№2 『ノラカゲ』
便所飯というのも惨めすぎたので、とりあえず学食へとやってきた。ここは持ち込みで食事をすることもできる、ハルの数少ない憩いのスペースだった。
昼飯時でごった返す学食の中、空いている席を見つけて腰を下ろす。
くたびれたサラリーマンのように肩を落として焼きそばパンの袋を開ける姿は、とても健全な男子高校生とは思えないくらい哀愁が漂っていた。
「お、塚本!」
パンをもしゃもしゃと食べていると、溌剌とした男の声が降りかかってきた。顔を上げると、なにやら友達たちと食器を片づけに行っている途中らしかった少年がこちらに向かって笑いかけている。
「倫城先輩……」
「なーに暗い顔してメシ食ってんだよ、そんなんじゃ栄養になんねーぞ?」
笑ってハルの肩をばんばん叩く倫城先輩は、まさしく青春の輝きに満ち溢れたオーラをまとっていた。なにせ成績は学年トップ、野球部のエース、容姿端麗、人柄も満点となれば、ハルとは住む世界が違うというものだ。
倫城先輩はハルが一年のころ、野球部に仮入部したときからの付き合いだった。結局入部はしなかったが、それでも先輩はことあるごとにハルに声をかけてくれた。誰にでも優しいひとなんだろうな、というのがハルの見解だ。陽キャというやつだ。
「これがデフォなんで……」
卑屈さ満点の眼差しで先輩を見上げると、彼は困ったように頭をかいた。
「聞いてるぞ、女子から嫌がらせされてるって。なんかあったら相談乗るぞ? いつでも言ってこいよ」
きっとこの手の相談はお手の物なのだろう、先輩に相談すれば女子たちも少しは大人しくなるかもしれないが、それは男の沽券にかかわる問題だ。妙なプライドが邪魔をして素直に言い出せない。
そのうち、先輩は友達たちに呼ばれてしまった。
「あー、悪ぃ、今行く!……ともかく、俺は塚本の味方だからな。なんかあったらすぐに言えよ」
仮入部の数週間しか接点がない後輩に向かって、味方だ、なんてとても高校生の器とは思えない。将来はとんでもない大物になることだろう。
……自分とは違って。
手を振る先輩に別れを告げ、再びパンをもそもそと食べる。
『続いてのニュースです』
学食に設置されているテレビから、午後のニュースが流れてきていた。なんとはなしにその報道に視線をやり、耳を傾ける。
『『ノラカゲ』による被害者数が、先月と比較して3.2%増加との報告が、ASSBによって発表されました。増える『ノラカゲ』被害、政府はASSBへの現状対策を要請、ASSBは近く会見を開き、新たなる『ノラカゲ』対策についてなんらかの見解を述べる予定であるとコメントしました』
また『ノラカゲ』か……そういえば、最近ニュースでもよく見るようになったな。
まるっきり他人事の感想を抱き、パンを食べ続けるハル。
『ノラカゲ』――本来『影』はその対となる『実存』と共にある。しかしこの世には、その『実存』を持たない野良の『影』が存在するのだ。『ノラカゲ』は主人を食い殺した『影』と言われ、飢餓感に突き動かされるままどんどん人を食うらしいのだ。
最初は殺人事件程度の発生率だった。しかし、近年その被害者数が増加し、政府は『ノラカゲ』対策に乗り出した。
そして設立されたのが、対『ノラカゲ』支局、通称ASSBだ。
ASSBは『ノラカゲ』に通じ、日夜そいつらを退治しているらしい。
……バケモノ退治だなんて、ハルにとってはちょっとした憧れだった。
しかしこわいのでASSBに入りたい!などとは口が裂けても言えない。
『ノラカゲ』は、一般人にとっては通り魔のようなもので、フィクションとノンフィクションの境目にいるような存在だった。
つまり、ハルにしてみれば関わり合いのないことなのだ。
「……お前もいつか僕を食うつもりなのかな?」
