悪役令嬢を見つめる者

 第一印象は美しい女。その次にはまるで王妃になるために産れたような女。

 それがトレーフルブラン・アイレッドに抱いた印象であった。

 トレーフルブランと出会ったのは魔法の力が強いと云う事で強制的に学園の教師に就かされた三年前。出会ったと言っても最初は俺が一方的に知っているだけだった。

 トレーフルブランとそれにセラフィードとそのお共の四人は学園の有名人。当時中等部でありながらも高等部の教師をする俺の元まで一日にしてその噂は流れてきた。完璧で非の打ち所のないパーフェクト超人のように言われているのに大袈裟なと思ったが実際見て見るとそれが大袈裟でなかったことが分かる。勉学は勿論ながら教養科目など他全ての科目でも成績上位、剣や体術も身につけているうえ、魔法の腕は学園にいる教師も含め一・二のレベル。

 普段の立ち居振る舞いも完璧で人の上に立ちながら人を立てることも忘れない。特にセラフィードやそのお共四人は徹底して自分よりずっと凄い存在だと周りに認識されるよう努めていた。

 どんな相手にも絶えず笑みを浮かべ決して付け入る隙は与えない。自分の実力を見誤ることなくまた殆どの他人の価値も過不足なく評価できる。人心掌握術も心得ていてうまいこと人を操っていた。そしてそれを他の人間には気取らせることをしない。この国の現状もきちんと把握しており、今の自分ができる範囲で支えられる場所は支えている。

 本当に完璧な女だった。

 王妃になるためにこの女は生まれたのだと思えるほどの女。

 愚王は勿論国を傾けるが、王妃が愚かであっても国は傾く。最悪滅ぶ。愚かな王妃のせいで傾き滅んだ国など幾つもある。

 そんな中でトレーフルブランは賢き王妃だった。あれが王妃となればその国はさぞ素晴らしい国となることだろう。例え愚王であろうとあれならば傍で支えて持ち上げ賢王に見せることぐらい可能だ。国を守ることだろう。

 そんな女が王妃となるこの国が羨ましかった。そしてそんな女を嫁にすることのできる男が。

 だがこの国の王子であるセラフィードとそのお共たちはどうしようもない程に愚かだった。

 いくらトレーフルブランであろうとも支え続けるのは無理だと言わざるをえないほどの愚かさだった。いや、トレーフルブランだからこそ無理なのか。なにせセラフィードとそのお共たちはトレーフルブランの事を嫌悪していた。

 多くの者は気付いてないが俺には分かった。四人の目に映る憎しみが嫉妬の焔がそして矮小なる姿が俺には見えた。

 セラフィードとそのお共たちは決して馬鹿なわけではなかった。トレーフルブランがわざと自分の成績を下げているのだとしても、それで他のものを抑えてトップに立つぐらいの頭はある。

 ただ周りが見えていない。トレーフルブランを如何に言い負かすか、トレーフルブランにどうやって恥をかかせ追い落とすかという事ばかりに執着して周りの目が状況に一切の意識が向いていない。

 トレーフルブランもその辺を言った処でもう無駄だと思っているのだろう。どうよく見せるかにだけ拘りなおそうとはしていなかった。どうしてそんな風にセラフィードとそのお共がなってしまったのかと云うことすら考えていないようだった。

 そこがあの女の唯一の欠点だった。

 不可思議なほどにトレーフルブランはセラフィードやお共たちの事だけが見えていなかった。俺には頑なに見ないようにしているようにも見えた。明確な亀裂が出来ているのに気付いていなかった。

 それが変わったのはあの不思議な少女が来てからだった。

 さやか。

 ある日突然空から降ってきたこの世界ではない異世界から来たと言う少女。その少女の出現によって今まで不安定なバランスながらも保っていたものが崩れ出した。

 セラフィードとそのお共は少女こそトレーフルブランに勝つために必要なものと考えさやかの元に近づく。最初こそただ見つめていただけだったトレーフルブランが徐々に何かを焦り始めた。さやかにも冷たく当たるようになり彼奴の保っていた完璧が崩れ始める。

 なぜそんなに焦るのか理解できない中でトレーフルブランの焦りはますます強くなる。それを感じ取ったセラフィードとそのお共は水を得た魚の如く調子に乗った。

 これで勝てると思ったのだ。

 トレーフルブランを追い落とすことができると。馬鹿なとも思ったがあのままではそうなるかもしれなかった。トレーフルブランの焦りは強くなるばかり。冷静さを失い何か大きな間違いを犯してしまいそうだった。

