悪役令嬢の下準備
「私見てしまいましたの。さやか様がセラフィード様のお手を握り抱き着いているお姿を……。セラフィード様は優しく紳士なお方ですから引き離すこともできず。そのまま暫く。後で俺には婚約者がいるからと言ってくださっていたのですが……。私何だか不安で。セラフィード様に悪い噂がお立ちになったらどうしましょうあの方はいずれ王になる方なのに。
さやか様にはいくら言い聞かせても理解してもらえませんし……」
頬に手を当て憂いを籠めた吐息をつく。眉をほんの少し寄せて不安げな様子も演出するがあくまでほんのちょっと。エッセンス程度に閉じ込める。目を伏せて一口お茶に口をつけ、セラフィード様と細い声を出す。
「あのお方の誰にでもお優しい所は美徳であり、これからも失ってほしくはない所ですが少しは厳しくするようにお頼みした方がいいのかしら? 誰かに冷たく当たるあの人など見たくはないのだけど」
ここでポロリと一粒の涙。苦しそうな顔をして話を聞いていた周りの少女たちがトレーフルブラン様と涙ぐんだ声で私の名前を口ずさむ。
「どう思いますか」
流し目になるよう問いかければ周りにいる少女たちが声を上げる。
「私も誰かに冷たくするセラフィード様など見たくはありません。ですがさやか様の行動は目に余ります。矢張りお頼みした方がいいのでは」
「そうね」
でも……と、私は続ける。ティーカップを手放して指先を胸に。キュッと軽く握りしめながら震えた吐息を吐き出す。
「そんな事をしたらセラフィード様のお優しい心が痛むんじゃないかしらと思うと私……」
ああと少女たちが悲痛な声を漏らした。
「トレーフルブラン様」
少女の一人が立ちあがる。
「分かりましたわ。私さやか様とお話してみます」
「でももうさやか様とは何度も……」
「今までのはお優しすぎたのですわ。分からないのならもう少しきつく今度は言ってみます」
そうよそうよと少女たちがまくしたてる。私は笑みを浮かべた。勿論心の中だけで。
「そう。じゃあ、お願いしてもいいかしら」
「はい」
少女たちの声がそろった。
上手く云ったと私はあのテラスで一人笑みを零す。これで少女たちはヒロインさやかに今まで以上に冷たく当たるだろう。
だがこれは下準備にすぎない。
何せ悪役令嬢の悪事がばれるまであと半年ほどあるのだ。その前に捕まってしまっては面白くないのでこれから起こすあれこれの為に犯人と疑われる相手を私以外に増やしている所。さっき会っていた少女らはも何時もの取り巻きではなかった。
私が選んだターゲット。彼女たちが通りかかる所に一人憂いの表情で佇みそこで私を見かけた彼女らがどうしたんですかと聞いてきたのに悩み事が何て云って罠にかけたのだ。彼女らはセラフィードのファンで彼の事を慕っているからあくまで彼らの事を思い、彼の為になることをしたいのだと強調して話せばころりと落ちる。
元々さやかに思う所を持っていた少女達だから今日中にでも行動を起こし、そして今後彼女に冷たく当たっていくことだろう。セラフィードたちに問い詰められればころりと私の名前を出すだろうがそれはそれでいい。彼女たち以外にも目くらましの用意はある。先ほどの内容をそれとなく女子の間に流しているのだ。だから後は勝手にやってくれる人が何人か現れるだろう。
それ以外にももう何手か。半年間私は好きにやらせてもらう。
バンと壁に叩き付けられるのを私は受け身をそれとなくとることで痛みを軽減させる。ギラギラとした目で睨み付けてくる男に内心遅いと思いながらも口元は笑みを。
「セラフィード様。女性を乱暴に扱うものではありませんわ。それにあんな人前で婚約者では云え女性の手頸を掴むなど誰にみら「うるさい!」
話を遮る怒鳴り声にやれやれと声には出さないけれど思う。この人は本当に激情家なのだから。
「そんな事はお前に言われずとも分かっている」
「でしたらちゃんとやってくださいませ。貴方は王になるお方なのですよ」
「今日はそんな話をしたいのではない」
また遮られるのにこの方はと思うけれどももう口には出さなかった。あまり長々と話してこんな険悪なシーンを周りに見られてもいけない。只でさえここに連れてこられる時皆の前で大声で名前を呼ばれて手首を掴まれ引っ張るようにして連れてこられてしまったのだ。これでは仲が悪くなったのではと疑われる。今はまだ仲の良い恋人だと周りには思わせておきたいのに。幸いあれぐらいなら如何にかできるレベルなのでこの話を早めに切り上げる方向にシフトする。
「ではなんですの。もしかしてデートのお誘いですか? なら私とてもうれしいのですけれど」
わざとらしい笑みを浮かべればそんな訳がないのが分からないのかと冷たい声で切り返される。
そうだろうと思っていたとはいえため息を付きたくなった。
一応まだ婚約者、付き合っているはずなのだけどこの人の中にはもうそんなものないのかもしれない。さやかだけを見て私の事はもう何とも。苦しくはないけれどでも振りぐらいはすべきでしょうにと心の中でたしなめる。
そう云ったものを苦手とする実直さは好きだったけれども、仮にもまだ元がつかない婚約者には見せるべきやさしさではないだろうか。そんなのだからさやかの評判が悪くなるなど思いもしないのだろうな。
「では、なんです」
「さやかを虐めていたものたちがいた。聞けばお前の差し金だと」
