青ヤギの冠
久佐馬野景
具
単純な暴力は、頑迷な恐怖に勝る。
これが
ひぃ、と悲鳴が上がる。
秋沙は山の中に山と積まれた学ラン姿の不良たちを一瞥してから、声を上げた坊主頭を睨む。
秋沙がざっと二十人ほどを秒殺している間も、離れた場所で様子を窺っていたらしい。戦力として数えられないほど弱っちいのか、あるいは上役か。
「お前も死んどくか」
まったく上がっていない息で秋沙が問いかけると、坊主頭はがちがちと歯を鳴らし始めた。
「や、やっぱりだ。神宮のお宮の跡継ぎ」
聞いた瞬間、秋沙の全身の血が冷め切ったように凍え、反動として全身が焼け焦げそうなほどの熱が肌の下を燃やしていく。
「お、お、おかしいと思ったんだ。女のくせによう、デカいツラしやがってよう。分不相応な喧嘩の強さも、裏があるに違いねえんだ。し、し、式ってのを使ってよう、汚ねえ手を使ってるに違ぇねえんだ」
よし、殺そう。
秋沙は久々に覚えた明快な殺意を持って、坊主頭に迫った。胸ぐらを掴み、そのまま持ち上げる。
「だってよう、だってよう、お前はあれなんだろ。
それ以上は聞き取れなかった。言わせなかった。自分で持ち上げた坊主頭の鳩尾に膝をめり込ませ、そのタイミングでぱっと手を離す。急所により深く膝が沈み込み、坊主頭は失神しながら地面に転がり、あまりの激痛にすぐ目を覚ます。
まずは顎を砕くか。地面でのたうち回る坊主頭の頭部に狙いをつけながら、ローファーを履いた右足を浮かせる。
「おっといけない」
ふわりと、山の中では嗅ぐことのない柔らかい香りが秋沙を包む。
気づくと秋沙は、後ろから自分より体格の大きな女に抱きすくめられていた。
「なっ――」
「いや失敬。途中から見物していたんだが、どうにも放っておくと君が殺人をやらかしそうだったのでね。勝手ながら仲裁に入らせてもらうよ」
「離せ!」
秋沙が吼えると、女は言われた通りにぱっと身を引いた。
180センチを超えるであろう長身に、どう見ても山中には不釣り合いなパンツスーツ姿。まさかお山の怪異の類いではないかと身構えるが、女は細い眉と吊り上がった目を和らげてへらへらとした笑みを浮かべる。
「もう殺そうなんて気はないだろう? 殺意は一過性の青春のようなものさ。それで君、これの後片付けはどうする気だい?」
たしかに女に注意を逸らされたせいで、坊主頭はもう眼中にない。
「知らん。ここはこいつらのシマだから、テメェでやるだろ」
「なるほど賢明だ。ではずらかるということだね。よければ山を下りるまでご一緒させてもらえないだろうか。いや気楽な一人旅だと思って、ろくな装備もないまま山の中に入るものではないね」
「勝手にしろ。遅れたら置いてく」
「手厳しいがありがたい」
そう言いながら、女は山に慣れた秋沙にまったく遅れをとることなく、山道をパンプスで踏破していく。
「立ち聞きしてしまったかたちになるが、少し気になる言葉が聞こえたので質問したいのだが、いいかな」
秋沙は無言で山道を突き進む。さっきからこの女を置き去りにしてしまえるほどのペースで歩いているのに、女は一切遅れることなく秋沙のすぐ後ろをついてくる。やはり、お山の怪異なのか――。
「君のお家は、いわゆる陰陽師と呼ばれる職能を受け継いでいるのではないかな」
秋沙はその場で立ち止まり、背後にいるであろう女に向かって蹴りを放つ。
「痛っ。ああ失敬。君個人がそういった話題に触れられることを嫌っていることは推察できたとも。しかしね、私も個人的に、君のお家がやられている職能を見学に来た旅行者なのだから、隠し立てする理由もないだろうと思ったのだが――あいたた……」
血の臭いがしたので振り返ると、女が右手の甲を押さえていた。秋沙の蹴りが掠めたことで切れたのだろう、ぱっくりと開いた傷口から血が山の腐葉土へと滴り落ちていた。
「――悪い」
「そういう思いが湧く心持ちがあるのなら最初から蹴らないでほしいが」
減らず口を叩く女に舌打ちをして、秋沙はポケットからハンカチを取り出して女に手渡した。
「血を拭け。それから止血しろ」
「いいのかい。ハンカチを一枚駄目にしてしまうが」
「いいから早くしろ。山の中で女が血を流すのは――」
言いかけて、口を噤む。
「女性の立ち入りを禁ずる山もあるくらいだ。忠告と厚意に甘えさせていただくよ」
女が手早く手首を圧迫すると、それ以上の出血はなくなった。
「それで、話の続きをしてもいいだろうか」
秋沙は無言で山道を突き進む。女のほうが遅れる気配は相変わらずない。だというのによく喋る。
「君の家の話はいったん置いておこう。また蹴られては敵わないからね。君が、おそらくは不良の大群をひとりで壊滅させたことのほうが、私は興味を惹かれるのだが、あれはいったいどういう経緯があったんだい」
