№3 『例の件』

「よっ、塚本! 塚本影子が学年一位だって?」


「倫城先輩!?」


 教室の廊下側の窓から身を乗り出して、頭脳明晰野球部のキャプテンで運動神経もカリスマ性も抜群顔も良く周りから篤い信頼を得ているという完璧超人の倫城先輩が声をかけてきた。ただしハルをつけ狙うホモだ。


「廊下まで筒抜けだぜー、この騒ぎ!」


「せ、先輩こそなんでここに!?」


「お前に会いに」


 イケメンフェイスで早速ハルを口説きにかかる倫城先輩。ちょっとでもいいなと思ったら負けだと、ハルはぐっとなにかをこらえた。


 それを見て取った倫城先輩は、ははっ、とさわやかに笑って、


「なぁんてな。移動教室だよ。たまたま通りがかっただけ」


「おーおー、くせぇと思ったら、犬っころがなぁんでこんなとこにいんだ?」


 目ざとく先輩を見つけた影子がチンピラのように絡みにかかる。下からねめつけるように笑い、


「ワンちゃんは家でおとなしくご主人様に媚び売ってな」


「よっ、塚本影子! 学年一位おめでとう!……ま、なんか仕掛けがあるんだろうけどな」


 訳知り顔でささやく先輩は、実はASSB(対ノラカゲ支局)の高校生エージェントである。ハルが妄想したヒーローが実在しているのである。だからこそ影子との仲は険悪で、こうしてことあるごとにぶつかっては先輩がかわすということを繰り返しているのだ。


「けっ、お上品ヅラしやがって。虫唾が走るったらありゃしねえ」


「ははっ、まあそう邪険にしないでくれよ。俺はお前と仲良くしたいと思ってるんだからさ」


「主人落とすにゃまず馬から、ってか? おい、アタシにゲイビデオ撮らせろよ。伝説のネットのオモチャにしてやっから、取り分は八割でいいわ」


「なに不吉なこと言ってんだよ!」


 げらげらと下品に笑う影子に、一ノ瀬がすり寄って来る。


「影子様ぁ♡ どうかぶってください♡」


「うっせえんだよド腐れビッチが。自分で自分のケツの穴に指突っ込んでよがってろ」


「イジメ、解決してよかったな!」


「こんな結果は予想してなかったんですが……」


 わいのわいの。窓際で騒ぐハルたちを見て、クラスメイト達がひそやかにうわさする。


「……最近塚本の回りって……」


「……ハデ、だよなぁ……」


「……塚本さんに一ノ瀬に、倫城先輩とか……」


「……まあ、にぎやかなのはいいけどさ……」


 クラスメイト達の間に生ぬるい空気が流れる。


 たしかに異様なグループだ。


 が、かつてハルがいじめられていた時になんの助けもできなかったクラスメイト達としては、こうしてわいわいやっているハルを見ていると罪が償われたかのような気分になるのだろう。うらやむものはいても、ねたんだり悪し様に言うようなものは誰もいなかった。


 すっかり塚本グループとして定着したメンバーの中で、ハルは現実逃避しようと妄想に耽ろうとする。


 …………。


「……待て、なにか来るぞ……?」


「んん? なにが来るって?」


「どうした塚本?」


「……上からだ……来る! みんな、伏せろ!!」


 そして天井のコンクリートを突き破って巨大なクリーチャーが……


 ハルはおもむろに妄想をやめた。


 陰湿に絡んでくる影子と、それをさわやかにかわす先輩、そして影子の靴を舐める一ノ瀬。


 こんな非日常的な風景が日常になっているのだから、最近ではもう妄想もあまりしなくなった。


 妄想よりもずっと刺激的な現実がそばにあるからだ。


「いい加減にしろよ、影子!」


「っせぇなぁ! わぁったよ!」


 ぺ、と床に唾を吐き捨て、最後のインネンをつけた影子が席へと戻っていく。一ノ瀬もそれを追いかけて教室へ戻った。


「ま、例の一件もあるから、しばらくは気をつけろよ?」


 そう言い残して先輩も移動教室へ戻っていく。


 例の一件……あまり思い出したくない苦い出来事。


 無理矢理記憶にふたをして、ハルもまた教室へと戻っていった。


 


