穢れた指先;ダンジョンマスターの見る夢

顎男

ダンジョン管理人になってみた



 一緒に転移してきて、冒険者になった友人がいる。

 そいつは現代日本にいたときより生き生きとしていて、魔法も剣術もスポンジのように吸収し、めきめきと実力をつけていった。今ではAランク冒険者だという。羨ましいものだ。


「おまえも何かに本気になってみろよ。この感覚、たまんないぜ?」


 俺は苦笑いしかできなかった。

 戦うのは得意じゃないし、チームプレーはもっと苦手だ。


 理屈なんか簡単に説明できる。

 俺はある状況で、他人がどう動くか予想できない。

 だから連携ができないし、相手が俺を連携しやすいように動くこともできない。

 俺は常に、あるかないかの可能性、見えない糸ばかり追ってしまう。

 だから俺の行動は他人から見ると荒唐無稽で、考慮するにも値しないらしい。

 そんなパーティメンバーは、俺だって嫌だ。

 俺自身だって、そう思っている。


 だから、現実で美大に通っていたことを活かして、この世界で絵本作家になろうと思った。

 印刷技術はほどほどに発展しているらしいし、街に一人くらいは画家なり作家なりがいる。

 そんな一人になって、戦いとは無縁の暮らしがしたかった。

 画材があんなに高価だとも知らずに。


 パトロンもなく、絵本なんて描けるわけもなかった。鉛筆があっても、キャンバスが手に入らなかった。

 現実にいたころは、液タブでいくらでも真っ白なキャンバスが手に入った。

 この世界では、そんなに簡単に『真っ白』は手に入らない。


 だから、俺は食い詰めた。

 友人に助けを願ってもよかったが、なんとなく気が進まなかった。

 だから毎日、理由もなく街を歩いた。

 スリに小銭を取られて、いよいよ何もなくなっても歩き続けた。

 翌日、スリのほうから「おまえ、なんか喰った方がいいぞ」と小銭を返された。

 俺は笑って断った。

 死ぬなら死ぬで構わない。

 そんなことより、自分が落ち着ける居場所がないことのほうが、よほど悲しかった。


 あとから聞いた話では、そのスリが、俺を推薦してくれたらしい。

 もしかすると、俺みたいな人材を探すのも、あのスリの仕事だったのかもしれない。


 ○


 ダンジョンには財宝が眠っていて、冒険者たちはそれを狙って迷宮を探索する。

 そして強力なモンスターたちがそれを妨害する。

 ダンジョン周辺には冒険者の需要を満たすために滞在都市が自然と発生するのが道理であり、そのダンジョンが攻略されると、自然とその周辺の都市も人気がなくなり、やがて廃墟となる。

 鉱山のようなものかもしれない。


「しかし、鉱山と違うのは、ダンジョンには『管理人』がいるということだ。知っていたかな?」


 連れてこられた屋敷の執務室。

 高級そうなデスクに腰かけたその女は、俺より2、3個年上に見えた。

 左目を覆うように傷が走っているが失明はしていないらしい。銀髪で隠しているのは、傷のない右目のほう。

 俺は座らされたソファの中で、居心地の悪さを感じていた。


「いや、知りませんでした。というか、そんなの、冒険者たちは知ってるんですか?」

「一部の最上級冒険者は知っている。だがもちろん、一般のAランク程度までの冒険者は知らない。そんなことを彼らが知ったら、暴動が起きるだろうな」

「つまり、俺は知っちゃいけないことを知ってしまったわけですね」

「話が早くて助かる。度胸もある。さすが元芸術家だな」

「食えてないですから。芸術家じゃないですよ」

「金を儲けるのは見世物だ。芸術家というのは、何も作っていなくても、何も得られなくても芸術の道を突き進んでいる。たとえば、盗られた金をスリから返されても拒否したりね」

「面倒だっただけです。何もかもが」

「その感覚が欲しいんだよ」


 女は、アイリと名乗った。見かけのわりに少女っぽい名前だ。


「何か思ったか?」

「思想弾圧はやめてください」

「やめろと脅されてもやめないからか? ますます気に入った」


 むずがゆい。

 俺は人生で、誰かから気に入られたことなどない。

 どうせ騙されているに決まっている。

 だが、抵抗するのも億劫だ。

 俺には帰る場所も守るものもない。

 抵抗する価値がどこにある?


