2-2. 依頼と回答

 ロレンツォは花火を売るためピサへ行き、市は一人、石造りの大きな家に残された。

 水を飲もうと立ち上がったが、水差しが見つからない。傍らの飲んだくれている修道士に聞いたが、酒瓶にしがみついたまま返事をしようともしなかった。


 家主がいなくなると、残された連中の怯えがひしひしと漂ってくる。

 もともと住民同士が争っているうえに人狼が出てきて、しかも毎晩のように犠牲者が出ているのだ。

 ロレンツォ以外の住民は不安に苛まれてまともに考えることができていない。

 市は居たたまれない気持ちを抱えて外へ出た。


 やはり、長居は迷惑になりそうだ。

 太陽は真上にあり、風は全くない。

 日のさす道の端から、草の匂いが伝わってくる。

 緑の地面と菜の花やひなげしの香りを感じながら、市はピサと反対側の間道へ足を向けようとした。


「おじさん」


 その後ろから声が聞こえた。

 軽い足音に続き、二の腕に彼女の冷たい手を感じる。


「オルガちゃん。もう走れるのかい」


 オルガは息を切らせ、赤い頭巾を直して市の横へ並んだ。


「おじさん、もう行くんですか?」

「ああ、まあね」


「食べるものとか持ってないでしょう」

「ないけどそこらへんでザリガニでも釣るさ」


 きょとんとしてオルガが市を見上げる。


「ザリガニ? 食べるんですか」

「うん。こっちの人はみんな食べてるみたいだからね」


「このへんにいますか?」

「どこにでもいるよ。見たことあるだろう」


「おじさんは見たことあるんですか?」

「ないよ」


「ごめんなさい」


 市は川のそばで歩くのをやめると、腰を下ろして釣り糸を出した。

 火をおこして鉄の器に川の水を汲んで沸かし、それから棒の先に糸を括り付け、先端にくず肉を丸めてくっつける。

 オルガは興味津々でそれを見つめている。

 やがて、次々と真っ赤なハサミが丸めたその先につかまってきた。


「すごい。こんな簡単に取れるんですね」

「食べるかい」


 言いながら、市は引きずり出された殻付きの生き物を次々にゆでていく。


「本当に食べられるんですか?」

「よく火を通さないといけないけどね」


 言いながら、市は次々に殻を器用にはずして肉だけを口に運んでいく。

 あっけにとられながらも、オルガがおずおずと真っ赤なザリガニをつまんでみた。

 ふくれた紅色の爪を指先で引っ張るが、すぐにつるりと滑ってしまう。


「やん、手が付けられない」


 オルガが手を草で拭きながら、もう一度冷めた殻をつまむ。


「貸してごらん」


 市が手に取ると、指先を使って殻をぺりぺりとはがしていった。


「慣れると簡単だよ」


 渡すと、オルガが意を決してその肉を口に運んだ。


「あれ、なんか食べられますね」

「そうさ。美味いよ」


 二人は川べりに鉄の器を挟んで座り、何匹かを食べ終えた。

 オルガが川で手を洗い、それから市の隣に座りなおす。

 市はまだ食べ続けている。途中から面倒になったのか、ガリガリと殻がついたままかみしめていた。


 その顔を見ながらオルガがくすっと笑った。


「今朝、おじさんが切った瓶を見ました」


 うん、と市が顔をオルガへ向ける。


「すごい切り口でした。旋盤で斬ったみたいな」

「はは。まぐれだよ」


 市が川の水で火を消しながら答えた。


「この剣が入った杖、東洋のものなんですか?」


 それを聞いて、市は渋い顔になった。

 リカルドを追い払った時、そばにオルガが居ることを意識していなかったが、あんなものを子供に見せるべきではなかったなと思い返した。


「本当にもう立つんですか」

「うん、まあ、一応、やりたいこともあるしね」


「なんなんですか、やりたいことって」

「ああ……いや、恥ずかしい話なんだけどな。には、チェーコを見えるようにできる奇跡を起こす人がいるって話を聞いたんですよ。

っていう」


「迷信ですよ、そんなの。それにイエス様なんて二千年近くも前の人だわ」

「まああっしも、その手の話には何度も騙されてきたよ。

 それでもチェーコにとっちゃあね。

 そんな話を聞くと、すがりたくなるってもんでね」


 市は川の匂いを吸い込みながら素直な笑顔で語る。


「オルガちゃんのお父さんだって、きりすと様の熱心な信者なんだろう」

「なんかおじさんのは、お父さんのと違う気がする……」


 オルガがため息をついた。

 市の気持ちが本当なのか嘘なのかはともかく、少なくともそれが現実に起きることはないだろうと思っているようだ。


「おじさん。あたし、おじさんにいてほしいんです。ここに」


 うん、と市が顔を上げる。


「おじさん、ピサから来たんですよね。

 本当は、人狼退治人のジュゼッペさんに何か頼まれたんじゃないですか?」


 市が言葉に詰まる。

 言いよどむ市の袖を、オルガがきゅっと引っ張った。


「やっぱり」

「いや、お断りしたんだよ。あっしには荷が重そうだからね」


「人狼退治人さんは忙しくて、めったに来てくれないんです。

 だからお父さんが何度もピサに行くたびに頼んでるんです」

「ああ、そういう……でもおじさんは本当に関係ないんだよ」


 市はジュゼッペの話を思い出した。

 彼はこのタブラ村に宿を貸せると言っていたはずだ。

 もしかしたら、それはオルガの家のことだったのかもしれない。

 オルガがジュゼッペの事を知っているなら、その可能性は高そうだ。


「もうちょっと居てくれませんか。短い時間でいいんです。なんでもしますから」

