№7 ダンス・ウィズ・シャドウ
工場の見捨てられたコンデンサーの影から、なにか真っ黒なものが鋭く伸びてきた。影子に押し倒されていなかったら餌食になっていただろう、蛇のように長い……
いや、これは龍だ。ファンタジー漫画でよく見る長い龍の『影』が、あぎとを大きく開きながら鎌首をもたげてこちらを威嚇している。頭の大きさは大蛇ほどで、長さは見当がつかないくらい長い。
「オラ立て! また来るぞ!」
胸ぐらを引っ掴まれて強制的に立たされると、予告通りまた龍の牙が迫った。
影子は素早く足元の影からチェインソウを引っ張り出すと、腰だめに構える。どるるるるるる!と低いチェインソウの駆動音が広い工場中に響いた。
「ひゃっっっっほーーーーい!!」
ハイテンションな雄叫びを上げて、影子がチェインソウを振るう。龍は勢いもそのままに回転する刃に突っ込み、あぎとから尾まで横に真っ二つになった。ふたつの影が墨汁のように弾けて消える。
「ん、ん、なーんだ、大したことねえじゃん」
息一つ乱さず、影子が大げさにがっかりしたように肩を落とす。チェインソウを下ろそうとしたそのとき、ふと視界の端になにかがうごめいたのが見て取れた。
「影子!」
呼びかけても遅かった。先ほどと同じように伸びた黒い影が、後ろから影子の腹あたりを食いちぎる。びしゃ、と飛び散った黒い飛沫は影子の血液のようなものなのだろうか、腹を押さえて膝を突く彼女は無暗にチェインソウを振るうが、龍の『影』には届かない。
「……ちっきしょ……もう一体いやがったか……」
腹を押さえながら何とか立ち上がる影子だったが、現実は残酷だった。
ざわり、ざわり。工場中の影から伸びる、龍のあぎと。その数は十数体ほどだろうか、どれもこれもが銃口のような暗い眼差しで影子を狙っている。
「こ、こんなにたくさん……! ダメだ、影子、逃げよう!」
狩りの獲物はこちらの方だったか。
怖気づいて撤退を提案したハルだったが、影子は違った。ぶうん、とチェインソウの回転数を上げ、構える。
「冗談! こんだけ獲物がいるんだ、食いでがあるじゃねえか」
「そんなこと言ってる場合か! 死ぬぞ!」
「はっ! 『影』は死なず、ただ消えゆくのみ、ってか?……消えるのなんざ、怖かねえ。それよりも、退いて恥をさらす方がよっぽど怖えんだよ!」
これが、自分の『陰』の部分だというのか。
これは勇気ではない。まるっきり、ただの蛮勇だ。
なにが彼女をそうさせているのか、戦うことをやめない。
龍の『影』が三体、同時に影子に飛びかかった。一体の首をギロチンのように振り下ろしたチェインソウで切断し、もう一体の『影』をチェインソウを盾にしながら弾き飛ばす。
しかし、ふらついた足取りではそれが限界だった。三体目に深々と左肩を食いちぎられ、またしても黒い飛沫が舞う。
よろけた影子の太ももを更に削り、『影』の猛攻は止まらない。
「影子! もうやめよう!」
「るっせええええええ! 邪魔すんな!」
「なに意地張ってんだ! もういいから逃げよう!」
言ってから、はっとした。
影子の口元には深い深い笑みが浮かび、瞳は赤くらんらんと輝いている。
これは意地なんかではない。彼女は、この状況を楽しんでいるのだ。
闘争本能のまま踊ることを、心底楽しいと思っているのだ。
いつも逃げ腰の自分とはまるで正反対の、好戦的な本性。一歩も退かないプライド。
こんなときなのに、なぜかとてもうらやましかった。
これが自分のイデアだというのなら、確かにそうなのだろう。
それでも影子は善戦していた。一体一体のちからはさほど強くはないのだろう、加えて数が多く、やみくもにチェインソウを振り回しただけでも敵にダメージを与えられている。
また一体、回転する刃に巻き込まれた『影』が黒い水となって消えていった。
だが、ここまでだ。とうとう影子はがっくりと膝を突いて倒れてしまった。廃工場の床に影子を中心とした黒い水たまりが広がっていく。
