第15話 はじめてのおつかい



 あの日から、毎日のように「プリンアイス食べたい」嘆きが始まる。なにをやっていても『あー。一度でいいから食べてみたい』なんてわざとらしく。しかも、渡したスマホをすっかり使いこなすようになってしまい、インスタで甘い物の投稿を見つけては――


「蒼」

「なに」

「これはなんだ?」

「これは……クレープ」

「くれーぷ。これも食べてみたいな」

 気になったスイーツの名前を聞きに来ては、食べたいものリストを作るかのように頭の中へとインプットしていく。


「蒼」

 そしてまた今日も、新しいスイーツを知るために名前を呼ばれる。

 

「あのさ、今仕事してるからあんまり邪魔しないでもらっていい?」

 原稿を書いている途中に、何度も何度も。

 さすがに声をかけられ続けては、集中力が持たない。


 なのに――


「すまない……」


 あからさまにしょんぼりとするイヴェリスに、どうやら私は弱いようだ。


「いいけどさ! どれ?」

「これは、なんという?」

「それはパフェ」

「ぱふぇか!」


 ちょっと前までは、生活リズムがまるで逆だったから仕事には支障がなかったのに、最近のイヴェリスはお昼を過ぎると起きてくるように。加えて、スマホでのスイーツ検索。そのせいでちょくちょく仕事の邪魔をされて――


 本人的には、邪魔しないようにしているらしいけど、気になるスイーツが出てくると居ても立っても居られないと言った感じで私のもとにスマホを持ってくる。おもちゃを与えた犬のように。


 だから今日は少し早く起きて、締め切りが迫った原稿へと手をつける。イヴェリスが起きてくる前にどうにか仕上げてしまいたくて、ろくに朝食もとらず、すぐにパソコンを起動した。


「はあ~。終わった……」


 仕事に集中してて気付かなかったけど、珍しくイヴェリスがお昼を過ぎても起きてこなかった。


「え、もう20時か」

 いつもなら部屋の電気をつければすぐに起きるのに、今は反応することもなく。さすがに遅すぎる……。そっと顔を覗き込んでもまるで起きてくる気配はなかった。


「イヴェリス?」

 少し心配になって声をかけると


「ん~……」

 すごくダルそうにゆっくりと瞼を開けた。


「どうしたの? 具合悪いの?」

「んん……」

 声をかけても鈍い反応で、瞼をゆっくり開けては閉じてを繰り返す。そのたびに、長い睫毛が揺れる。


 でも、脳が起きてないのか目を開けてからもボーッと一点を見つめていた。


 明らかに具合が悪そうだ。


「え、髪の色戻ってるよ!」

 さらには、目の前でイヴェリスの髪の色が黒から白銀に変わっていく


「大丈夫?」

「…………ああ、大丈夫だ」

 やっとのことで気怠そうに起き上がり、ふぅーと一息つくと、髪色だけじゃなく、肌の色も血の気が引いていき、人間の姿からすっかり吸血鬼へと戻ってしまった。


「魔力足りないの? キャンディは?」

「そろそろゴグがもってくる……」


 魔力が足りなくなると、動けなくなる

 イヴェリスは前にそう言ってた。だから13日に一回、魔獣の血を固めたキャンディを食べるらしいんだけど――

 

 今日がちょうどその日みたいだ。


「すまない。電気を消してくれるか」

「あ、うん」


 慌ててリモコンを手にとって電気をオフにする。辺りがパッと暗闇に包まれたと同時に、イヴェリスの目が赤く光った――


 久しぶりに見る吸血鬼の姿


 顔のパーツが変わっているわけじゃない。でも、人間離れした雰囲気からはいつもとは違う空気感が流れてて

 

