12.絶望してんだよ
「高瀬出ないな」
駅に戻る道中、堀田はいくつかの手段で高瀬に連絡を試みたが、そのどれも反応はなかった。一言、「気づいたら電話しろ」とだけメッセージを送信し、佐々木と共に昼下がりの寂れた商店街を行く。佐々木はついさっき自販機で買ったお茶をがぶ飲みして、晴れやかな表情で汗に濡れた前髪を横に流した。
「まだパチンコ打ってんだろ、1時間も経ってないし。——ねえ、それよりどうよ」
「何がだ」
「俺の交渉術だよ。ヤクザを丸め込む華麗なトークだよ」
「お前は諦め悪く縋り付いてあることないこと捲し立てただけ。君島が苛立って冷静さを欠いていたからどうにかなっただけだ」
「どうにかなったのは俺がいたからだろ」
「その場凌ぎにしかなってない。それに、囮だなんだって、今後のことは全部俺に投げやがって」
「俺からお前に、うまいことバトンを渡したんだよ」
ああ言えばこう言う。堀田は眼鏡を外して目に染みた汗をハンカチで拭った。
「……もういい。こんなに暑い中、お前と言い合う体力はないんだ」
「お茶飲むか? まだ冷たいぜ。俺からのバトンだ」
「いるかよ」
差し出した容量500mlの筒を拒否されるも、佐々木は駅にたどり着くまで一人で悦に入り続けた。
佐々木と堀田は駅周辺や改札前のキオスク、カフェまで一通り探したが、高瀬は見当たらなかった。
「この辺パチ屋何個かあるみたいだぜ。探す?」
佐々木がスマホでマップを見ながら呟いた。堀田は「いや」と言いつつ佐々木の肩を叩くと、カフェを指した。
「どうせ君島から連絡来るまで何もできない。動かずに待とう」
「ほんとに探さなくていいの?」
「連絡は入れてある。あいつがどんなに馬鹿でも流石にスマホは見るだろ」
そして堀田のこの予想は、二人がカウンター席で一息ついて、しばらくもしないうちに裏切られた。
堀田と佐々木が窓の外、改札口を行き交う雑踏をぼうっと眺めていると、二人が入ってきた出入口とは別の方向から、小走りできょろきょろしている小柄な男がやって来た。
「あ、高瀬。俺たち探してんのかな」
「挙動がおかしいな。というか、電話入れろって送ったんだが」
「通り過ぎたけどどうする?」
「お前呼んできてくれ」
「ええ」
「そのココア奢っただろ」
「分かったよ」
佐々木はがたがたと音を鳴らし、矮小なカウンタースツールからでかい図体を下ろして店を出た。高瀬が過ぎ去った方を見ると、彼はまだ切符売り場付近で彷徨っていた。
「高瀬! 何してんの」
少し近づいたところで呼びかけると、高瀬ははっと振り返り、迷子が親を見つけたかのように表情筋から力が抜けた。
「佐々木、見つけてよかった。堀田は?」
「あっちの店で休んでる」
「ちょっと隠れさせてくれ」
「隠れ……何したのお前」
「いやいや何もしてねえよ」
強引に佐々木の腕を引っ張る高瀬は、やはり周囲を警戒している様子であった。佐々木が高瀬を連れて——絵面としては逆だが——カフェに戻るや否や、高瀬は二人の背後に身を隠すようにして背を丸めた。
「何したんだお前」
すぐに察した堀田が、声を潜めて尋ねた。高瀬の目が泳ぐ。泳いだ先でわざとらしく神妙な面持ちを作る佐々木と目が合い、慌てて顔を逸らした。
「なん、何もしてねえよ」
「怒らないから。何したんだ」
「俺じゃなくて藤峰んとこのチンピラが……」
「また殴ったのか……」
「怒らないって言ったじゃねえか」
「絶望してんだよ、お前のけんかっ早さに」
「ちが、ちっげえよ、聞けって。マジで今日は何もしてないんだって。ほら、あの美人局の風俗嬢いただろ」
予想していなかった人物の登場に、佐々木と堀田の眉間から皺が消えた。高瀬は顔の前で両手をばたつかせて、懸命に弁解を続けた。
「パチ屋で鉢合わせて礼言われた。俺が殴った美人局のガキ、その姉ちゃんの彼氏だったみたいでさ。おっさんにボコられて情けないし、女にウリやら美人局やらさせるしで、さっさと縁切ろうって目が覚めたらしい」
「言いたいことは色々あるが……まずこんな所で偶然鉢合わせなんてするか? ここ新宿から結構距離あるぞ」
「家は新宿らへんで、新しい男がこの辺にいるらしい」
「ひえ、乗り換え早いなあ」
「元々、そういう相手が何人もいたんだろ」
「それはお前だけじゃね?」
急に高瀬から刺されて、堀田が思わず口をつぐんだ。その隙に佐々木が胸に手を当てて蕩々と語り出す。
「そうそう。あの子はきっと、彼氏が途絶えると寂しくて生きていけないタイプなんだ。だから恋人に捨てられたくなくて、仕方なく俺に美人局を仕掛けたってワケ。俺の人の良さに胸を痛めながら。そうに違いない」
