1-4. 少女とごろつき

「やめてください! 何するんですか!」

「うるせえ! 黙ってろ!」


 言い合いともみあいの音。

 がちゃりという金属の音。


「こいつはなんだ? お守りか?」

「もういい加減にしてください!」


 市の行手に、何かが音を立てた。

 足下をまさぐって拾い上げる。

 細かい装飾を施した、デンマーク革の財布だった。


「兄貴、誰かいますぜ」


 市の前に野太い声が飛んできた。


「なんだお前は?」

「は、旅人でございますが……」


 乱れた灰色の髪の男は、二重のベルトに大きなナイフを差していた。


「おい、その財布こっちによこせ」

「はあ、渡してもようございますが……」


 市が財布を撫でながら、輪になった革に腕を通す。


「どうも、あなたのじゃなさそうですね」


 聞くなり、男は市の襟首をつかんで力任せに引き寄せた。


「ガタガタ言うんじゃねえ。財布を出したら見たことは全部忘れちまいな」

「全部も何も、何一つ見えちゃいませんよ」


 言われて、ごろつきが市の姿をねめまわす。


「なんだ、てめえチェーコか」


 舌打ちを鳴らし、市の胸ぐらをつかみ上げた。


「さっさと渡さねえと、とんでもなく……」


 言われるなり、市は胸倉をつかんできた手を柔術でほどき、杖で肘をかためてテコの要領でおっつける。

 大男がごろりと転がった。


「いってえ!」


 ごろつきが砂利を転がる。

 その間抜けた声を聞いて、奥から小柄な男も出てきた。

 こちらは腰にはこわれかけた鉈を提げている。

 

「なんだてめえは?」


 小男が大股で近寄ってきた。


「どこの国にも、あんたらみたいなのはいるんだね」


 市が杖の柄で胴をドンと突いた。

 二人目も仰向けに倒れるとさっきの男を巻き込んで転がり、木の根元に衝突した。

 枝が揺れ、上から果物が落ちてくる。

 市は転がってきたオレンジを放り投げる。

 ひゅんひゅんと刀を振って四つに切り分けると、それぞれが男たちの手に飛び込んだ。


「こんないい蜜柑がそこらで食べられるんだ。あんまりがっつくもんじゃないよ」


 ごろつきたちは甲高い声をあげ、武器を放り投げて走り去っていった。


「せっかちな人たちだな」


 市が転がった果物にかぶりつく。

 トスカナのオレンジは赤くて甘く、酸味は少ない。

 あっというまに食べ終えると、皮を捨てて曲がり角へ向かった。

 茂みにはまだ気配があった。


「どっかいっちゃいましたよ」


 うずくまっている少女が、小さく、はい、と声を出した。


「財布をお返ししますね」

「ありがとうございます。それと……」


 かすれた声に、おやと思って市が身をかがめた。

 草が腰をなでる。


「どうかしなすったんですか」

「……おじさん、見えないんですか?」


 市の前にうずくまっていたのは、十代前半の少女だった。

 鮮やかな赤い頭巾。

 そこにつながるケープからのぞく髪はくすんだ金色をしている。

 道に寝転がるように倒れ、浅く上体を起こし、宝石のような緑色の目を市に向けていた。

 ゆったりとした長いベージュのスカートから伸びる足。

 滑らかな白。


 市にその容姿はわからない。

 しっかりした口調に似合わない、苦しげな声が気になった。


「手をお借りしますね」


 少女が膝で歩く市の手首を地面へ引き寄せた。

 自分の足へ触れさせ、そこへ食い込む金属に導いていく。


「やっ、こりゃトラばさみだね」


 市が大きな声を出した。

 少女の左足が、左右から金属の板で締め付けられている。


 虎挟みというのは、二つの金属板が脚や首をばね仕掛けで挟み込む罠である。

 目的外の動物や人がかかることもある危険な道具で、設置した者は場所を周知したり、目印を作る必要がある。

 間違って踏んでしまう事故は洋の東西を問わずよくあるので、市もすぐに事情は飲みこめた。


「そうなんです。うっかりして」

「いやこいつはうっかりじゃすまないぞ。痛いだろう」

「ものすごく痛いです」

  

