第11話 二人掛けのソファ
翌日、私が起きると、イヴェリスはすでに寝ていた。
ベッドで優雅に寝ている吸血鬼様と違って、狭いソファで寝ている代償で私の肩はバキバキだ。ぐるんぐるんと腕を回したり、凝ってるところ指で押してみたり。さすがに寝床の対策も練らないと、体が壊れる。
歯磨きをして、コップに入れた水を飲みながらパソコンの電源を入れる。昨日取材したことを今日中にまとめなきゃいけない。寝起きでパソコンに向かい、カタカタとキーボードをたたく。書いては消して、書いては消して。その繰り返し。
ちょっと振り向くだけで、視界の片隅に寝ているイヴェリス入ってくる。今まで一人しかいない部屋で黙々と作業をしていたけど、すぐ近くで誰かが眠っているって考えると、変な感じだな。
時計を見ると11時過ぎ。
ここらへんで、休憩がてらちょっと遅めの朝ごはんを食べることにした。
一旦、作業をやめてキッチンへと向かう。
買い物に行ってきたばかりだから、スカスカだった冷蔵庫もだいぶ埋まっている。まあ、そのほとんどが飲み物だけど。
窓の外を見ると、雲ひとつない青い空が広がっている。こんな日は散歩でも行きたい気分だけど、いつもめんどくささが勝って、結局ベランダで疑似散歩をすませてしまう。まあ、今日は天気もいいから、パンケーキでも作って食べるか。
卵に牛乳、ホットケーキミックスを出し、ボールに入れて混ぜ合わせる。
こんな単純な作業でQOL爆上がりな気分に浸れる朝食って、この世にパンケーキだけだよなとか思いながら。
アイスも食べたし、イヴェリスもパンケーキ食べるかな――
気を抜くと、こうだ。また私は無意識にイヴェリスありきの生活を送ろうとしている。浮かんできた考えを振り払うように、ボールに入った生地をグチャグチャにかき混ぜた。
いちいち面倒なことを考えるのは時間の無駄だ。やめよやめよ。楽しいことだけを考えよう。そう、今はパンケーキが食べたい、ただそれだけの欲を満たそう。
フライパンを熱して、バターを薄くひいて生地を流しいれると、部屋中にバターの香ばしい匂いと、パンケーキの甘い香りが広がった。
甘い香り……
そういえば、イヴェリスと最初に会ったときも、昨日の夜に突然現れたときも、同じ甘い香りがしたな。あれもなんかの魔力なのかな? イヴェリスの香水とか?
パンケーキが焼き上がるまでの間、その匂いについて気になってしまい、そっと寝ているイヴェリスに近づく。
「今日も死んだように寝てるなぁ」
その表現すらも、ぐっすり眠っているという意味で使っているわけではない。寝息も聞こえず、微動だにもせず。本当に寝ているのか死んでいるのかわからないレベルだからだ。
さっそく少し離れたところから、イヴェリスの香りをクンクンと犬のように嗅いでみるけど、とくに甘い匂いはしなかった。
ちょっと距離があるせいかもしれないと、手をうちわのようにしてパタパタ扇いでみたけど、なにも香ってこない。無臭だ。その代わりに、パンケーキの少し焦げた臭いが漂ってきて、我に返る。
「は! パンケーキ!」
何してんだ自分。とか思いながらも、慌ててキッチンに戻りパンケーキの様子を見る。少し焦げちゃったけど、まぁまぁ許容範囲でしょ。
焼けたパンケーキをお皿にのせるなり、一口つまみ食い。
「んーおいし」
キッチンで立ったまま、何もつけてないパンケーキを頬張るのが一番おいしい。
立ち食いしたまま、残った生地も次々と焼けば、結局二人分くらいの量ができあがってしまった。
美味しいもので満たされた私は、またパソコンに向かってキーボードをうつ。
こうしている時間は、前と何も変わらない。
ヘッドホンを着けて、音楽を聴きながら原稿を書きすすめる時間。
「ふう~。おわった~」
一通り記事を書き終わって、そのまま両手をあげて伸びをしていると、ふと後ろで動く気配を感じて、椅子ごと振り向く。
「これはなんだ? 甘いな」
そう言いながら、いつのまに起きていたイヴェリスがテーブルに置いておいたパンケーキを手掴みで勝手に食べていた。
「あ! ちょっと勝手に食べないでよ」
「ダメだったか?」
「いや、いいけど……。パンケーキだよ」
「パンケーキか。ふむ。悪くない」
悪くない
多分それは、イヴェリスにとっての美味しいって意味なんだろうな。