堀田が苦い顔でアイスコーヒーに口をつけ、二人から顔を逸らして嘆息した。
「…………女の話はもういい。高瀬、それだけならお前はどうしてあんなに挙動不審だったんだ。かなり怪しかったぞ」
「いやだって、あの姉ちゃんの彼氏だぜ? また藤峰の組員だったらまずいと思ってさ」
「じゃあ堀田と俺が迎えに行ったのに」
「いや……スマホ壊しちゃって連絡取れなかったんだよ」
高瀬は気まずそうな顔でポケットをまさぐった。取り出したスマホは画面に蜘蛛の巣が張っているどころか、ひしゃげて完全に破壊されていた。堀田が文字通り頭を抱える。
「何やってんだよ」
「いやあ、その風俗嬢の姉ちゃんが連絡先欲しいって言うから、交換しようと思ってさ」
「高瀬ぇ、もっと警戒しなくちゃダメだぜ」
「お前が言うな。……それで?」
「それで……手が滑って落として、自転車に轢かれた」
佐々木と堀田がほとんど同時に脱力して俯いた。
「いやその、5千円損しちゃってさ。ショックで手に力入んなくて……」
高瀬が聞いてもいない理由を捏ねていると、堀田が銀縁のフレームを押さえながら額を指で叩いた。
「結果的に、その節操なしの女と繋がらなくて済んだと思えばいい」
「確かにそうか」
今の今までの申し訳なさそうな態度はどこへやら、高瀬はけろっと納得して「俺もなんか買ってくる」と二人から離れた。
佐々木がトイレだと言って席を立ち、再び三人がカウンター席に集まる頃、堀田が丁度誰かと通話を終えた。
「君島からだ。“入居”の準備ができたんだと」
君島が指定した避難先は、彼がいくつか所有する住宅の一つであるとのことだ。
「君島が言うには、愛人が管理しているらしい」
東堂組事務所最寄り駅からさらに数駅先、千葉県との県境付近の住宅街を歩きながら、堀田は指定された住所に向かいつつ他二人に説明した。すると佐々木が、冗談めかして感嘆した。
「ヤクザっぽいねえ」
「ぽいっつうか、君島さんは本物だけどな」
「つうか高木、事務所に行くのはあんなに渋ってたのに、ヤクザの家に行くのはアリなの?」
佐々木の当然の疑問に、高木はけらけらと笑った。
「君島さんに会わないなら大丈夫だって。あの人ほど強引なやつは東堂にいねえ」
「————ここだな」
一般的な戸建ての前で、堀田は表札を確認した。当然、君島の氏ではない。さらによく見れば、ガレージに停車する黒塗りの車はフルスモークで車高が低い。
堀田と佐々木が二階建てのその家を仰ぎ見て二の足を踏んでいるうちに、高木がずけずけと門を抜けてインターホンを鳴らした。今ばかりは高木の考えなしの度胸がありがたいと言わんばかりに、二人はほっと胸を撫で下ろして高木の背後に立った。
「はあい」
インターホンから女の声が聞こえた。
「ちわ、高木です」
なんの説明もなく自己紹介をする高木。案の定、インターホン越しに女の当惑した声がする。
「たか……?」
「由梨奈さん、高木さんです。さっき君島さんが言ってた人っすよ」
すると、今度は女の声の他に若い男の声もした。すると女が得心がいったように「今開けますね」と言って、インターホンは沈黙した。
鍵の開く音がして、中からウェーブのかかった長い髪がちらりと揺れる。
「君島から聞いてますよ。大変ですね」
中から出て来たのは、目の形や鼻筋がやけに人形じみた女だった。要は美人なのだが、どこか作り物っぽい。
「お邪魔しまあ——いてっ」
「————ちょっ、と、待て」
高木に続いて家に入ろうとした佐々木の首根っこを掴み、堀田が扉の影、つまり女の死角に回った。
「どうしたの堀田」
「拙いぞ」
「何が」
「ねえ、早く入ったほうがいいんじゃないですか」
女が心配そうにこちらを覗いた。彼女は佐々木と、そして彼の後ろで狼狽えて硬直している堀田を目にして小さく悲鳴を上げた。
「あ、やだ、あなたこの前の——!」
「何だ知り合いか?」
女の後ろから、高木がひょこっと顔を出す。佐々木は女と堀田を交互に見やり、何かを察して目を見開いた。
「お前、まさか」
「…………一回限りだ」
「ヤクザの愛人だぞ、どうして女絡みだけ高木より考えなしの馬鹿になるんだっ」
「ヤる前にあなたはヤクザの愛人ですか、なんて確認するかよ」
「うるせえ節操なしっ」
さすがに返す言葉がなく、堀田は虚空を睨んでなすがまま佐々木に肩を揺さぶられた。
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