
「お前のところには何人くらいいる?」
「うちの人間は全部で30人ってところだ。それに準組員が50人ほどいる」
「準組員って何やってるんだ?」
「たいていは使いっパシリで、見込みのあるやつが正式な組員になっている」
「一つ賢くなった」
俺が叩き潰したアルスとかの893には準構成員がいたのだろうか? 今となっては知るすべはないし、どうでもいいことではあるが、こういったものは全
名刺をアイテムボックスの中にしまって、次の質問に移った。
「お前をそそのかして俺のところによこしたのは誰なんだ?」
「それはうちの組長だ」
「組長だって誰かから依頼を受けたんじゃないのか?」
「そうだと思うが、誰から頼まれたのかは俺は聞いていない」
「なんだ、お前、偉そうに渉外担当部長とか名刺に書いているが、タダの鉄砲玉じゃないか!」
「……」
図星だったらしい。確かにこのおっさん、現代の暴力団で通用するような頭の作りはしていなさそうだ。
「ただの鉄砲玉じゃ知らないのも仕方ないか」
「……」
「俺が直々にお前のところの組長のところに行って、今回の落とし前をつけるよう言ってくる。組長は今事務所にいるんだろ?」
「今いるかどうかは分からない」
「いずれ事務所に戻ってくるのなら待たせてもらおう」
「本気なのか?」
「高々30人、それにザコが50人。合わせても100人もいないんだろ?」
「その通りだが、あんた一人で乗りこむつもりなのか?」
「皆殺しにはしないから安心しろ。手向かえばお前のようにしてやるがな」
「この首はやっぱりあんたがやったことなのか?」
「お前のドスを指で摘んだと同時に反対側の手でおっさんのほほをひっぱたいただけだ。かなり手加減したつもりだったが、おっさんは首を真横にして吹っ飛んでいってそのまま伸びてしまった。思った通り全然目に入っていなかったんだな。実に素人らしいお粗末な目だ」
「……」
「おっさんをこのままここに残しておけば、おっさんが野垂れ死ぬだろうが、誰にも死体は発見できない」
「頼むから、助けてくれ」
「それって、人にものを頼む言い方じゃないだろ? お前は俺にとってはそこらの素人同然なんだ。素人らしく言えないのか? 自分の立場をわきまえろ! もう一度ちゃんと言ってみろ」
「済みませんでした! 助けてください!」
「それでいいんだよ。
仕方ないから、道案内させてやるよ。ありがたく思えよ」
「はい、ありがとうございます」
「それで、お前の事務所のある最寄り駅はどこなんだ?」
長谷川組の事務所はうちの事務所の最寄駅から見て浦和駅から一つ先の駅だった。
そんなところに用はないので、転移のための記憶をしていない。仕方ないので浦和駅の前にあった不動産屋の近くに転移することにした。
おっさんの肩に手を当てて、転移!
いきなり目の前の景色が変わったことで、おっさんがまたきょろきょそし始めた。
「ここは浦和駅の西口だ。ここからタクシーに乗るから、タクシーの運転手に道順を告げるなり、住所を告げるなりしてお前の事務所前までタクシーを誘導しろ」
タクシー乗り場に人は並んでいなかったので、そこで客待ちしていたタクシーにすぐに乗り込んだ。おっさん改め吉田がタクシーの運転手に行先を教えたところでタクシーは走り始めた。
10分もせずにタクシーはどこかで見たことがあるような間口の狭い4階建てのビルの前で止まった。
ドア側に座っていたおっさんを先に降ろして、現金で支払ってタクシーを降りた。
そのビルの扉の横に確かに長谷川興業と看板がかかっていた。
「吉田、組長の部屋まで案内しろ」
扉の先は片側に小部屋の並んだ通路で、その先に階段とエレベーターが見えた。
エレベーターに向かって廊下を歩く吉田の後をついて歩いていたら、ちょうどエレベーターが開いた。中から男が一人現れたのだが、その男は何と例の国会議員秘書の中居だった。
おっさんとは面識がなかったようで、お互いに無視していたのだが、中居が俺を認めて目をむいた。
「よっ! こんなところで会うとは、奇遇だなー」
「お前は! なんでお前がこんなところへ?」
「こんなところと言っちゃ、ここの連中に失礼じゃないですかー。
近いうちに、あなたのところに挨拶に行くから待っててくださいねー」
「何を言ってる!?」
「今言ったことが理解できなかった? 会いに行くのはよして呼び出そうか?」
「呼び出す?」
「文字通り『呼び出す』。召喚すると言ってもいい」
「お前に何の権限がある!?」
「権限とかそんなものじゃなく『できる』から『やる』って言ったまでですよ。その時になれば、わたしの言った意味が分かりますよ。それじゃあ。
吉田、エレベーターに入るぞ」
「はい」
気を利かせてエレベーターの『開ボタン』を押したまま、俺と中居のやり取りを横で聞いていた吉田を促してエレベーターに入った。
エレベーターの扉が閉まる前に、チラッと眼に入った中居の顔は俺を睨んでいたような?
吉田が最上階の4階のボタンを押して、エレベーターは途中で止まることなく4階に着いた。
エレベーターを降りた先は小さなホールで、その先は1階と同じように小部屋が片側に並んだ廊下だった。1階と違っていたのは廊下の先が扉で塞がっていたことだ。
「廊下の突き当りが組長の部屋だな?」
「そうです」
「お前はもう行っていいぞ」
吉田はそそくさと、エレベーターの隣の階段を下りていった。
廊下の突き当りまで歩いていき、扉の前に立ったが扉の向こうに人の気配はなかった。扉のノブに手をかけて開けようとしたが押しても引いても扉が開かなかった。鍵がかかっているようだ。少しだけ手に力を込めてノブをひねったら、ノブ自体が折れて扉から外れてしまった。これ、一体どうすりゃいいんだ!?
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