「――っ」

 思わず背筋がゾクッとした。


 しばらくするとゴグが現れて、イヴェリスの手元にキャンディを落とす。

 いつもより鋭くとがった歯でガリッとキャンディをかみ砕くと、溶けた血で唇と舌が赤く染まっていく。


 その口元を見ながら、ああ、私もいつかイヴェリスに血を飲まれるんだ――


 そう思ったら……

 恐怖とは違う感情が、胸を締め付けてくる。


「きゅっ」

「うむ。もう大丈夫だ」


 キャンディを全部食べ切ると、イヴェリスの姿がまた人間へと変わっていく。


「もう電気つけていいぞ」

「あ、うん」

 目の前で起こっている出来事は、夢でもなんでもない。

 私が生贄になるという運命も変えられない。

 それはわかっていることだけど、それ以上に最近のイヴェリスを見ていると、もしかしたら私の血を飲むのをやめてくれるかもしれない――とか、思ってしまう自分もいて。


「蒼」

 気持ちを読まれたのか、イヴェリスは少し困った顔で私の名前を呼んだ。


「あ、ごめん。今のは忘れて」


 現実味がないと言ったら嘘になる。

 でも、イヴェリスと過ごしていくなかで、私のなかで何かが少しだけ変わり始めているのは自覚せざるを得なかった。


「そうだ! ちょっと私、コンビニまで行ってくるよ」

 その気持ちを押し隠すように、立ち上がってお財布を手にする。 


「なにをしに?」

「甘いの買ってきてあげる」

「アイスか?」

「ううん」

 コンビニに行く用の服を持って、洗面所に閉じこもる。

 すると、すっかり調子が戻ったイヴェリスが「俺もくぞ!」と扉の前で言い出した。


「え、いや、それはダメ! てか、着替え中は近づかない約束でしょ!」

「ああ、そうだったか。……でも、暗いから大丈夫だろ」

「いや、あんた今吸血鬼に戻ったばっかりじゃん」

「もう魔力は戻っている」

 扉から離れたのか、ちょっと声が遠くなった。


「大人しくしててよ」

 具合悪そうだったからプリンでも買ってきてあげようと思っただけなのに


「プリンだと――?」

「あ」

 くあーーー。

 心の中で考えないで考えるって難しすぎるでしょ……。あの読心術だけでもなんとかならないものかな。


「買ってきてあげるから、待ってて」

「俺も行く! 蒼! 俺も連れて行け!」

 着替えが終わって洗面所の扉を開けると、イヴェリスがまた犬のように駆け寄ってきた。


「だっ……」

 ダメだ。

 目が完全にスイーツモードになっちゃっている。この状態のイヴェリスは、イケメンを振りかざし、私にうんと言わせるまであの手この手を使ってこようとする。


「蒼、頼む。連れて行ってくれ。大人しくしているから」

 眉尻を下げ、子犬が鼻でも鳴らしているかのような顔でこっちを見てくる。

 王様の貫録はどこへやら――変にすり寄られる前に、諦めて呑むしかないか……。


「ほんとに変身しない?」

「約束する!」

「変な言葉使いとか、目立つ行動とかしない?」

「約束する!」

「ほんとかなぁ……」


 不安しかないけど、まあ夜だし


「じゃあ、これつけて」

「なんだこれは」

「マスク」

「必要ない」

「ダメ! その顔をできるだけ隠して欲しい」

「なぜだ」


 『イケメンが歩いているだけで目立つからだよ』と、口に出さずに心の中で伝えると、イヴェリスは一瞬頭にハテナを浮かべてから、大人しくマスクを装着した。


「コンビニ明るいから、サングラスも持ってね」

「わかった。なんだかワクワクするな」

「ワクワクしないで」

「ついにプリンが食えるのか」

「売り切れてるかもよ」

「それは辛い」


 思い返せば、毎日インスタでプリンの写真ばっかり見てたもんな……。文字は読めないらしいけど、プリンの文字だけはしっかり覚えてたし。イヴェリスにとっては夢の食べ物なんだろうな。そりゃそうか。何百年も魔獣の血しか口にしてないんだもね。


「前にこっち来たときにたべなかったの?」

「100年前だぞ? 存在するわけがないだろう」

「あ、そっか」


 100年前ってさらっと言われても、現実味が無さ過ぎて。

 まあ、吸血鬼と一緒にいるって時点で現実とはって感じではあるけど。


「興奮して吸血鬼になるとかない? 大丈夫?」

「それは抑える」

「大丈夫かな……」

 不安だ。不安過ぎる。いずれこうなるようなことは何となくわかっていたけど。


「おい。俺の履物はどうしたらいい」

 ドアノブに手をかけたところで、イヴェリスは自分の靴がないことに気づき、立ち止まってしまった。


「あ、ないね」

 そうだよね。外に出ることを想定してなかったから、靴まで買ってないや。


「とりあえずこれ履いといて」

「わかった」

 前に100均で買った、フリーサイズのサンダルをシューズクローゼットから引っ張り出してイヴェリスの足元に置く。


「小さいな」

 さすがに小さかったのか、足がソールに乗りきらず踵がはみ出している。


「今日は我慢して」

「わかった」

「じゃあ行くよ」

 吸血鬼と一緒に外出するという変なプレッシャーが胸に迫りながら、ゆっくりと玄関の扉を開く。


「よし、出ていいよ」

 周囲に誰もいないことを確認し、イヴェリスの背中を押して迅速に外に連れ出す。マンションから無事に出ることができたものの、次は行き交う人の視線が気になる。

 

「……逆にあやしまれるのではないか?」

 誰にもバレたくないという気持ちが行動に出てしまい、逆に挙動不審になっている私を見て、一歩後ろを歩いていたイヴェリスから正論がとんでくる。


 確かに、こういうのはコソコソしている方が目立つか……。

 さっきまで目をランランとさせていたイヴェリスは、なぜか外に出たとたんスンッといつもの表情に戻っている。前から人が来ても顔色変えず、まるでこの世界の住人かのように。


「人間のふり上手だね」

「別に、身なりを同じにしてしまえばわからないだろ」

「そう……だよね」


 イヴェリスの言った通り、すれ違った相手がまさか人間ではなく吸血鬼だなんて、誰も思うわけがないか。


「それよりも、コンビニというところはまだか?」

「あそこ曲がったらあるよ」

「おお、ついにプリンと会えるのか!」

「プリン以外にもいっぱいあるから、気を付けてね」

「プリンだけじゃないのか――?」


 ワクワクが止まらないとばかりに再び目に光を宿すと、イヴェリスの歩幅が急に大きくなった。


 私を追い抜き、ズイズイと進んでいく。速すぎて、こちとら小走りじゃないと追いつけないくらいだ。

 

 あっという間に、私たちの間には距離ができてしまい、角に差し掛かる寸前で「待って」と声をかけ、イヴェリスを止めた。


 その声で私の存在を思い出したかのように足を止めると


「ああ、すまない」

 そのままくるっと向きを変えて私の方へと戻ってきた。

 

 一旦遠ざかったイヴェリスが、今度はすごい勢いでこっちに来る。

 そこで待っててくれればいいのに、わざわざ戻ってくるなんて

 

「早く行くぞ」

「ちょっ――」

  

 はやる気持ちが抑えられないと言ったように、戻ってきたイヴェリスに手をグイッと掴まれ――今までに感じたこともない胸のざわめきに襲われた。

 


























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