「聞いてると思うが、私はこの都市のダンジョンの経営者……の、協力者だ。実質的な運営をしている。ダンジョンは常に管理されていなければならない。それを、君に頼みたい」

「なぜ管理が必要なんです? 別に放っておいたって、強いやつがいれば攻略されるし、弱ければ死人が出るだけでしょう」

「そう、自然の摂理に任せるというのも一つの手だな。そういうダンジョンも無くはない。だが、もし君がダンジョンの周辺に宿屋を出そうとしていたとする」

「は?」

「例え話だよ。どんなダンジョンのそばに宿屋を出したい?」

「そりゃあ、冒険者がたくさんいて、彼らがいなくならないダンジョンのそば」

「じゃあ、そのダンジョンがおそらく、二年以内に攻略されるだろうと見込まれていたら?」

「出さないかもしれません。二年じゃ店を出してから儲けるまでの時間が短すぎる」

「そうだろ? じゃ、ここで誰かが『ダンジョンの難易度を操作して、向こう十五年は攻略されないよう調整する。だから出店してくれないか?』と持ちかけてきたらどうする。もちろん、そいつが言っていることは信用できるとして」

「……」

「な?」


 アイリは足を組み直して、引きつったような笑顔を浮かべた。

 人は悪人顔に見るのだろうが、俺にはどこか、辛そうな笑顔に見えた。


「綺麗事ではビジネスはできない。誰だって損はしたくない。

 たとえ、その結果として大勢の冒険者が無意味に死ぬとわかっていても」

「……それで、ダンジョンの難易度を操作しているんですか。冒険者に黙って。本当はクリアできる実力があったとしても?」

「冒険者なんて、いくらでも代えがきく。あいつらに、うまいメシが作れるのか? 客を納得させられる店舗経営ができるのか。

 自分の好きなように生きたいと願っているだけの連中を野放しにしたら、世界運営は成り立たん。その願いの報いを受けて、百人いたら九十九人に死んでもらい、一万人いたらたった一人を残して死んでもらう。