 そして放課後。


 影子はSMルームのあるラブホに誘ってくる一ノ瀬をよけ、ハルはサウナに誘ってくる倫城先輩をよけ、ふたりで並んで下校の道筋をたどった。


 『影』は光も影もなくなる夜、眠らなくてはならない。影子に残された一日はあとわずかだった。


 茜差す通学路を歩きながら、影子はハルに必要以上に近づきながら猫なで声を発した。


「なあなあ、ゲーセン寄ろうぜ! あとクレープ!」


「ダメ。今月はお小遣いもうピンチだから」


「ちぇっ、ケチくせぇ」


 口を尖らせながら、すすす、と距離を取る影子。すり寄ってきたのはこれが狙いだったか。


 ハルはため息をつきながら、


「なんだって君はいつもそうなんだ」


「こうでなきゃアタシじゃねえだろ」


 当然のように言い放ち、なんなら胸まで張る始末だ。頭痛をこらえるようにこめかみを押さえ、ハルが言った。


「まったく、とんでもないイデアだよ……」


「アンタが弱っちぃ分、影であるアタシが強くなってやったんだよ」


 光と影。陰陽思想。ハルと対になる影子は、いわばハルとは正反対の性質を兼ね備えていた。影子の言う通り、ハルが気弱な分、影子は過激な性格になったのだ。とはいえ、こんなドSが出てくるようなドМである自覚はないのだが。


「僕は弱いからなぁ……」


 自分でもいやというほど知っている。いつも影子に助けられてばかりだ。


「例の一件から目をそらし続けるくらいに、か?」


 その一言で横っ面をひっぱたかれたような気分になった。図星を突かれ、狼狽したハルはつい口を滑らせてしまう。


「し、師匠のことは今は関係ないだろ!?」


 そう、師匠だ。ついこの間までハルが師匠と慕っていた男。行きつけの喫茶店のマスターであり、ハルが感銘を受けた小説を書いた小説家でもあった。知的で、穏やかで、いつもハルに的確なアドバイスをくれた。


 しかし、彼は『影』にひとを食わせ『影』だけの世界を作ろうとしている組織、『影の王国』の一員だった。ハルを裏切り、一度は窮地にまで追いつめた師匠だったが、結局影子にやられてどこかへと消えてしまった。


 結局、最後まで本名も年齢も国籍もわからなかった。


 すべては過去形であり、あれ以来ハルはこのショッキングな事実から目をそらしてふたをし続けてきた。


 しかし、そろそろ年貢の納め時らしい。


 影子に真顔でなじられ、ハルは眉根を寄せた。


「……いつか向き合わなきゃとは思ってるんだけどさ。いまだに受け入れられないんだ。師匠があんな事件を起こしたなんて……」


「ふはっ、弱っちぃの! 我がご主人様ながら情けなくなるぜ」


「仕方ないだろ! 僕だってわかってるんだよ! けど、感情が追いつかなくて……!」


 歩きながら大声を出すと、道行く人が振り返る。はたと我に返り、ハルは小声で続けた。


「それに、もうどこに行ったのかもわからないし……師匠の『影』だって君がやっつけただろう?」


「ん! 完膚なきまでにな!」


 散々苦戦したくせに、影子はそのことは覚えていないらしい。都合のいい記憶力だ。


「ともかく、もう少し時間をくれよ。そうしたら、ちゃんと消化するから」


「あんま待たせんじゃねぇぞ?」


 家が近づくにつれ、影子はハルの影ににゅっと沈み込んでいく。沈み際片手を振って、


「そんじゃ、今日はここまで! おやすみ、ダーリン♡」


「ああ、おやすみ、影子」


 玄関のドアを開けると、もう影子の姿はなかった。


 ハルはさもひとりで帰ってきましたと言わんばかりの顔で母親にただいまと言うと、自室へと向かう。


 着替えながら、沈鬱な気分になった。


「……深い爪痕を残してくれたもんだ……」


 誰にともなく恨み節をつぶやきながら、ハルは制服をハンガーにかけ、ベッドに飛び込むのだった。

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