 だがある時を境にトレーフルブランから焦りが消えた。

 まるで別の人間になったようにさやかを見つめる目に余裕ができた。

 これに焦りを覚えたのはセラフィードとそのお共だ。やっと勝てると思っていた所で急に雲行きが怪しくなったのだ。それは焦りもするだろう。過剰なまでにさやかの事を気にするようになった。そんな時にさやかに冷たく当たる少女達を見つけ、彼らはそんな少女達を問い詰めた。そしてトレーフルブランの名が出るやいなや彼女のもとに向かう。

 彼女の手を掴み引きずっていく様を見れば呆れ果ててしまう。本当に周りの事が見えていない男だった。

 こんな男など見限ってしまえばいいのに。

 そう思うのは何度目か。

 何故トレーフルブランがこの男を見限らないのか不思議だった。その姿を見送った後何となく二人が行ったであろうテラスの近くまで足を運んでしまった。何をするつもりなのか見たかった気もするがどうせ見ても見なくとも同じこと。予想通りにしかならないだろうから目を離して近くで待つ。

 そしてそこでトレーフルブランの泣いている姿を見た。

 言葉に言い表すことのできないほどの驚きだった。

 どんな時でも笑みを絶やさない強い女だった。弱っている姿を一人の時でさえさらさない。弱みを見せることのない強い女。そんな彼女が泣いていた。金色のまつげを濡らし白い頬に流れるそれはとても美しかった。

 ああ、美しい女は涙する姿さえ美しいのかと思った。

 セラフィードの声が聞こえてきたのに邪魔だと思ってしまう。固まっているトレーフルブランの手を掴み茂みに隠した。彼女の矜持が彼に涙を見せることを嫌がるだろうと云うよりも、俺があんな男に見せたくなかった。大声で名前を呼びながらやってくる馬鹿は俺の姿を見つけて口を紡ぐ。まだそう云う判断はできるらしかった。

 セラフィードがいなくなってから声を掛ける。

 姿を見せたトレーフルブランはもう泣いていなかった。惜しいと思った。そうか、こいつも女だったのかとも思った。あまりにも完璧だったから女とかではなく王妃として見ていた己にも気づいた。そうではなかったのだと云う驚きで胸が一杯で何を言えばいいのか分からなかった。

 口をついて出たものはお前もなくのだなという言葉。

 あ、間違えたと思ったものの口をついてしまった後だともう遅い。トレーフルブランの頬が見る間に赤くなっていく。それもまた初めて見る姿だった。稚拙な良い訳が彼女の口から出る。そうかこいつは予想外の出来事にも弱いのだと気付いた。

 トレーフルブランにとって予想外などそうないだろうからそれは今まで誰も見ることがなかった姿だ。そんな姿に戸惑うと共に案外可愛らしいものだなとも思った。

 ついつい言ってしまったのはお前は嘘も得意ではないんだなと云うようなもので言ってしまった後にまた失敗したと思った。だが特に後悔はなかった。林檎のように頬を染め上げたトレーフルブランの手が持ち上がる。振り下ろされるそれを見つめれば後少しと云う所で止まる。

 貴族としての矜持を思い出したのだろう。必死に堪えようとするトレーフルブランはぷるぷると小鹿のように震えていて愛らしく感じた。同時にこれがあんな男のものになるのかと思うとどろりとしたものを感じてしまう。

 その夕方にトレーフルブランは俺の元に来た。普通に驚いた。そのうち俺の弱みを握るために来るだろうとは思っていたがまさか一日もたたないうちにとは。

 矢張り強い女だと思った。

 部屋の中に招き入れれば魔法の質問をしてくる。その中で色々と仕掛けてくるのを交わした。笑顔が引きつっていくのが面白かった。ほんのわずかな他の人なら気付かないレベルのそれによくやるなとも思った。帰り際に薬瓶と包帯を渡す。彼女の目が右手に走り、その顔はさっと青ざめていく。

 きっと来なくなるだろうなと思いながらもそれでいいとも思ったのだ。

 その後からセラフィードとそのお共の行いがますます愚かなものになっていた。裏であの女が情報操作しているのも全部台無しになってしまうほどに愚かな行為を繰り返す。さやかへの悪意がそのせいで増えていくのにあの馬鹿共はすべてトレーフルブランのせいにした。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがここまで愚かで周りの見えない奴だったとは。ようやっとトレーフルブランもあの男たちの愚かさに気付いたようでそこだけはよかったと思った。

