三匹の豚共
ニル
1.武士道かよ
清濁、愛憎、見栄、本音。人の業のすべてを受け入れる混沌の街、新宿歌舞伎町。その一角、炭火焼とタバコの煙で店中が霞む場末の居酒屋で、サテン生地のボルドーシャツを着た縦にも横にもでかい男——
「でさあ、家に来たその子がさあ、ほんとに成人かってくらい、すんごい童顔だったわけ。そんでめちゃくちゃ世間知らずなわけよ」
佐々木の目の前に座る、髪を整髪料で横分けにしたサラリーマン風の男、
「子供過ぎて勃たないって話なら、何も面白くないな」
「馬鹿、体はすんごいんだから。で、で、話戻るけど。俺さあホストじゃん? ついねえ、出ちゃうわけ」
「早漏」
「お前、その見た目で頭ん中ピンク一色なの、ほんと詐欺だよ」
「お前の頭の中は一面のお花畑で羨ましいよ」
「ねえ俺の話聞いて?」
「わかったわかった。何が出たんだよ」
堀田は銀縁のスクエアグラスをくっと上げて、灰皿に立てかけていた吸いかけのパーラメントを口に運んだ。2020年4月1日施行改正健康増進法により、飲食店における喫煙者の肩身が狭くなってしまった昨今、しれっと灰皿を用意してくれるこの居酒屋は、彼らに残されたオアシスと言っても過言ではない。
堀田がさして興味がなさそうに、口元のタバコの先端が赤く灯るのを眺めていると、そんな態度に慣れきっている佐々木が、肉付きのいい背中を年季の入った背もたれに預けて腕を組んだ。まさに「ふんぞりかえる」を体現している。
「接客が出ちゃうのよ、女の子の悩み聞いたげてさあ。ついつい親身になっちゃうんだよねえ。もうこれ、職業病ってやつ?」
「高瀬遅いな……」
「それでさあ、女の子も「こんなにお話が上手な人、初めてです。」なんて言ってさあ。いやあ、あれが店なら太客になってたね」
堀田がわざとらしく無視しても、佐々木はデリヘル嬢に自身の魅力を意図せず振りまいてしまった話を意気揚々と続けた。
「結局どっちが客なのかわかんないね、つって」
「話だけして帰ったのか、勿体ないことをするな」
「いや、払った分はしっかりしっぽり」
「じゃあ正真正銘お前が客だよ」
「よう、わりわり。遅くなった」
取り留めのない佐々木の自慢話が延々続くと思いきや、日焼けした、小柄で筋肉質な男がテーブル脇に現れて阻止された。その男、
「さーせん、ビール三つ。あとからあげ」
「あ、悪い俺レモンサワーとたこわさ」
「じゃあそれとビールとからあげ」
「あ、ごめんやっぱ枝豆だわ」
「じゃあそれとビール。なあなあ、あとでアイス食べていい?」
「えっと…………」
高瀬と佐々木に畳み掛けられて、女性店員は困惑して注文を入力する手が止まっていた。堀田はため息をついて、それから彼女に微笑を向けた。
「ビール二つとレモンサワー。あと、とりあえずからあげと枝豆で。すいません」
あからさまにほっとした表情を浮かべて去ってゆく女性店員。堀田はその後ろ姿、尻に垂れた前掛けの紐がちょこちょこと揺れるのをじっと眺めた。それに気づいた佐々木が、大袈裟に咳払いをする。
「万年発情期」
「そんなんじゃない。今のは酔っ払いと馬鹿に見舞われた可哀想な店員を助けただけだろ」
「馬鹿って俺?」
高瀬はいつのまにか運ばれてきたお通しのきんぴらごぼうを摘みながら、佐々木の残りのビールを飲んだ。
「てか、さっきなんか話してただろ。続けていいよ」
「佐々木がデリヘルに面倒な絡み方して仕事増やしたって話」
「ホストとして仕事したって話だろ?」
すると、高瀬が小さくて細い目をぱちくりと開いた。彼の形を整えた短い口髭には、ジョッキの淵に残っていた泡がついていて、やけに子供っぽい。
「お前、ホスト復帰したのか?」
「いや、こいつはまだ生保(※生活保護)受けてる」
「生保でデリヘル呼ぶなよ……」
「借金作ってパチンコしてるやつに言われたくないね!」
「まあ確かに」
「高瀬、言い負かされるな」
「それになあ!」
「お待たせ致しましたー」
佐々木が何かを宣うのを、グラス3つと枝豆を持った女性店員が遮った。堀田と高瀬がそれを淡々と受け取る目の前で、佐々木は左胸に拳を当てて名言を吐く構えをしている。佐々木は律儀に、堀田と高瀬が新しくきた酒を一口飲むのを待ってから口を開いた。
「それになあ、ホストってのは職業のことだけじゃないの! 矜恃なの!」
「かっこいいな」
「武士道かよ」
素直に感嘆する高瀬、冷めた表情で短くなったタバコを灰皿に押し付ける堀田。佐々木は堀田の揶揄も褒め言葉と捉えたのか、満足げにからの器でとっ散らかったテーブルに肘をついて斜め上に視線をやった。格好つけているつもりである。
「そんでさあ」
「まだ続くのか。もういいよ」
「高瀬も来たんだから、まだ俺のターンでいいだろ」
「なんだよその理屈」
「俺は佐々木の話好きだよ。忘れてもいいから気楽だしな」
「ねえ俺抜きで盛り上がらないで!」
「お待たせ致しましたー」
テーブルに現れた唐揚げをいのいちばんに口に放って、佐々木はなおも口を止めない。
「そのデリヘルとさあ、連絡先も交換したの! だからほんとに惚れさせちゃったかもしんないの!」
そう言って、佐々木は画面の端っこが割れたスマホを堀田と高瀬に示した。インスタグラムのメッセージのやりとりが映され、簡単な挨拶が交わされた形跡がみられる。
「ノリ、若え」
「龍司ちゃん、時代に乗り遅れちゃだめよ。お勤めしてる間にすっかり浦島太郎じゃない」
「このよだれ垂らした絵文字なんの感情だよ」
「あ、おい、なんか来たぞ」
戯れ合う二人を置いて画面を見ていた堀田が呟いた。すると佐々木が素早く画面を見て、それからだらしなく目尻を下げた。高瀬と堀田は顔を見合わせる。
「なんて書いてあったんだ?」
「今暇、だってさ」
「暇って送っちゃお」
佐々木が軽快に画面に指を滑らせると、すぐに返信の音が鳴った。堀田は訝しげにその様子を伺った。
「なあ、その女怪しいぞ、お前に個人的に連絡するなんて」
だいぶ酔いが回ってきたのか、堀田の態度がより直球なものへと変わっていた。しかしそれ以上に酔っ払って赤ら顔の佐々木は、それを意に介していない。
「い、ま、か、ら、会、え、る、よ、送信!」
「ええ、俺まだ来たばっかだよ」
高瀬が唐揚げを咀嚼しながらつまらなさそうにぼやいた。
「おっ、近くのホテルじゃん。よし!」
「よしじゃねえよ」
堀田が低く野次を入れても、佐々木は聞いてない。
「堀田、高瀬、アイス食ったら行こうぜ」
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