――このままでは影子が死んでしまう。
焦りと恐怖と緊張の中取った行動は、意外にも機転の利いたものだった。
スマホを取り出し、カメラのフラッシュを最大にしてシャッターを押す。
一瞬押し寄せた光に、龍の『影』たちは反射的に廃工場の隅の暗がりへと戻っていった。
その隙を突いて、影子のからだを抱え起こす。ひどく軽いそのからだからは、今もだくだくと黒い液体がこぼれ落ちていた。
「頼むから、戻ってくれ……!」
その影子のからだを、ぎゅうぎゅうと己の影に押し付ける。さすがに影子のからだを担いであの『影』たちから逃げるのは骨が折れそうだったからだ。押し付けるたびに、ぐぷ、ぐぷ、と影子のからだは影の中に沈んでいき、やがてはその全身が影の中に納まった。
ざわめく龍の『影』たちが再び襲い掛かろうとしている間に、急いで廃工場を出る。
外は夕暮れ時で、あちこちから長い影が伸びていた。
影。影。影。
どこから飛び出してくるかわからない。
周囲を警戒しながら全力で走り出す。路地裏を抜けて、駅前の商店街へ。振り返ったら追いつかれるような気がした。
息を切らせながら人混みの中を走り抜けていると、どん、と誰かにぶつかる。
「すっ、すいませ――」
「あれ? 塚本?」
脊髄反射で謝ろうとすると、聞き慣れた声が返ってきた。
よく見ると、ぶつかった相手は倫城先輩だった。部活帰りだろうか、大きな荷物を担いで珍しくひとりだ。
「どうしたんだよ、そんなに慌てて?」
「か、『影』――あ、いえ、なんでもないです!」
龍の『影』のことを伝えようとすると、影子のことから説明しなくてはならない。影子が『影』であることは極力誰にも知られたくなかった。
あからさまにあやしい挙動で首を横に振りながら、騙されてくれと祈る。
頭の上に疑問符を散らしながらも、倫城先輩はそれ以上追及してくることはなかった。
「カツアゲにでもあったんだな。逃げてこられてよかった。今度そんなことあったら俺が話つけてやるから、遠慮なく言えよ」
「はい、ありがとうございます。倫城先輩も気を付けて……」
そそくさとその場を離れるハルに、先輩が手を振る。引きつった笑顔で手を振り返しながらも、周囲に対する警戒を解くことはない。
龍の『影』はもう追ってきていないようだ。ほっとして乱れた息を整え、商店街のビルとビルの隙間に入る。
「おい、影子、大丈夫か……?」
影に向かって呼びかけると、苦痛をこらえるような、それでいて不機嫌丸出しな声だけが返ってきた。
『てめえ……なんで逃げた?』
「だって、君が死にそうだったから……!」
『んん? 敵前逃亡は士道不覚悟、ってガッコで習わなかったか?』
「そんなこと言ってる場合か! 僕がいやなんだよ、君が死ぬのが!」
感情のままに影に向かって吐き散らすと、ふと影の向こうで影子が息を呑んだ気配がした。それから、困ったような沈黙が続く。
『……ま、済んだことはいいや。けど、この借りはぜってー返す……!』
煮えたぎるような声音でリベンジを誓う影子。本当はもう二度とあの龍の『影』には関わり合いになりたくなかったが、影子は自分を引きずってでも連れて行くのだろう。
『とにかく、ダメージがデカい……正直、限界だ。具現化するちからも残ってねえ。しばらくは、アンタの影の中でぐだぐださせてもらうわ……』
「治るの?」
『ったりめーだ。明日には具現化ぐらいはできるちからが戻ってくるだろうよ』
それっきり、影子は黙ってしまった。スリープモードに入ったらしい。
商店街の物陰から出て、心配のため息をつく。あれだけ深く傷ついたのだ、傷が癒えるのには相当時間がかかるだろう。
「……無理しすぎなんだよ……」
今も影子はこの夕暮れに伸びる影の中で眠っているのだろう。
おやすみ、影子、とこころの中でつぶやいて、ハルは家路をたどった。
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