 市が罠から足を出そうと両手で力を込めた。


「固ったいな……」


 この時代の仕掛け罠は頻繁に汚れを拭いて錆を取って油を注さないと、すぐ使い物にならなくなる。

 少女に噛みついた金属は全く手入れを受けておらず、ざらついた金具は完全に傷んでいた。


「つくりはわかりそうだぞ」


 錆びついた金属が足に食い込むと破傷風になることもある。市はなんとかその罠を撫で回した。杖を当てて鉄の顎を閉める枠を下に落とすことで、罠を開こうと試みる。えい、えいと仕掛けを押し込むうちに、何度目かで枠の金属がガタッと音をたてて壊れた。


 白い脚がするりと二枚の金属から抜け出す。

 少女はほっとしたのか、ようやくうめき声を上げ、それから地面に手を伸ばした。


「お守り、破れちゃった……」


 三つの布袋に何かを入れた首飾りが、地面の上に散らばっている。

 それがずいぶん大事なようで、彼女は土にまみれた粉のようなものを集めようと手を動かし始めた。


「お守りより手当をしないと」


 市が言っても赤ずきんの少女はしばらく地面を撫でていたが、やがてふうっと息をつき、挟まれていなかった足に力をこめた、


「いえ、もういいんです。ありがとうございました。失礼します」


 片足のまま、少女が背を向ける。


「その足じゃ歩けないだろう。お医者さんまで肩を貸すよ」

「私の村、お医者さんいないんです」


 少女は砂利をこすりながら行こうとしたが、すぐに体を傾けてしまう。

 市が慌てて肩を支えた。


「結構です。お礼をお求めでしたら、期待外れになると思いますし」


 少女がぱっと体を遠ざける。声に緊張が混じっていた。


「いや、家まで送ったらすぐに行っちゃうよ。

 こんな薄汚いのが入ってきたら、お母さんびっくりしちゃうからね」

「私、母はいないんです」


「じゃあお父さんが」

「父もいません」


「誰といるんだい」

「養父です」


「誰でもいいよ。その人のところまで送るよ」


 それを聞くと、少女はすこしほっとしたらしく、だぶついた赤い服の中から手を出して市の肩に乗せ、おねがいしますと頭を下げた。

 二人はたどたどしく砂利道を進んでいった。


「オルガ」


 下り坂に差し掛かったところで、少女がぽつりと言った。


「へ、なんだって」

「名前です。オルガ・ヴィッテーリです」


「オルガさんか。いい名前だね。あっしは市だよ」

「東洋の方ですよね。どうしてトスカナへ?」


「うん、まあ、どうせ見えないし、どこにいても大差ないと思ってね」


 そう言うと、オルガは怪我を我慢しながら初めて小さく笑った。

 痛みに耐える表情も少しずつ和らいでいった。


「嘘ですよ。そんな理由でここまで来ないでしょう」


 市が笑い返した。

 オリーブの畑がある高台を超えて、二人は肩を支え合いながら歩いた。

 風に流される背の高い草を、二人の足音が交互に越えていく。


 開けた場所についたころ、夕日はほとんど山の中に隠れていた。

 村についた時には、もうわずかで日没というところだった。


 道の左右には立木が並んでいて、そこを互い違いに長いロープが張ってある。

 風に合わせては、ぎい、ぎい、と、そのきしむ音が響いていた。

 それだけではなく、同じ拍子で、市の鼻にも奇妙な気配が行き来した。


「なんだか腐った臭いがするね」

「右の絞首台です。二人が吊られてそのままになっています」


 オルガが短く答えた。


 市はぎょっと身を引きながら、揺れる遺体へ耳を傾けた。

 絞首刑に処された姿はじっと同じ石を見つめ、ギイギイとゆれ続けている。


「吊られたって、またどうして」

「最近、近くに来た人たちが、勝手に始めた儀式です」


「私刑ってことかい?」

「はい。彼らが人狼だということで」


「じゃ、じゃあ吊ってあるのは怪物かい」

「いいえ。昔からいる人たちです。人狼なわけありません」


 オルガが続けた。


「なんでそんな事を?」

「……いろいろとあって」


 オルガが声を潜めた。

 事情があるのだろうが、それにしても、こんな子が死体を見慣れているのも随分な話だ。

 市が思いながら砂利を踏み続けた。


 やがて日が暮れていった。

 林を抜けると、高いところに月がのぼっている。

 半月を超えた白い楕円は、あと数日で満ちる時期だった。


「もう、夜でも暖かいですね」

 

 ざくざくと土を踏む二人の前に、大きな立札が近づいてきた。根元には獣の爪痕がついていて、今にも倒れそうだ。


 浅く削った木の表面には、乱暴な字で『タブラ村』と書いてある。

 人狼を送り込まれたとジュゼッペが話していた、例の村の名前である。


 市には、それがわからない。

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