まだらの蛇 その四

 突然の訪問客は顔の彫りが深く、鬼のような形相をしていた。服をはち切れんばかりの分厚い胸板や丸太のように太い腕。

 そして、熊の毛皮で作った服を纏った山賊のようなマタギのような珍妙な出で立ちをしている。

 五十歳ぐらいだが年齢の割りには肩幅が広く筋肉質で、入り口の鴨居にまで届くほど背が高くて、猩々ゴリラや熊を彷彿とさせる大男だった。


 大男の顔を見た途端、咲蓮嬢は「ひっ」と小さな悲鳴を上げると顔が一瞬にして青ざめて、先生の後ろにバッと隠れた。


 少し遅れてから、真麻さんも上がって来て、手には中華鍋を握りしめていた。どうやら武器として持ってきたようだ。


「“法隆寺”というのは、どいつだ!?」睨み付けるような眼で、部屋を見回しながら、低く唸るような声で大男が聞いた。

 どうやら、宝積寺を“法隆寺”と間違えているようだ。


「どいつなんだ!え゛!!」客は声を荒げた。


「ここには“法隆寺”なんて人間はいない。“宝積寺”ならいるぞ」と先生が皮肉っぽく答えた。「そういうアンタは一体誰なんだ?」


「ワシは栗結 雷蔵である!娘の咲蓮を連れ戻しに来た!!」


 この粗野な大男が、咲蓮嬢の継父の栗結 雷蔵なのか。彼女の話通りの乱暴者のようだ。

 だが先生は、いつもの人を小馬鹿にした態度を崩さなかった。


「用件があるなら、椅子に座ってくれ。アンタの体に合うかは分からないがな」


「咲蓮は一体、何を話した!大方、姉が死んだ話をしたんだろうが、樹理は病で死んだのだ!」


「最近、めっきり寒くなってきたな」先生がはぐらかすと、栗結はさらに睨みつけてきた。


「貴様の噂は聞いているぞ、法隆寺!警察の使いっパシリの分際で、あらゆる事件に首を突っ込む不届き者だとな!!」


 栗結の罵倒にも、先生は嘲り笑うような表情をした。


「こうも寒いとシクラメンの花は、さぞかし見事に咲くんだろうな」


「シクラメンの花なぞ、どうでもよいわ!!」


「帰るときには、扉はキチンと閉めていってもらおうか。隙間風が入ってくるからな」


「税金泥棒の木っ端役人の手先めが!ワシを敵に回すと、どうなるか見せてくれる!!」


 栗結は真麻さんと近付くと、中華鍋を取り上げたので、私はまた椅子で応戦しようとした。

 だが栗結は中華鍋で叩くでもなく投げつけるわけでもなく、素手でグニャリと曲げてしまった。

 これには私と真麻さんもア然としてしまった。特に咲蓮嬢は身体をガタガタと震わせていた。


「女のように細いその身体をこうされたくなければ大人しく引き下がるんだな」栗結は凶悪な笑みを浮かべて先生の足元に中華鍋を放り投げると、ガラン!という派手な音がした。


