第276話 3月。初等学校


 おそらく湖の中心に位置していた島への接近を断念した。透明なバリアで覆われていることで、ことさらラシイく感じるのだが、どうすることもできない。

 あと試していないのは上空から島への接近だが、空を飛ぶ手段がないし、水中にもバリアが張られていたわけだから、空中に張られていると考えるのが妥当だろう。



 その数日後、宰相に呼ばれた。

 またぞろ、他国が侵入して俺の出番かと思ったのだが、単純にゼークト侯爵からゲオルク宰相に苦情が入ったのだとか。苦情の内容は、牡鹿亭の件だった。


「もちろん君の言い分は理解できる。今後はもう少し穏やか対応してくれればわたしも助かる」

 下手に出られたので、俺も大人なので「次回はもう少し抑え気味で対応します」と答えておいた。


 そのあと、モンスターの体内石に関する研究の功績によりガーベラを男爵にすることが決まったと教えられた。

 授爵式をどうするか本人の意向を聞いてくれと言われたので、その日ガーベラに確かめたところ、遠慮したいとのことだった。

 翌日、クレアを通じてそのことを宰相に伝えた。ガーベラの男爵位には土地の代わりに年金が支給される一代限りのものだった。年金の支給は王都の商業ギルドに設けられたガーベラの年金口座に振り込まれるということだった。金額については聞いていない。



 湖だが、ただ単に湖というのも芸がないので名前を付けようということになった。

「だれかいい案がないか?」

「わらわは丸湖じゃな。あの湖は丸いんじゃろ?」

「丸いな」

「お嬢さま。世の中には丸い湖はたくさんあるのではないですか?」

「そうじゃろうが、そういった湖にはもう名前がついておるじゃろ? おそらくその中に丸湖はないはずじゃ。じゃろ?」

「そうなんでしょうが、もう少し何かあるんではないですか?」

「ソフィア。名前など、区別がつけばそれで十分じゃろ?」

「それはそうですが、例えばミリアお嬢さまのお父上が、その考えでお嬢さまが生まれたとき、お嬢さまの名前を、2番目の女子だからと言って2号(女)かっこおんなでは寂しくありませんか?」

「今そう言われればそう思うじゃろうが、生まれてからずっと2号(女)かっこおんなと呼ばれていればそれに慣れ親しむじゃろ?」

「ミリア、さすがに慣れ親しまないんじゃないか? ほかの子どもがマリアとかジョンとか呼ばれる中で、自分だけ2号(女)かっこおんなだと、ものすごく浮くぞ」

「そうじゃろか?」

「そうだと思う」と笑いながらフィリアが言ったところ、俺を含めてほかのみんなも大きく頷いた。


「ほかにいい案はないかな?」

「アルスの南にあるから南湖はどうでしょう?」今度はカレン。

「丸湖に比べれば多少は湖らしいけど、五十歩百歩じゃないか?」

「ゲンタロウさん、五十歩百歩とは?」

「俺の国のことわざで、戦争なんかで怖くなって50歩逃げようが100歩逃げようが臆病なことには変わりないということで、大差ないってことだ」

「確かに」


「ゲンタロウが見つけたんだから、ゲンタロウ湖かオオヤマ湖はどうだろう?」と今度はガーベラ。

「俺からするとものすごく言いづらいぞ」

「確かに。わらわもミリア湖などという言葉を聞きたくはないからの」


 そもそも、アルスの南の森にもちゃんとした名前があるわけでもないので、結局名前がつかず、あの湖ということになってしまった。


 島を見つけることができたので、当面稼働させる意味がなくなり、完全に別荘と化したアルス号だが、水上に浮かべているので、わずかに揺れる。それなりに好評のようで、女子たちはほとんど毎日アルス号の船室で寝ているようだ。



 3月に入った。俺の格好はいつも通りだが、街行く人々の衣装は春めいてきたようだ。そういえば生前、チンピラって夏でも冬でも薄着だと聞いたことがある。

 彼らが本当に暑さ寒さを感じないのかは知らないが、俺自身暑さ寒さをそれほど感じない体なので、彼らに近いのかもしれない。

 時代劇で背中に桜吹雪の刺青を入れたお奉行さまは有名だが、チンピラ領主さま。というのも斬新かもしれない。



 予定通り初等教育用の学校が完成した。2階建てで教室数は30、それに教職員用の部屋がいくつか。校庭は狭いので体操くらいしかできない。街が狭いので仕方なかった。


 王都に発注していた機械式時計もアルスに到着し、取り付けられている。

 この時計をもとに街の各所に設けられた時の鐘が調整されることになる。

 教職員の手当て、教科書などの準備も終わり、あとは生徒たちの入学を待つばかりである。学校名はアルス第1初等学校とした。町が発展すれば第2以降も作るからな。


 初年度の入学予定人数は1000人。1クラス50人で20クラス。結構な数だが、初年度だけ対象年齢を6歳から9歳までとしているからである。

 6歳児は4年間みっちり。7歳児以降は本人が希望すれば4年間在学できるが、年齢に応じて短期で卒業することを許している。

 次年度以降は対象が6歳児だけになるので、生徒数は300人程度で安定する予定だ。


 義務教育は初めての試みだが、失敗するはずはないので、見切り発車でメッセナ、ブルストでも初等教育学校を作ることにして用地を物色しており、両市については、来年の4月1日の開校予定で計画を進めている。