 うまいこと六人を隔離してはそのすきに都合のいい立体映像を魔法で作り出したりして情報操作を頑張っていたがそれもやめてしまい、ついにはセラフィードとそのお共を学園から追い出してしまった。

 セラフィードとそのお共を追い出した学園は平和だったのだが、あの愚か者が帰ってくることでまた平和ではなくなった。一日にして前より酷い空気が学園内に流れ出す。いい加減にしろよと身分の差など関係なく言ってしまいたくなるほどだ。

 そんな時にしばらく来なくなっていた馬鹿が姿を見せた。

「先生。魔法教えてくれよ」

 ノックもせずに部屋に入ってくる愚か者にため息を吐く。

「勝手に部屋に入ってくるなルーシュリック」

「いいじゃんいいじゃん。俺と先生の仲ってやつ。あ、ってかまた先生学園の中覗き見してる。悪趣味だな」

 悪びれずに笑うルーシュリック・レイザード。優秀な魔導士の一族と知られるレイザード家はだけどその殆どの人間が魔法以外には何もできないような者ばかりだった。例に漏れずルーシュリックもその一人。殆どの生徒が平民でと云う事や俺の外見を嫌い近づかないのに対してルーシュリックはずけずけとやってくる。魔法に関することしか興味がないから自分より上の魔導士なら誰であろうと引っ付いていくのだ。

「悪いか。何が何処で起きているのか知っておくと後々困らない。情報は生き残るために重要だ」

「へぇー。じゃあ俺にもいい加減その魔法のやり方教えてよ。どうやるの」

「お前みたいな馬鹿にはまだ早い。まあ、多少は成長したみたいだがな」

「ああ、やっぱ見てたんだ。どう。俺もちょっとは成長したんだぜ」

 にししと笑うルーシュリック。俺は机の上に広げていた魔法を消した。それはこの学園の全ての場所を映すもので俺がこの学園で見ることのできない場所など一つもなかった。まあ、さすがに女子更衣室の中とかは見たりしないが。この男がここに来るまで何をしていたのかもすべて見ている。

「トレーフルブランのおかげとはいえ、お前が人の目を気にするようになるとはな」

「だろだろ。そう云うのとか興味ねえけど、大切なもんを守るためには多少は必要だしな」

「大切なもの。さやかの事か」

「そうそう。あいつの魔法の力はなんか特別なんだよな。あいつの元にいると俺の魔法の威力があがるし、回復も早い。魔法の才能はねえけど凄いよな。あいつが何なのか興味がある」

 それは研究対象としてさやかを見ていないかとも思ったが口にはしなかった。魔法にしか興味ない男がどんな形であれ人に興味を持ったのだ。いいことだとしておこう。恋人にはなれなくてもいい友人とかでいてくれたならこいつももっと成長するだろう。少なくとも俺の中でセレフィードとそのお共で認識されなくなるぐらいには成長してもらいたい所だ。

「あ、あとトレーフルブラン!アイツにも俺ちょっと興味わいたんだよな」

「は?」

「だってなんかアイツへんだろう」

 お前には言われたくないと思うがと云うのは言わずにああとだけ返した。

「なんかささやかとかもそうだけど人とかって色々あるじゃん。何かややこしいじゃん。アイツはそれが人一倍って感じするんだよな。アイツの場合はこうなんかぐちゃぐちゃぐちゃって詰め込まれている感じ。どうしてなのかちょっと気になるし、それにアイツの周りのセラフィード達とかの事も気になるんだよな。今までは別に俺には関係ないしどうでもいいやって思ってたんだけどなんであいつらあんなにトレーフルブランのこと気にするんだろうな。 

 あとそれから魔法。アイツの魔法ってちょっと最近変じゃん。前まで安定していたのに急にぐらぐら揺れ始めてどうしてそうなったのか興味ある」

 それは結局研究対象としてみていないかと思った。心についてまで言及しているので多少の成長はあるのか。それともただたんに魔法が不安定になり出したのがトレーフルブランになにかしらの変化があったころだと本能で感じ取っているだけか。分からないがまあ、放っておこうと思った。どうせしばらくは何もするつもりはないだろう。ただ遠くから眺めて観察するだけだ。それなら変に口出すこともない。好きにさせとこうと決めた。

 何ならルーシュリックを手駒にしてあれと話すこともできるのではと考えた。少し前に思いきり怒らせて一切の関わり合いを断たれていたから丁度いい所に来てくれたと内心ではそれなりに感謝していたのだ。

 だが、その日の夜にトレーフルブランと直接話す機会が訪れた。


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