№34 此岸にて

 怒涛の卒業式が終わり、先輩は大学へと進んでいった。


 ハルたちも終業式を終え、春休みに入る。しばらくの間、学校に行くことはない。新学期のクラス分けを待つばかりである。


 三年生からは、こころを入れ替えて真面目に勉強をしなければならない。なにせ自分には目標があるのだ。そのためには、できるだけいい大学に入っておくに越したことはない。


 受験期とあって、いろいろと大変なこともあるだろう。勉強づけの生活を送らなくてはならない。それでもきっと、影子は応援してくれるだろう。


 そういえば、逆柳は『ノラカゲ』に対抗するためのNPO団体を立ち上げたそうだ。なにかしら思うところがあってASSBに辞表を叩きつけたのだろうが、『ノラカゲ』に対する思いまでは断ち切れなかったようだ。


 逆柳のことだ、きっと独立しても上手く立ち回るに違いない。いっしょにASSBを辞職した雪杉と協力して、過去のコネやノウハウ、ふんだんにもらった退職金を利用して、やがてはASSBと比肩しうる組織を作り上げるだろう。


 これからは、上の人間のしがらみに振り回されることなく、存分にヒーローとして活躍してほしい。


「……満開だね」


「……ん」


 今、ハルと影子はとある河原の土手にいた。くしくも、『モダンタイムス』と秋赤音が訪れたその場所と同じだった。


 ハルは影子に膝枕をしながら、満開の桜の木を見上げている。普通は影子『が』膝枕をする立場だが、自分たちの場合はこれで正しいような気がした。


 膝の上でまどろむ影子は、まるで日差しのなかでうつらうつらする猫のようだ。普段は好戦的な赤い瞳を細め、遠くを見るように桜の色を眺めている。その三つ編みの先を手でもてあそびながら、ハルは散り際の桜を見上げていた。


 『モダンタイムス』が見たかったのは、きっとこの景色だ。最期に見た小さな桜では物足りないだろう。地獄に桜は咲くのかわからなかったが、秋赤音とふたり、血の色をした桜で花見でもしているのだろう。


 ざ、と少し強い風が吹くと、たくさんの桜の花びらが空を泳いだ。視界を遮るほどの桜吹雪に目を細め、こずえに若葉色の芽吹きを認めて、春が行き過ぎていくことを知る。


 視線を下ろしたハルは、影子の瞳に映る桜を見詰めながら、


「君と過ごす初めての季節だ」


「いつだって初めてだっだろ、今までは」


「そう、今まではね。これからは、二回目だ」


 影子と過ごす二度目の季節がやって来る。


 ……始まりは、思えば唐突だった。


 連休明けに影子がいきなり現れて、『影』の存在を知り、いじめがなくなって、『あのひと』と戦うことになった。


 あれからもうすぐ一年がたつのか。トラブルを煮詰めたような一年だったが、それに見合ったものを手に入れることができた。


 その内のひとつである影子の頬に手を伸ばし、ハルはつぶやく。


「気分はどう?」


「……ん、悪くねえ」


「ならよかった」


「春だけじゃねえぞ。また夏が来る。去年は海だったから、今度は山にでも行くか?」


「ふふ、いいね」


「新学期が来りゃ、新入生も入ってくんだろ。イキのいいのいたら面白ぇな」


「お手柔らかにね」


 頬を撫でながら、ハルは影子に微笑みを投げかけた。影子もまどろむようなまなざしで笑い、


「夏も、秋も、冬も、来年の桜の季節も、ずうっといっしょだ。いっしょに何回でも季節を繰り返そうぜ」


「うん。君となら退屈しなさそうだ」


「言ったな?」


「約束するよ。なにがあってもいっしょにいる。病めるときも、健やかなるときも、だ」


「……案外重い男だな、アンタも」


「そう?」


 重い男だとは始めて言われた。きょとんとするハルの手を握りしめ、やんわりとくちびるに押し当てる影子。


 その薬指には、お揃いの指輪が光っている。


 ……ああ、いい天気だ。


 なんだって、うまくいきそうな気がする。


 今日も太陽は、光と影のコントラストを描きながら輝いている。


 光に向かって歩き続けている以上、影は背中を押してくれるだろう。


 が、ひとたび光に背を向けてしまえば、とたんに影は真正面から襲い掛かってくる。


 影とは、光の敵であり、味方でもあるのだ。


 そんなことを考えながら、ハルはしばらくの間、影子と川辺の桜を楽しむのだった。

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