第9話:ワン・オン・ワンで勝負です
どうやらこの国の貴族令嬢(ヒト族)は、厨房に入らないらしい。
まさにその貴族令嬢である侍女が言うには、まず「料理人の仕事を奪ってはダメ」という大事なルールがあるとのこと。
そして、「不用意な肌見せNG」という淑女の原則があり、「袖をまくって何かしていると、はしたないと言われる」とのことだった。これには、みだりに肌を見せるなという意味もさることながら、「労働者ではないのだから腕まくりなんかする必要はないだろう」という意味合いも含まれているようだ。
わたしもあまり露出は好まないほうだし、不当に他人の仕事を奪って損をさせるのも良くないことなので、言っていることは理解できる。
オーディンス副団長の言う「調理場も料理人も
オーディンス家は国の有力な上流貴族らしい。つまり彼は育ちの良いボンボンだ。
もしかしたら、お金持ち過ぎて世間と感覚がズレているのかも知れない。
試しに「お料理ができなくても構わないので、厨房へご挨拶にいきたい」と言ってみた。しかし、「
数日考えた末、わたしはついに決断した。
厨房へ正面から強行突破しようと思います。
最終手段の武力行使です(やけくそ)
決行当日の朝、侍女の皆に打ち明けたら驚かれた。
しかし、わたしが目的と作戦の詳細を話すと、かなりノリノリで協力してくれた。
怪人クソメガネさま以外は、理解のある素晴らしい方達なので助かります。
相手は優秀な騎士様だ。
一度失敗したら二度目はない。
三十センチ近い身長差とパワーの差を考えたら、正攻法ではまず無理だ。奇襲を仕掛け、自分の小ささを活かす戦法を取らなくては……。
やはり、アレを使うしかありませんねぇ。
久々だけれども、できるかしら。
わたしは侍女三人と連れ立って、しずしずとホールを歩いていた。
午後三時のお茶の時間に合わせ、一階の図書室から、同じく一階にあるサロンへと向かうところだ。
しず、しず、しず……
衣擦れの音が本当にそう聞こえるから内心笑えてくるのだけれども、表向きはとてもお上品な神薙様に仕上がっていると思う。
普段なら「お茶なんか本を読みながらでも飲めるのに、まったくなんだってわざわざ移動をしなくちゃいけないのぉ」と、内心イヤイヤしているところだ。しかし、今日のわたしは違う。
お庭かサロン、どちらでお茶をするかと聞かれたときに、自ら「今日はサロンで頂こうと思います」と答えた。
ちょいと通り道に、野暮用がありやしてね。へっへっへ。
今日のドレスは、おピンクのリボンがいっぱい付いたフワフワの乙女チックなやつだ。
鏡を見た瞬間、恥ずかしくてちょっぴり泣いたけれども、これは侍女が戦闘服として選んだものだ。これでなくてはいけない理由がある。
このドレスは他のものに比べてわずかにスカートの丈が短い仕様になっている。ヒールの低い靴を履くときにちょうど良い長さにしてあるのだ。
露出を好まない保守的な国において、神の使いのドレスともなれば、周りから足などは絶対に見えない長さになっている。せいぜい靴のつま先がちょこっと見える程度だ。
わたしはそこに武器を隠していた。
本日のリーサルウェポンは「ペッタンコ靴」である。
フィットネスクラブのトレッドミルで走り込んだこの脚を最大限に生かす武器だ。
ヒールというリミッターを外したわたしの力を見せてやります。
悪いけれども、足は速いですよ。
小中高とクラス対抗リレーの常連でした。しかし、ほとんど走る必要のないバレー部所属。使い道のない俊足と言われていたけれども、ようやくリレー以外でも役に立つときが来ました。
クソメガネさま、ご覚悟願いますよぉ。
彼は警戒していた。
厨房方向への通路をふさぐように立っており、わたし達からだいぶ離れたところにいる。急に方向を変えて厨房へ向かうのを阻止するためだろう。
ふっふっふ、そんなのは想定内ですよ。
むしろ少し距離があったほうが仕掛けやすいのです。
わたしはゆっくりと彼の前に差し掛かった。
「今日のお菓子は何でしょうねぇ」と、侍女に向かって話しかける。まるで「厨房になど興味はございません」という顔を見せておくためだ。
侍女達との話が盛り上がりかけた瞬間、視界の隅で彼が、ふっとよそ見をしたのが見えた。
もらった……!