 それがダンジョン経営なんだよ、芸術家くん」

「…………」

「嫌かい?」

「嫌だったとして、俺に選択肢があるんですか?」


 アイリは笑った。


「ないね」


 ○


 家をもらえた。

 アイリは玄関口で帰るのかと思ったら、寝室まで乗り込んできた。

 そして、俺の引っ越しの荷開けを手伝ってくれ、真新しいベッドのシーツをメイキングこみでしてくれた。

 甲斐甲斐しい、というのはこういうことかと思う。

 疑問に思えた。

 だから聞いた。


「気分がいいだろ? 自分が受け入れられてるみたいで」


 ベッドのシーツのシワを伸ばしながら、アイリが振り返る。

 角度によってはまだ10代にも見える不思議な美貌。


「私はこう思う。大切なのは結果だと。

 そして、そのために必要なのは努力だったり、先入観を捨てることだったり、プライドに流されないことだと。

 君を軽く扱うのは簡単だ。

 確かに新人の未経験なのだから、その程度に扱われても仕方ないかもしれん。

 だが、そんな苦境、社会のルールに揉まれながら「なにクソ!」と頑張れるやつは、冒険者になったり、まじめにパン屋になって早起きでもしていればいい。

 我々の必要としている人材はそうじゃない」


 いいかよく聞け、とアイリは枕カバーをパンパンと叩いた。

 ホコリなど出そうにないほど綺麗に見えたが、意外とホコリが出た。


「君がこれからやろうとしている仕事は、人を不幸にする仕事だ。まともな神経では務まらん。

 私は君に、この仕事に真摯に向き合って欲しい。

 誰かが死ななければ、誰かが幸せになれない。

 この基本原則に殉じるのが、ダンジョン管理人の役目だ。

 これから君は大勢の人間を殺す。

 責任を感じてもいい。感じなくてもいい。

 スカウトした私や、この世界の経済理念そのもののせいだと責任転嫁してくれてもいい。

 それで君が戦えるのなら、真実なんてどうだっていい。

 それから、贈り物だよ」


 アイリが指さした部屋の隅。

 そこには、真っ白なキャンバスが立てかけられていた。

 使い切れないほどの絵具もある。


「前払いだ。好きに使え。足りなくなったら言え」

「……」

「どうした?」

「いや」


 俺は白いキャンバスに指を触れた。懐かしい柔らかい感触。

 ため息が出た。


「やっとここまで来れたな、って」

「ああ、いいね」


 アイリは微笑んだ。


「人殺しに向いてるやつのセリフだ」


 ○


 ダンジョン経営は在宅ワークだ。

 ゴーグルをもらってそれをかぶれば、ダンジョンの中が階層ごとに確認できる。

 アイテムの位置、未起動と起動済みのトラップ。

 冒険者の位置、レベル、職業、負傷具合。

 配置されたモンスターの種別と状態。

 モンスターは瘴気の濃度によって自動生成される。

 だから危険な地帯にしたければ、その周辺に瘴気を噴射して強力なモンスターが生成されやすくする。

 その付近に強力なアイテムを転送しておけば、宝箱を探知した冒険者が呼び寄せられる。


 この仕事にノルマはない。

 たとえば、メーカーの営業職なら、自分の会社の商品が売れなければ飢え死にする。

 だが、ダンジョン経営は何も操作しなくても冒険者は勝手にある程度は死ぬ。

 ダンジョン最下層を攻略さえされなければいい。

 そして冒険者だって最下層へ到達できる実力がないとわかっていて突っ込んでくるやつはいない。

 適度なレベルで適度な階層を荒らしているやつらは賑やかしのようなもの。

 そいつらを率先的に殺す必要はない。

 結果も出せずにダラダラ冒険者をやっているやつが、地元の宿屋の懐を潤す金主になる。

 気をつければいいのは有名な高ランクの冒険者。

 そういうやつらが街に訪れればアイリから俺に連絡が入る。

 そいつらも別に殺す必要はない。

 ダンジョン最下層から撤退さえさせればいい。

 それでも撤退させられないほど強いSランク帯の冒険者の場合は、最下層の攻略だけはやめてくれとアイリたち運営が買収する。ほ

 とんどの場合、どんなパーティも抵抗せず金を受け取り去って行くらしい。

 才能のあるやつらが、才能のないやつらを食い物にする。

 俺はそのおこぼれに預かっている。



 最初にわざと殺した冒険者は、男と女のカップルのパーティだった。

 男が戦士、女が魔法使いのオーソドックスな二人組。

 女が回復魔法も使えるから、専門のヒーラーを入れていなかったらしい。

 こういう二人組はどこかのパーティでモメて抜けてきたケースが多い。

 抜けた経緯が広まっていると、新しくパーティを組むのに時間がかかる。

 それでも宿代は稼がないといけない。できなきゃ浮浪者か盗賊に落ちぶれる。


 無理して中層に挑んできたその二人を、俺はなんの理由もなく、殺してみようと思った。

 この仕事を本当にやっていけるのか、自分を試したかった。

 人を殺すというのがどんな気分になるのかも味わってみたかった。

 いや、本当は、何も考えていなかっただけかもしれない。

 俺は遠隔操作でその周辺の濃度を跳ね上げた。

 自動生成された簡易ドラゴンが出現し、男の方を一発で食い殺した。女は逃げた。

 深追いはしなかった。

 俺はすぐに中層の瘴気を下げた。運営が推している貴族の末っ子が混じったパーティが数階下にいて、そのあたりまで瘴気が流れ込み『事故』が起こるとまずかった。

 命には値段がある。

 それぞれの値段が。


 夕飯の買い出しに外に出ると、ダンジョンの入り口であの女の魔法使いが泣いていた。

 子供のように泣きじゃくって、周囲の人たちがなんとか宥めていた。

 それを横目に通り過ぎながら、俺は、あんなふうに泣いてみたいな、と思った。


 ○


 真っ白なキャンバスに、絵具を塗りたくる。

 最近は筆を使うのが億劫になって、指で描いている。

 ただの色の洪水を見て、俺は満足する。

 客は満足しない。

 ただの渦巻きに金を払うやつはいない。

 それでもこの渦巻きは、俺が人を殺して稼いだ金で作られた渦巻きだ。


 責任転嫁と言われてもいい。

 俺はただ、絵本作家になりたかった。

 自分の描いた絵本を、母親が子供に読み聞かせているのを、公園のベンチとかで遠くから眺めながら、たいして稼げなくてもいい、そっと微笑んで立ち去るような、そんな絵本作家になりたかった。


 だが、この世界は俺に創作をするなら人を殺せと強いてきた。

 だったら、俺はやる。

 たとえ人を殺してでも、この指が動くなら、俺はそれに従う。

 この渦巻きにそれだけの価値があるのだと。

 俺だけは信じ続ける。

 キャンバスの余白に、汚れた指を擦りつける。

 命よりも価値がある、そのゴミに。



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