「なんでもしますって……若い娘さんがそんなこと言うもんじゃないよ。それにちょっとだけいたってしょうがないだろう」

「いえ、数日でいいんです。私たち、おじさんみたいな強い人が必要なんです」


 その言葉に、市が川の手前で足を止めた。

 安堵の息が首元に届く。

 市は手頃な石をみつけて腰をかけた。


「強い人……って、なんで」


 オルガも寂しそうな顔で横にかける。

 思い詰めた深刻な様子が伝わってきた。


「近いうちに、お父さんはグイードたちと決着をつけようと思っているんです」


 えっ、と市が息を飲んだ。


「戦うつもりなんです」

「出入りってことかい? だってお父さんは花火職人なんだろう。

 鉄砲鍛冶はもうやめたって言ってたよ」

「話を聞いてくれるんですね?

 だったら、私のお願いも聞いてくれるってことですよね?」


 ううん、と市がうなったが、その間に少女の必死な声が畳みかけてくる。


「いいんですね」

「うーん、まあ、その」


「ありがとうございます」

「うん、わかったよ、わかった」


 袖を掴んで訴えるオルガに、市は思わずそう答えてしまった。


「父はずっと彼らを追い払うようジュゼッペさんに頼んでいたんですけど、こちらまで来てくれないんです。だからもう、自分たちでやるしかないって言ってました」

「いや、何を言ってんだい。グイードって人が乱暴なのは聞いたけれど」


「帝国はトスカナへの支配を強めるために人狼を連れてきてるようですけど、この村への入り方は本当に異常なんです。

 だからお父さんは帝国への反乱に参加する代わりに、弾丸や爆薬を集めるって言い始めているんです」


 電気を背中に流されたような不快感が市の背に走った。

 ロレンツォが何かを伏せているように感じたのはこれのことか。


「へ、へえ……弾丸に爆薬ねえ」

「はい、パイログリセリンっていう爆薬です」


 パイログリセリンというのは、この当時のニトログリセリンの呼称である。

 ノーベルがダイナマイトとして量産化したことで知られているが、発明したのはイタリア科学アカデミーに所属し、トリノ大学で教鞭をとっていたアスカニオ・ソブレロという博士であった。

 彼は当時、この薬品は暴発しやすく威力がけた外れに大きいため、常人に取扱うことは不可能と考えた。そのため製造してからずっと秘匿し続け、話題にするのも酷く嫌がったという。

 そのため、市も初めて聞く名前だった。


「にしても、お父さんだってそんなことをしたいわけじゃないだろう。

 なんとかそのグイードってのと話し合えないのかい」

「もう無理なんです。こんなに何人も殺されたんだから」


 市の脳裏に、吊るされた連中と今朝の老人の事が頭に浮かんだ。

 川向こうの住人が人狼を連れてきているというのはおそらく事実なのだろう。


 だが、と市は思う。

 もし武器があっても、訓練もろくにしていないここの住民にそのグイードという連中と戦うのは難しそうに思えた。

 多少の武器や資金を手に入れたり、不確かな約束事を結んだだけで勝てると思い込み、返り討ちに合う。そういう悲劇を自分はいくらでも知っている。


 ロレンツォは人望はあるかもしれないが、軍事を知っているようではない。

 戦いは武器だけで決まるものではない。

 ジュゼッペが自分を派遣しようとしたのは、おそらく住民がどの程度逼迫しており、暴動を起こすなら時期はいつになりそうかを探ってくれということだったのかもしれない。


 もしロレンツォやオルガが、ジュゼッペから支援の確約を取りつけているわけでもなく、独自で武器を仕入れるつもりなのであれば。


 それは危険だ。

 とても危険な賭けだ。


「わかったよ。けど立つのを延ばすなら、あっしも稼がなきゃ食えないんだ。

 ぐるっと回って、お仕事を探してくるよ」


 市が顔を曲げながら答えた。


「終わったら戻ってきてくれますか?」

「約束するよ」


 オルガの声が背中に刺さってくる。

 杖をつきながら、市は昼すぎの太陽の下を歩いていった。


 タブラ村は中央に教会があり、隣に宿屋と酒場が続く。

 この規模の村にしてはやや大きい作りだ。

 そこここに咲くバラに袖をひっかけながら、大きな橋を渡る。


 この手前が旧住民のロレンツォやオルガの住むところ。

 ここから先が、グイードたち新住民の居住地となる。


 市はその周辺を巡りながら笛を吹き、あんまの御用はいかがですかと声をかけた。

 関八州の売り込みが通用するのかは知らないが、それよりもグイードという新住民の様子を見ようと思い始めていた。


 小さな村だが、ここはイタリアとオーストラリア帝国がせめぎあう前線なのだ。

 ロレンツォとオルガ、そしてその家に集まっていた連中。殺された老人。

 彼らは数年前まではただの村人だったはずだ。


 自分が関わり合いになったら、誰かを斬る羽目になるかもしれない。

 それでも、不当な割を食っている者がいるのであれば、見過ごすことはできなかった。


「結局、ジュゼッペの旦那に頼まれたことを、扶持ぶちなしでやるだけになっちまったな」


 市は、ファルチェ・ディ・ルーナという三日月の看板の横を通り抜けて、舗装された小道へ差し掛かった。

 声がするほうへ導かれ、そこが酒場であることを察する。

 ドアを探り当ててノブをひねる。

 軋む音の向こうから喧騒があふれてきた。


 市は、村のいびつな仕組みへ踏み込みつつあった。

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