「来い咲蓮!」栗結は先生の後ろに隠れている咲蓮嬢の腕を無理矢理引っ張った。


「いや!やめてください!」


「ちょっと、嫌がっているじゃないですか!」私が助けようとすると、先生が腕を掴んで止めに入った。


「何するんですか、先生!離してください!」先生は身体が細い割には力が強くて振りほどけなかった。


 そうこうしているうちに、栗結はやって来た時と同じように、ドカドカと足音を立てながら咲蓮嬢を乱暴に引っ張りながら連れて帰ってしまった。

 しばらく沈黙が流れて、先生が不敵な笑みを浮かべた。


「この俺を警察の手先呼ばわりするとはな。なかなか、面白いジイサンだ」


「笑い事じゃありませんわ先生。どうして、助けてくれなかったのですか?」


 ヘラヘラする先生に真麻さんが怒ったので、私も先生を責めた。


「そうですよ。あの男は咲蓮さんのお姉さんを殺したかもしれないんですよ。そんな奴をみすみす逃すなんて……」


「助けるも何も、あの大入道が義理の娘を手にかけたという物的証拠はどこにもないんだ。俺は警察じゃないから、証拠もなしに拘束することは出来ない。

 だが、咲蓮嬢の姉が死んだ事件に首を突っ込むことを妨害しようとするということは、栗結が何らかの方法で手にかけたのは間違いなさそうだな」


「なら、どうして・・・・・・」


「だから、物的証拠がないんだよ。そういう場合は、少々危険だが犯人が行動を起こすのを待って、そこを押さえるしかないんだ。

 そのためにワザと栗結と咲蓮嬢を帰らせたのさ。恐らく、奴は今晩にも行動を起こすだろう。それを俺たちが防いで咲蓮嬢を守るんだ」


「な、なるほど・・・・・・」


「さ・て・と、真麻さん。そういうことなので、俺たちはこれから須藤村に行ってきますから、今日の夕飯はいりません」


「は、はい。というより、料理を作りたくてもこれじゃあ・・・・・・」と、真麻さんは曲げられて床に転がっている中華鍋を見つめていた。


「ああ、これですか?」と先生は中華鍋を拾うと、腕に力を込めて元の形に戻した。


 先生の意外な怪力ぶりに私たちは目を丸くした。


「先生、さっき僕の腕を掴んだときもそうでしたけど、結構力があるんですね・・・・・・」


「まァな。俺は拳闘ボクシングや棒術で身体を鍛えているから、頭脳だけじゃなく体力にも自信があるんだよ。

 万が一、あの大男が襲ってきたときは撃退することも出来たさ。

 さァ、ワトソンくん。急いで身支度をしろ。グズグズしちゃいられないぞ」


 先生はそう言うと、いつもの鹿撃ち帽を被り、鳶外套とんびコートを羽織って、杖を持った。

 恐らく、前回と同じように杖型の猟銃だろう。私も軍用銃を懐に忍ばせた。

 私たちは倫敦駅へ行くと丁度、須藤村行きの列車が停まっていたので、乗り込んだ。

 列車に揺られながら、私は持ってきた動物図鑑を開いた。


「何を調べているんだ?」と先生が聞いてきた。


「何って、咲蓮さんのお姉さんが言っていた“まだらの蛇”を探しているんですよ。

 咲蓮さんの話から推測するに、栗結は口笛を吹いて蛇を操って樹理さんを手にかけたんじゃないかと思うんです。

 印度では笛の音色で蛇を操っていますからね」


 私が自分なりの推測を語っているのに、先生は両膝を抱え込んだ体勢で上の空だった。


「先生、聞いてます?もしかして、また、『材料が足りない。材料を集めないうちに捜査は始めない』って言うんですか?」


「いや、俺も“まだらの蛇”の正体を考えているんだ。ただ、動物図鑑を開いても答えは出ないと思うけどな」


「どういう意味ですか?」


 だが、先生は黙りこくったままだった。『動物図鑑を調べても意味がない』と言われたので、私も読む気にはならなかった。

 須藤村に着くと、私たちは駅前に停まっている小さな馬車を捕まえると最蘭邸に向かった。須藤村は近代的な倫敦市とは真逆に、田畑が広がる田舎だった。駅から離れるにつれて周りはますます、木々で鬱蒼としてきた。やがて、丘の上にポツンと建った屋敷が見えてきた。


「あれが最蘭邸だな」と先生が馭者に聞いた。


「へえ、そうでがす。しかし、お客さんたち。一体、最蘭邸まで何しに行くんで?」と、馭者に逆に質問を返された。


「凶暴な獣に捕らわれたか弱い姫君を助けに行くのさ」先生は少々キザな言い回しをした。


 最蘭邸に着いたので降りると、馬車はすぐに元来た道を引き返していった。

 最蘭邸は大きな一戸建ての屋敷だった。だが、壁には苔が生えていて屋根の一部分は陥没している。オマケに、庭の雑草は伸び放題で、庭の池には苔やら藻が浮いていて、まるで廃墟のような有り様だった。

