勇者とバードと犬


 エッダは脱兎の勢いのまま宿屋に駆け込んだ。

 相客の視線をものともせずカウンターで宿代の精算を急かしていると、見知らぬ若い女性が声をかけてきた。


「あなた新しい勇者さまね? どうしてそんなに焦ってるの?」


 一目で吟遊詩人だとわかる明るい色の旅装で、肩に竪琴ケースをかけていた。


「あんた」

「ミアよ」

「ミア。ここで見張って、3人連れが帰ってきたら知らせてくれないかな」

「3人? あなたのお連れの?」

「そう!」


 返事をしながら三段飛ばしで階段を上り、五夜泊まった二階の部屋に入った。

 持ち出すものはリュックひとつ、ランタンひとつ、ナイフが一本だけ。鏡で確認しながらすべて身につけて、灰色のケープを整えた。外衣にかくれた防具には傷も不備もない。エッダに支度のたしかに必要なかった。

 アリスの荷物がのった寝台に目をやりながら扉を閉め、階下に戻った。


 どうしたのと、またミアが寄ってきた。よく見ると長身に青いほど白い肌、猫の瞳――妖魔の特徴だと気づいた。ヒトと同じ暮らしをしているなら混血の半妖か。


「だれも来ないわよ。ねえ――」

「ありがとう。悪いけどこれ。一杯やって」

「あ。ねえ、ちょっと」


 好奇心に輝く目を無視して小銭を渡し、宿を後にしたが、ミアは「吟遊詩人が歌わずにお金を受け取れない」と追ってきた。

 そして都の門を出ても街道をそれて森に入ってもずっと「どうしたの?」「どこに行くの?」と質問攻めにされつづけたのだった。




「起きて」

「んん~……」


 陽の色が変わりはじめた。エッダはミアを揺り起こす。

 不満そうに目を開けたミアだが、エッダを見上げて驚いた顔をした。


「あら! すごくきれいな目をしてるのね!」

「寝ぼけてる?」

「あなたの瞳は黄昏の光のよう」

「黄昏時なんだよ」


 そんな場合ではないけれど、いい気がしないわけがない。照れ隠しにぶっきらぼうに答えて、寝足りない様子のミアを人形のように立たせ、竪琴ケースを持たせる。


「行くよ」


 ランタンに灯を点けてそれも持たせようとしたが、


「わたし夜目がきくから、いいわよ」


 ミアが自分の猫目を指さして言うので「そう」と答えながらあたりを見回し、いっそう深く影の濃い森を歩きだした。


「ねえ、もう今日はここで明かしちゃだめなの? 木に登るとかして」

「この森で夜に立ち止まったらだめだ」

「どうして?」


 エッダは少し苛立った。答えるのが面倒なのか、聞かせたくないのか。


「ねえ、どうして」


 ミアが不安げに繰り返すので答えることにした。


「悪霊につけこまれやすいから」

「ああ。それはそうね」


 あっさり安心したようだ。

 そうか、半妖だったな。

 自分だけ悪霊を怖がっていると思われるのは面白くないので付け足した。


「魔犬もいる」

「魔犬?!」

 

 効いた。


「それって十字路に出るんでしょう?」

「女神の猟犬とは違うやつ。野犬の群れにまじってるって」

「都から一日も離れてないのにそんなのいる?」

「そういうウワサ」

「噂なのね」

「群れの野犬がいるのはたしかだから」

「犬なら……ただの犬なら野営を張ったらやりすごせるわよね」

「うん」


 町、人里に近ければ近いほど、野生の犬は人間に対して凶暴になるが、ただの犬ならどれほど群れていてもエッダには問題ない。エッダには。

 勇者である少女はもう一度森を見わたして、暮れゆく日差しの方向を確かめた。


「こっちに突っ切ったら林道に出る」

「知ってる! その近くに採集者の野営地キャンプがあるわ」

「うん」

「急ぎましょう」


 さすがにミアも言葉少なに急いだものの、またたくまに森は宵闇に沈んだ。


 梢のそよぎとはちがう、たくさんのモノが草葉を踏み分ける音、風のうねりとはちがう低い唸り声が近づいてくるのがわかる。エッダはミアの腕をとって足を早めた。ミアは黙って懸命についてくる。


 かなり遠くからヒトを狙いさだめてくるということは、噂は正しいのだろう。

 エッダは思うが、振り返れない。ミアの苦しげな息遣いに追い立てられるように、ひたすらに暗い迷路を抜け出ようとする。


 だが、不意に、おぞましい遠吠えが聞こえて、腕をつかまれたまま身をすくませたミアが転びかけた。エッダはランタンを投げ捨ててミアの長身を担ぎ上げた。


「きゃっ…!! え? あ、ありがとう! 」

「黙って! 体、丸めて!」


 鳴き交わす魔性の咆哮に怯えたようにミアはエッダにしがみついた。エッダはむしろ枷がはずれたように闇の中を走り出す。


 木立がまばらになり月光に照らされる丘が見えると、ミアをおろして背中を突き飛ばした。


「走れ」

「ありがとう!」


 エッダは深い森に向き直り、黒々とした茂みと影の奥に目を凝らしながら、片足を大きくひいた。膝をつき、両の手のひらで地を掴む。濡れた土の匂いが少し頭を冷やした。


 大地から伝わる生命力アニマが体を巡る。

 その「エネルギー」はいつもより熱く感じられた。


 ありがとう、か……。

 そんな短い言葉に支援魔法バフをのせられるとは、優秀な吟遊詩人バードじゃないか。


 ミアが丘の上に着いたのだろう、キャンプが目覚めて騒ぎ出す気配と、森から猛々しい慎重さで近づくモノたちを感じたのはほとんど同時だった。




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