「喧嘩を売られた。私がひとりで買った。それだけだ」
「剣呑だなあ。喧嘩を売られるようなことをしているのかい」
「番張ってるからな」
女はそこでしばらく言葉を切った。
「ああ失敬。言葉が古くて少し頭を使ってしまった。つまりあれかい。君はここいらの不良の番長。ええと……そう、『スケバン』というやつをやっていると」
「そうだよ」
「これはたまげた。私にとっては陰陽師よりも、スケバンのほうが歴史的希少性を覚えるよ。いやいや、決して馬鹿にしているわけではなくてね。資料の上でしか存在を確認できなかった存在を目の当たりにしたという点では、小松和彦先生と同等の衝撃を受けたと言ってもいいくらいだ」
笑いたければ笑えばいい。
だが秋沙にとっては、陰陽師もスケバンも、いま現在の自分を包む現実にほかならない。
秋沙の家は陰陽師をやっている。そのことで秋沙は幼いころから奇異の目を向けられ、得体の知れないものを忌避する頑迷な恐怖の対象にさせられてきた。
秋沙からすればたまったものではない。自分という個人が、勝手に古めかしくて恐ろしいブラックボックスの中に入れられ、好き勝手に口汚い言葉を浴びせられる。
だから、秋沙は単純な暴力を行使した。
なんだか怪しげな拝み屋ではなく、ナメられたキレる不良と化し、秋沙という人間そのものに恐怖を向けさせる。
気づけば地元では知らぬ者のいないスケバンとなっていた。
さっきのように秋沙と陰陽師を紐付けて自分の都合のいいようにでっち上げてくる愚か者もいるが、そうした連中は全員直接ケジメをつけさせてきた。
そういう意味では、秋沙の家のことよりも、秋沙がスケバンである事実のほうに興味を持っているこの女は、珍しいというか、色眼鏡なしで秋沙のことを見てくる、初めての人間だった。
そろそろ山道も終わるころになって、それまでぴったりと秋沙のあとについてきた女が急に足を止めた。
置いていっても山からは下りられるだろうが、秋沙はどうにも気になって同じく足を止める。
女は指を一本立てて、静かにそれを鼻の前に運ぶ。
どこか生暖かい風が吹き、その臭いは山のものではない生臭さを孕んでいた。
「陰風」
この女――秋沙よりも先に気配を感じ取っている。
お山には秋沙たちも手を出してはならないものが多く潜んでいる。秋沙がそうしたものたちの気配を感じ取った時には、見ないふりをして通り過ぎるように教えられている。
だがこの女にそんな殊勝な心がけは毛頭ない。ひっつかんで無理矢理連れ出すべきか――迷っているうちに、それはやってきた。
青い。
山の緑の中で際立つ青色は、まず人工物であるような感覚を呼び起こす。山の中で見かける青いものは作業者の持ち込んだブルーシートくらいしかない。その刷り込みが秋沙の目を眩ませる。
ゲェ、と。
それは鳴いた。
全身を覆う青い毛。体高はそれほど高くない。そのフォルムは秋沙がとっさに思い浮かべる山の動物の中に当てはまるものこそないが、どこか親しみやすい、人間が相対した時にちょうどいい小ささだった。だがだからこそ、青という色の体毛がどこまでも人間を拒絶している。
声のした頭部を見た瞬間、秋沙はあっと声を上げた。
顔が見えない。
隠されている。
鉄仮面によって。
山中の動物には似つかわしくない人工物。だが奇妙なことに、青い体毛に覆われたその身から突き出した物体としては、異物感こそあれど違和感は思ったほどない。
足下のほうから聞こえてくる複数人の話し声で、秋沙は我に返る。
女に声をかけようとして、秋沙は目を疑った。
青い体毛の獣を見据えながら、女は右手の人差し指と中指を真っ直ぐに立て、今にも抜き打たんばかりに身構えていた。
――刀印。
九字を切ったりすることにも用いる印の中でも基本中の基本の形。だが鍛え抜かれた術者の結んだ一振りは、本物の刀のような威力を発揮するという。
「お前らァ! なにをしとるかァ!」
恫喝同然の怒鳴り声が響き、青い獣は素早く木立の間に消える。女はへらりと笑い、すでに刀印を解いた状態で声のほうを振り返る。
「じいちゃん?」
声の主に心当たりのあった秋沙は、自分の祖父、神宮
同業者を引き連れて現れた祖父は、厳めしい顔つきで山に入った女を睨む。
「やあどうも。今しがた面白いものを見ましてね」
急に祖父の顔から血の気が引いた。
「青い、ヤギかな。あれは」
「あれを見たんか!」
祖父は怖い顔をして問いただす。うなずく秋沙を見て頭を抱え、ほかの同業者たちと話し込み始めた。
それから一晩、秋沙は一緒に青い獣を見た女――
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