「何の事でしょう。私はそんな事存じ上げませんが」
どうなんだと睨み付けてくる目は痛みを感じるほどに鋭く怒りを秘めている。肌を刺すそれにおくすことなく私は返す。小首を傾げ指先で口元を隠して優雅に笑う。
「とぼけるな問いただしたらすぐにお前の名前を出したぞ」
「それはおかしな話ですね。その方たちはどなたですの? それを聞かねば判断もできません」
「ぅ……名前は知らぬが確かCクラスの四人だ。一人は白銀の髪に赤いリボンを付けていた」
「ああミルシェリー様でしょうか。ギルドレー家のご息女。彼女の御父上は大変な切れ者で最近は宮殿の方でめきめき頭角を現しているそうです。彼女と一緒となるとフルブレッド家のご息女もいらしたのでは。ルイジェリア様と云うのですが。赤髪の美しいお方で私自分の髪の色は勿論好きなのですが彼女のような赤にも憧れてしまいますわ。しかもフルブレッド家と云えばとても優秀な商家でして私もあのお家にはお世話になっておりますの。近ぢ「ええいそんな事はもう良い! その四人にお前がさやかを虐めるよう頼んだのか」
「いえ。私はそんな事は一言も言っておりませんが、ただ」
「ただなんだ」
いらいらとしたようにセラフィードが組んだ腕を叩く。
「一度相談したことはありますの。さやか様が貴方に抱き着いている所を見てしまって。セラフィード様のお気持ちを疑うわけではありませんが人の目と云うのはどこにあるか分かりませんから。もしお二人の関係が噂されでもしたらと。そしたらセラフィード様のお立場が悪くなってしまうのではと思いまして。その話をしたら四人ともさやか様に忠告してみると云ってくださいまして。もしかしたらそれがきついものになってしまい虐めているように見えただけなのかも……」
「そんな抱き着いていたぐらいの「ぐらいの?」
今度は私がセラフィードの言葉を遮った。大きな声を少しだけ張り上げた静かな声で抑え、先ほどからわざと少し外していた視線を真っ直ぐにセラフィードに合わせる。蒼の目がたじろいだ。
「セラフィード様。貴方は私の婚約者です」
うっと言葉が喉に詰まるのが見えた。バツが悪そうに視線が外されて、肩を小さくする姿に言葉を並べ立てる。
「婚約者のいる異性に来やすく触れるなどもっての外。また婚約者がいながらも他の異性に現を抜かすなどもあっていいことではありません。貴方は王なのです。その辺をしっかり理解してください。ただ私も今回は悪かったですわ。胸に秘めているべき所をむやみに話してしまって一部の者に過剰な心配を与えてしまったようですね。彼女たちにはちゃんと私から忠告いたしておきますわ。さやか様にも後から謝っておきましょう。
それでこの件は終わり。よろしいですね」
「ああ……」
「それでは私はここで失礼しますわ。また後ほどお会いしましょう」
捲し立てて最後に特に力を入れると容易く頷かれる。相手が逃げ腰になっているうちに私は優雅にその場を去る。遅れて後ろから糞と云う荒々しい声が聞こえてきた。
はぁとため息が出た。
気にしないようにしていた腕が痛んでくる。何とか隠し通したが掴まれていた手頸が赤く字になってしまっていた。女の子には暴力を振るうような人ではなかったのにそれほどまでに彼女が大切なのか、もしくは私が嫌われているのか。対峙する目も憎いものを見るような目だった。
私はトレーフルブランはただセラフィードに良い王になって欲しかったから支えるために頑張ってきただけなのに。それは全て無意味だったのだろうか。
あの人には何一つ伝わらなかったのだろうか。
セラフィードの為に生きてきたトレーフルブランの胸が痛む。
意図していないのに涙が一筋零れ落ちて……。
あっと思い止めようとしたのに後から後からとめどなく流れ落ちていく。こんなの人に見られるわけにはいかないのに。踵を返そうとしてもテラスにはセラフィードがまだ……。どうしたら、止めないと……
ざっと足音がした。ダメなのについその方向を見てしまう。
黒い瞳と目があった。
その目が驚きに見開かれるのを見て逃げないと何処かに隠れないと、と恐慌状態に陥る。そんな時にセラフィードの声まで聞こえてきて……。トレーフルブランと私の名を呼び近づいてくる声に体が立ちすくんで動けなくなった。あっと情けない声が出る。
頭の中が真っ白になって弾けそうになった時、突然手を掴まれる。そして近くの茂みに押し込まれて……。
「トレーフルブ、……っ」
何が起きたか分からず目を回す。その間にもセラフィードの声が一段と近くなり不自然に途切れた。人の姿を見つけたからだろう。まだ混乱しているのに良かったと胸を撫で下ろしてしまった。足音が早足で遠ざかっていた。
「もういいぞ」
聞こえてくる声。私はゆっくりと立ちあがる。騒ぎのおかげで何とか涙は止まりハンカチで隠すように拭う。目を合わせられない。
「わた「お前もなくのだな。トレーフルブラン」
心底驚いたと言いたげな声。かっと頬が熱くなった。
「な、泣いてなどいませんわ。砂埃が目に入っただけですの。勘違いしないでくださいませ」
我ながらなんと稚拙な思うけど今はそれが精一杯で早くこの場を去ろうと言葉を探す。その間にも目を丸く見開いた男が口を開く
「……お前は嘘も得意ではないんだな」
目の前が羞恥と怒りで赤く染まった。
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