 屋敷を眺めていると、取り囲む塀の一部に大きな穴があって、先生はそこから侵入したので私も慌てて後に続いた。


「玄関から入らないんですか?」


「頭を使え。中には栗結がいるかもしれないから、正面から堂々と入る訳にもいかないだろう。咲蓮嬢に中に入れさせてもらうのさ」と、先生は屋敷の一階の窓を覗き込みだした。


 しばらくすると、先生が鉄格子がはめられた窓の前で足を止めた。中を覗くと寝台ベッドに顔をうずめてすすり泣く咲蓮嬢がいた。

 先生が窓をコンコンと軽く叩くと、咲蓮嬢はビクッとして振り向いた。私たちの顔を見た瞬間、すぐに駆け寄ってきて窓を開けた。


「ああっ、宝積寺先生、ワトソンさん。来てくれたのですね!」


「さっきはすまなかったな咲蓮嬢。だが、もう安心しろ。継父と同じぐらい力が強い上に賢い人間が助けに来たんだからな」と、先生が優しい言葉をかけた。


「継父はお酒を買いに出かけました。屋敷に入るのなら今の内です。この通り、鉄格子があるので窓からは入れませんから、玄関を開けます」


 そう言うと咲蓮嬢は部屋を出たので、私たちも急いで玄関まで回ると中に入った。


「栗結が戻ってくる前に、姉上が死んだ部屋を調べさせてもらおうか」


「では、ご案内いたします」


 咲蓮嬢に案内されて私たちは部屋に向かった。

 中は少しカビ臭くて、天井には所々に蜘蛛の巣が張られていた。しかも、壁にはいくつか亀裂も入っていた。暫く進むと、廊下には扉が三つ並んでいた。


「右から栗結、姉上、そして君の部屋という順番になっていて、今は姉上の部屋を君が使っている。そうだったな?」


 先生の質問に咲蓮嬢は「はい、その通りです」と答えたので、私たちは真ん中の部屋に入った。


 窓から覗いた時は分からなかったが、部屋の中は寝台が壁際にあって、他には化粧台と小さな椅子。そして、箪笥が置かれていた。それ以外は何もない大変質素な趣きだった。


「俺が部屋を調べている間、ワトソンくんは咲蓮嬢の腕の手当てをしたまえ」


 先生に言われて、咲蓮嬢の袖をめくると手首には昼間に栗結に引っ張られた際に出来た手の形をしたアザがくっきりとあったので、私は鞄から脱脂綿を取り出して手当てをした。

 その横で先生は虫眼鏡を片手に壁にへばり付いたり、腹這いになって床を念入りに調べ始めた。寝台を調べていると先生はスクっと立ち上がった。


「何て奇妙な寝台なんだ」


「何がです?」と私は尋ねた。


「見たまえワトソンくん。この寝台の足を」


 言われたとおり、寝台の足を見てみると床に釘で打ち付けられて固定されていた。


「何だこれ。これじゃあ、寝台が動かせないじゃないですか」


 次に先生は窓を調べだした。窓の外側には鉄格子が付いているので、内側に開くようになっていた。先生は鉄格子も虫眼鏡で隈なく調べると、両手でグイグイと引っ張った。


「フム。ボロ屋敷だが、この鉄格子だけはかなり頑丈だな。確かに、ここからの侵入は確かに無理だな」


「そりゃ、庭には浪士や猛獣がうろついているんですから、窓から入ってきたらひとたまりもありませんよ」と私は言った。


 窓を調べ終わった先生は、寝台の枕元の頭上にある壁掛け時計をジッと見つめた。


「咲蓮嬢。あの時計はいつからあるんだ?」


「はい。あれは二、三年前に付けた物です」


「二、三年前という事は、ちょうど姉上が死んだ頃だな」


「ええ、寝台も継父が姉に無断で付けたんです。当然、姉は怒りましたが継父は聞く耳を持ちませんでした」


 咲蓮嬢の話を聞き終えると、先生は顎に手を当てて訝しんでいた。

 どうやら、先生はあの壁掛け時計と咲蓮嬢の姉上の死には、何か関係があると睨んでいるようだった。

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