学食の窓から差し込む陽光で浮かび上がった自分の影に問いかける。
影はもちろん何も言わず、今日も規則正しくハルの形をしていた。
「だよなあ」
所詮、『ノラカゲ』なんてとてつもない不運でも背負っていない限り遭遇しない存在だ。
今度はASSBとして『ノラカゲ』と戦う妄想でもしてみよう……とパンを食べ終えて牛乳を飲みながら、ハルはのほほんと考えていた。
それから放課後も一ノ瀬にいじめられ、逃げるようにしてハルは下校した。
ハルには友達がいない。
当然、帰るにしてもひとりだ。
しかし、ひとりの方が色々と好都合なこともある。
「……おっ、ここなんか秘密基地感あるな」
駅前の路地裏、鉄骨の積まれた空き地を訪れ、ひとりごとを言う。この駅前は今再開発が進んでいて、こういった暗く裏さびれた空き地や廃ビルが数多く存在するのだ。ハルの趣味はそういった場所を訪れて秘密基地認定し、妄想にふけることだった。
根暗なのは自覚している。
積まれた鉄骨の山に腰掛けて、膝の上に頬杖をつく。
そうだ、今日は『ノラカゲ』の妄想をしてみよう。
…………。
僕はASSBの高校生裏エージェント。
秘密裏に『ノラカゲ』の情報を収集し、殲滅するのが僕の仕事だ。
武器は、そうだなあ、デザートイーグルがいいかな。
二丁拳銃だ。
ある日、偶然にも『ノラカゲ』に追われている美少女を颯爽と助けて――
「助けてくれぇー!」
しかし、妄想を中断したのは野太い中年男性の声だった。
こんなさびれた場所に?と顔を上げると、ちょうど空地へとサラリーマン風の男が逃げ込んできた。
「助け……助けて……!」
「ど、どうしたんですか!?」
「『影』が、突然……ああ、あああああああ!!」
慌てて駆け寄ろうと鉄骨から降りたそのとき、男の姿が路地裏の影へと引きずられていった。地面を這いつくばり、必死に引き込まれまいとする男だったが、その抵抗も虚しくずるずると影に引っ張り込まれていく。
じゃぶん!とどこかで盛大な水音がした。
そして、空き地に静寂が訪れる。
……背中を冷汗が伝った。
これは、妄想ではない。
紛れもない現実だ。
このぴりぴりとした静けさ、狩るものと狩られるものの気配、路地の暗がり。
なにかが起ころうとしている。
やがて、路地裏の影がうごめきながら形を変えていった。
ずず、と水たまりのような影が、『影』だけが、空き地の薄暗がりを滑ってくる。
――『ノラカゲ』。
フィクションとノンフィクションの境目の存在だったそれが、今、目の前に迫ってきている。
『ノラカゲ』は、本能のままにひとを食う。
ならば、きっと自分もこれから食われるのだろう。
生きたまま食われて、そして……
「うわあああああああ!!」
恐怖に突き動かされてその場を飛びのくと、さっきまで自分がいた場所を『ノラカゲ』の波濤がさらっていった。スライムのようにねばつき、具現化した『影』が糸を引きながら地面を舐めている。
これは妄想ではない。
自分はヒーローではない。
この場をしのぐ手段はない。
ないない尽くしで途方に暮れて、地面にへたり込む。へたり込んだまま、空き地の隅へと這いつくばって逃げていく。
『ノラカゲ』は容赦なく獲物を見定め、次の動きへと移るためにちからをためていた。
どん、と廃ビルの外壁に背中がぶつかる。
逃げ場はない。
もう、おしまいだ。
今までの自分の人生、なんだったのか。
走馬灯すら出てこない。
ただ涙だけが浮かぶ。
ちからをためた『ノラカゲ』が、こちらに飛びかかってきた。
からだを呑みこむくらいの黒い波が頭上に迫り――
「――ったく、見てらんねえな」
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