 アルス港とブルストは渡し船で結ばれているのだが、直径10メートルの転移魔法陣を刻んだセラミック板を設置した。これにより荷馬車を含め2頭立て馬車が移動できるようになった。もちろん人間も移動できる。

 料金は渡し賃と同じにしているが、将来的には段階的に下げていくつもりだ。


 同じ料金にもかかわらず転移板のほうが渡し船に比べれば圧倒的に便利なので、放っておけば、渡し船の船頭たちが失業する。

 そこで彼らは市の職員として雇用し、転移板の使用料金の徴収と転移板のメンテナンスの仕事を与えた。その中でアルス港の港湾業務の携わりたい者はそちらで雇用している。雇用に漏れはあったようだが、聞けば引退を考えていた人間だったようなので、わずかばかり慰労金を支払っておいた。


 これにより、世間に転移板が公になった。

 それに伴い、宰相府の俺の部屋とトルーランの屋敷を転移板でつなげたため、クレアは自由に出退勤できるようになった。


 当然俺のところに多数の引き合いが来たので、それなりの値段で売却した。

 ゲオルク宰相も王都の屋敷と自領の屋敷を結びたいというので、これについては無償で譲渡した。その代わり、宰相の領地へ設置する転移板の片割れは王都から荷馬車での移動になる。


 転移板で世の中が動き出したということだ。

 魔力ペーストがすでに公になっている以上、転移魔法陣の形さえ再現できれば遅かれ早かれ実用化されるものなので、それほど時間を置かず、国中に広がるのだろう。

 ただ、直径10メートルもある、転移魔法陣をしっかりした素材の上に正確に刻むことはそれなりに大仕事なので、荷馬車ごとの貨物の転移の普及は比較的遅いかもしれない。


 転移板が普及すればますます体内石の価格が上がることが容易に想像できる。魔力ペーストの再塗布のコストを考えると、なるべく高品質のものの需要が高まるはずだ。


 何であれ、生活に余裕があるなら、今、体内石を売るのではなく、値段が上がって落ち着くまで待って売ったほうがいい、とユウたちにアドバイスしている。また、浅い階層のモンスターの体内石と深い階層のモンスターの価格差は開くだろうという予想も付け加えておいた。それで彼らにとって収益性の最も高い階層を見つけてくれればいいと思っている。



 なおアテナの偽書の探索は自動で続けているが依然ヒットはない。



 そして、4月1日。


 この日は同時にアルス第1初等学校の開校式と入学式が行われる日だ。


 初年度の生徒数が想定より多くなった関係で、教職員には市庁舎の職員だけでなく、職員のOB、OGも駆り出している。

 初等学校の校舎は2階建てでその真ん中に鐘楼を設け機械式時計を設置している。

 午前7時半の鐘と同時に、学校の職員の手で正門が開き、新入生徒たちが教師や職員の案内で校庭に入ってきた。保護者同伴の者はいない。

 学校の開設に尽力してくれたフィリアが俺と一緒に式に参列した。


 午前8時。新入生たちは校庭全体に散らばっているなか、一段高い台の上に立って開校のあいさつをした。


 生徒たちからは領主さまのあいさつなのに何の反応もなかった。

 それは仕方がない。なんと言いっても学校がどんなものなのか、ここに集まった新入生で知っている者などいないのだから。


 学校の教職員たちからまばらな拍手があっただけだ。

 フィリアを見たら笑いながら手をたたいていた。逆に言えば手をたたいて笑っていたということか?

 


 自分の名前を読めない子が多いと、張り紙でクラス分けを知らせることもできないので、事前のクラス分けは行っていない。

 そのため、式が終わった後、端から適当に50人集めて教室に連れていき、今日からあなたたちは1組。明日からこの教室に来なさい。と最初に教えることになる。

 1組から9組くらいは問題ないが、10以降の数を知らない子がいる可能性もあるのでそこは何度も繰り返して教えることになる。教える内容は同じなので、明日からどこのクラスに迷い込んでもあまり関係はないが、教室の机の数は50人分しかないし、友達作りという意味でクラスは間違えないほうがいいだろう。

 俺とフィリアは1組の教室に入って様子を見ることにした。


 教室に最後に入ったところ、教師は各人に名前を聞いてそれを名簿に書き込んでいた。

 中には、自分の名前が言えない子もいるので、そういった子は、家に帰ったら自分の名前をちゃんと言えるよう練習して明日この教室に来るように教師が丁寧に指導していた。


 教室の正面には黒板をかけており、その前には教壇と教卓、そして二人掛けの机が9台、8台、8台の3列で合計25台並んでいる。



 そして、明日から8時の鐘が鳴る前に教室に入っているよう指導してその日は解散となった。


 教科書などは明日配布されることになっているが、本類は高価なので転売とか、破損を防ぐ意味合いから、教室からの持ち出しは禁止としている。


 日本の小学校の入学式では、保護者同伴だろうし、自分の名前をちゃんと言えない子は少ないだろうから、ここの教師たちには頭が下がる。

 来年はもう少し楽になるだろう。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る