油断しましたね、副団長さま。
いざ、尋常に勝負ッ!
わたしは両手でガッとスカートを掴むとロケットスタートを切った。
警戒を解いた瞬間の急発進に、対応が遅れた彼の鉄仮面がボロリと崩れる。
慌てていますね。
でも、もう遅いですよ。
彼は驚き戸惑い、体が左右にブレていた。
今だぁ~!
高校時代にバスケ部の友人から伝授された「庶民フェイク」に独自アレンジを加えた「スーパー庶民フェイク」を発動。
視線と僅かな上半身の動きを使い、彼を横に大きく揺さぶってゆく。
どうにか対応しようとバタつく彼は、もう鉄仮面などどこかに置いてきてしまったかのように、オロオロとした表情を見せていた。
無駄ですよ、怪人クソメガネさま。
この神薙様はね、小学校時代からスーパーエースとしてネット際で数えきれないほどの騙し合いをしてきているのです。
騙しのキャリアが違うわ。おーっほっほっほっ(バカ)
バランスを崩した彼はわたしを止めようと手を広げ、それを前に出してきた。
掛かりましたねぇ~。
こちらの狙いは、彼の重心を前へ動かすことだ。
このチャンス、逃してなるものか。
いでよ、ペッタンコ靴ッ。
わたしは膝を使って体勢を低くすると、重心を後ろに残しながら彼の手前で急停止した。ヒールでやったらグキッとなって死ぬやつだけれども、この靴でなら実現できる。このゴム底の靴は最高のグリップ力を発揮するッ。
パーフェクトです、侍女さん達っ。
わたしは左足でぎゅっと床を踏みしめ、腰から上体を回しながら右足を引いた。
左から右へのシフトウェイト。水平に力を滑らせるように、素早く体重移動をする。
バスケ部有志直伝、庶民のロールターン!
行っけぇぇぇ~~ッッ。
左足を軸に半円を描きながら副団長の右脇をかわし、厨房へ続く廊下を猛ダッシュ。
高校時代、球技大会対策としてバスケ部有志から習ったドリブルテクニックで、副団長をぶち抜いた。久々だったけれど意外と体が覚えているものだ。
おそらく彼は、前につんのめってオットット……となっているだろう。そこから体勢を整えて追ってきても、もうわたしには追い付かない。
わぁい、勝ちましたぁ~♪
正面突破して辿り着いた場所は、ピカピカに清潔な厨房だった。
真っ白なコック服とコック帽に身を包んだ素敵な料理人六人とアシスタントの皆さまが、ぽかんとこちらを見ている。
わたしはぺこりと頭を下げ、念願のご挨拶をした。
「神薙様?」
「やっとお会いできましたぁ」
厨房から歓声が上がり、三時のお茶は皆さんと一緒に従業員用のダイニングで頂いた。
ちなみに上流貴族のボンボンである副団長はこの日、生まれて初めて厨房という場所に立ち入ったそうだ。
わたしが「どこが
オーディンス副団長に仕掛けた「ボールなきワン・オン・ワン対決」は、わたしの勝利で幕を閉じた。
よくよく聞けば何か事情があって厨房から遠ざけておきたかったらしいけれども、その事情はもう解決したとのことだった。
怪人クソメガネさまは、普通の「カタブツメガネさま」になった。
相変わらず表情や感情表現は乏しいものの、人に向かって「
わたしが厨房で料理をしたがっていることについては、この国の常識に当てはめると少々問題であり、執事長も反対をしている。仕方がないので今はおとなしく諦めるしかなさそうだ。
おかげさまでコミュニケーション目的であれば自由に厨房へ行けるようになった。
タベラレマスカ教祖による謎の儀式や説法(?)も行われなくなり、快適かつ平穏な日常がやってきた。
頑張って戦ってよかった。
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