昨日は「食なんて下民のすることだ」みたいなこと言ってたくせに、アイスにしろ、パンケーキにしろ、パクパク食べているのはどこの王様よ。
でも、こうやって自分が作ったものを美味しそうに食べてもらうのは、なんかちょっと嬉しいものがある。たかがパンケーキだけど。
「業務は終わったのか?」
「うん。終わったよ」
「そうか」
イヴェリスはそう私に確認してくると、昨日あげたサングラスをおもむろに手にとり装着した。
「……?」
「灯りをつけるんだろ」
「え、あぁ」
気がつけば外は暗く、部屋のなかはいつものようにパソコンの明かりだけ。ここ最近、ずっと暗い部屋で生活してたから“電気をつける”っていうことすら忘れてたよ。
でも、イヴェリスはちゃんと覚えててくれたんだ。
もしかしたら、悪いやつじゃないのかも――なんてて気持ちが一瞬よぎる。
電気のスイッチを入れると、部屋全体が一気に明るくなり、イヴェリスは少し眩しそうに目を細めた。
あまり明るすぎないように、少し光量を下げてあげるか。
「大丈夫そう?」
「まあ、よい」
指でちょこっとサングラスの真ん中を押し上げてかけ直すと、いつものようにテレビのスイッチをいれた。
「さて、私は夕飯か」
仕事に集中したせいか、急にお腹がすいてくる。パンケーキ結構食べたんだけどな。頭を使うとカロリー消費が激しい。いつもならコンビニとかですますところだけど……。買い物してきたばっかりだし、節約のために自分で作るか。
「生姜焼きにしよう」
「しょうがやき?」
「うん。食べる?」
「甘いか?」
「甘くはないね。しょっぱい」
「なら、いい」
「え、甘いものが好きなの?」
「甘いものは、悪くない」
「甘いものばっかり食べてると糖尿病になるよ」
「病にはかからない」
「なんにも? お腹痛いとか?」
「ないな」
「うらやましい」
「具合が悪ければ、魔獣の血を飲めば治るからな」
「えーいいな。便利じゃん。じゃあ常に元気なの?」
「まあそうだな。魔力が足りないと動けなくなるが」
「へえ」
人間でいう栄養とか血液が魔力みたいなものなのかな。みんな魔力を補うために魔獣を食べるって言ってたしな。
キッチンで夕飯の準備をしながら、イヴェリスに魔族のことを教えてもらう。
玉ねぎを薄くスライスしながらふと「彼氏ができたらこんな感じなのかな」って。会話のテーマは魔族についてなのに、なんで今そんなことを思うのか自分でも理解ができず、慌てて心の奥底に押し込んだ。
それにしても、イヴェリスはずっとテレビ見ている。ニュースもドラマも、まったく表情を変えずにただただボーッと。時たまなにかブツブツ言ってるみたいだけど、だいたいが「くだらん」ばっかり。光る壁画とか言ってたから、物珍しいだけなんだろうけど。
できあがった生姜焼きとインスタントのお味噌汁をテレビの前のローテーブルに運ぶ。
一人暮らしを始める時に買った真っ赤なソファ。一応、二人が余裕で座れる広さではあるけど、実際に横並びで座ると、こんなに狭かったっけって思うほど、すぐ隣にいるイヴェリスが気になってしまう。
しかも無駄に足が長いから、イヴェリスが少し動いただけでも膝と膝がぶつかってしまう。
あーこういうとき、男の免疫がないのがすごい厄介だ。別にドキドキするシチュエーションでもなんでもないのに、距離が近いってだけで妙に意識してしまう。それが例え、吸血鬼でも。
「ちょっと。もうちょっとそっち行ってよ」
悟られないように、あくまでも普通に。
何も意識していません。無です。
「座れるだろう」
「そうだけど、狭いの! 」
「狭いのはこっちのセリフだ」
「ちょっ」
それでなくても狭いのに、後から座ったお前が邪魔だと言わんばかりに、イヴェリスは半分よりも広くとって座り直す。
必然的に、膝とか肘が当たってしまい、私が端っこに寄る形で座るはめになってしまった。
「なんで私が……」
イヴェリスに触れないように。隣にいることを意識しないように。心を読まれたらそれこそ最悪だから、一生懸命、別のことを考えながら夕飯を食べた。
はあ。ここにきて恋愛経験ゼロの代償というか、男性免疫の無さを発揮してしまって情けない。
一緒にいるのは人間の男じゃなくて、吸血鬼。そう、吸血鬼なんだから。
意識するだけ無駄なのに。
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