6.少年院行く前にも言ってたっす
時同じくして、江戸川区にある築云十年のアパート、高瀬の部屋では、着信音が鳴り響いていた。
「おい高瀬ぇ。さっきから3回目だよ、なんか急ぎの電話じゃねえの」
先に起床してなお、帰宅せず居座り土曜朝のワイドショーを眺めていた佐々木が、自分のことは棚に上げて迷惑そうに言った。高瀬はその後ろ、煎餅布団でうつ伏せになって微動だにせず、畳の上に放られたスマホが懸命に彼を呼んでいた。
「もう俺出ちゃうよ、いい?」
「いいよー」
「いいんだ」
いぶかしげな表情を浮かべつつも、佐々木はくぐもった承諾を得て塗装のハゲかけた古いスマホを手に取り、スピーカーで通話を始めた。
「もしもーし」
「あっ、高瀬さんっ。もう早く出てくださいよ」
電話口から、敬語でありながらくだけた調子の男の声が聞こえた。
「龍司なら俺の隣で寝てるぜ——いてっ」
「くだんねえこと言うな、殺すぞ」
「眠いからって怒るなよ」
「お前がふざけるから怒ってんの」
「あ、あのう……高瀬さんじゃないんすか?」
「俺は大親友の佐々木です」
「えっと」
「ああ、もうほら、俺出るから」
佐々木からスマホをぶん奪ると、高瀬は頭を乱暴に掻きながら布団の上に胡座をかいた。
「で、お前誰?」
「後藤っすよ後藤。お久しぶりです」
すると高瀬は眠そうにしていた目をすっかり見開き、表情を輝かせた。
「ああお前か、久しぶりだなあ。まだパチ屋のバイトと付き合ってんの?」
「うす、去年結婚しました」
「まじで!?」
「子供も生まれました」
「まじで!?」
「高瀬、用件聞かなくてもいいの?」
勢いのまま話が逸れていく高瀬と、後藤と呼ばれた男の会話に佐々木が水をさした。すると、後藤が「ああ、そうでした」と少し声を落とした。
「ちょっと高瀬さんに聞きたいことがあるんすけど」
「組のことなら、俺はもう何にも分かんねえぞ」
「や、今日の朝、ちょっと変な噂を聞いちゃって」
その言葉に、高瀬がきょとんとしている傍ら、佐々木は表情を強張らせて後藤の話の続きを待った。
「藤峰と繋がってる知り合いから聞いたんすけど。昨日歌舞伎町で、藤峰の使いっ走りがバチボコに殴られたって話があってですね。なんか近くの店からそれ見てた奴がいて、犯人は3人で、殴ってた男が高瀬さんに見えたらしいんすよ」
「ああ、——それ俺」
「見間違いじゃん? こいつ俺と一緒にいたし」
高瀬の頬を雑に押して彼が言いかけた言葉を阻止すると、佐々木は咄嗟に口を挟んだ。後藤はさして気にせず、「へえ、じゃあ違うのかな」と、高瀬さながら何も考えていない調子で呟いた。
「でも、そのあと高瀬さんっぽい人が他の男と走ってんの、この話を教えてくれた知り合いが直接見てるんすよ。高瀬さんと、あとはスーツ着た男と、派手な服着た茶髪のでっかい男」
「それ先に言えよ、全部見られてんじゃん!」
「お前が一番目立ってるなあ」
頭を抱えながら、狭い畳間にどしんと仰向けに寝転がった佐々木を、高瀬は愉快そうに一瞥した。
「で、他になんか話したいことあるの」
「いや、俺はむしろ、それが本当に高瀬さんなのか知りたくて電話したんすよ。なんか、使いっ走りボコられただけにしては、藤峰でかなり問題になってるみたいでしたから」
「あー、それはなあ……」
高瀬は、どう言おうか迷っているのか、顎髭を撫でながら苦笑した。
「説明面倒だから、また今度話すよ」
「そすか? せっかく足洗ったんすから、気をつけてくださいよ」
「だいじょぶだいじょぶ。多分なんとかなるって」
「そのセリフ、高瀬さんが少年院行く前にも言ってたっす」
「そうだっけ。まいいや、話ありがとな。落ち着いたらまた会おうぜ」
「うす、あざす」
「ちょっと待った!」
電話口の後藤には見えやしないのに、佐々木は両の掌をスマホに翳して通話が切れるのを止めた。
「高瀬——に似た奴と一緒にいた男たちについては、なんか知ってたら教えて」
すると、後藤が「うん……」と唸って思い巡らしている様子で黙り、それから佐々木に返した。
「スーツ男は知りませんけど。でっかい茶髪は、たぶん6年前まで3番通りのクラブでホストやってた佐々木っつう奴なんじゃないかって……そういえばあんた佐々」
「俺は大親友の堀田です」
「堀田が聞いてたら殺されるぞ」
「あんがと、じゃあね後藤!」
そう言って勝手に通話を切る佐々木。高瀬は呆れ顔で立ち上がると、冷蔵庫から2L飲料水を出して直に飲んだ。佐々木がそれを恨めしそうに眺めているが、高瀬は気づかないままやかんに火を掛け、インスタント味噌汁のパウチをいそいそと茶碗に用意し始めた。そしてようやく佐々木の視線に気がついたかと思えば、顎で玄関を示して言った。
「じゃあもう昼前だし、お前帰れよ」
「帰れるか」
「今日近くのパチ屋に新台入ってんだ」
「ねえ、それどころじゃないから」
佐々木が立ち上がって高瀬に詰め寄る。彼が室内を占める表面積が増して、古くて狭いアパートをより一層矮小なものへと錯覚させた。彼はでかい図体を縮こまらせて子犬のような困り顔を作り、やかんの様子を見守る高瀬の顔を覗き込んだ。
「きっと昨日の死体のことで、ヤクザが俺たち探してんだ……」
「んだなあ。けど、どうしようもなくないか? 堀田は関わりたくないって言うし」
「そうだ、ヤクザにはヤクザをぶつけようぜ、お前コネ使って焚き付けろよ」
「アホ、組抜けたのにそんなコネ持ってるわけねえだろ」
「人の命がかかってんだぞっ」
「俺もお前も自業自得じゃねえかっ」
やかんも二人の間の空気もふつふつと沸騰し始めた時、佐々木のスマホが音を立てて震え、その空気を冷やした。発信元は「ヒロミちゃん」である。
「堀田から電話きた」
佐々木はそう言って、ひとまず通話にする。
「堀田、聞いてくれ——」
「高瀬もいるか? 話がある」
やかんが、警報よろしくけたたましい音を鳴らす。
3人目の自業自得な男からの呼び出しに、状況を知らない佐々木と高瀬は不思議そうに顔を見合わせた。
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