まだらの蛇 その弐

「はい。次の依頼人はね、ワトソンくんがここに住む前に一度来たことがある客なんだ」


 先生が言い終わると同時に、三十代ぐらいの男性・柳生 二郎兵衛氏が入ってきたので、真麻さんはまた事務所を出た。


「お久しぶりです、先生」と柳生氏は挨拶をして椅子に座ると、私に気付いて不思議そうな顔をした。


「彼は最近、同居を始めた元・軍医で記録係のワトソンくんだ」と先生が紹介してくれたので、柳生氏は私に軽く会釈した。


「それで、柳生氏。今日はどういった用件だ?」


「そんなの決まってるじゃないですか。私の兄が殺された事件の捜査の進展についてですよ」


「えっ!殺された!?」


 思わず大声を上げてしまった私に、柳生氏は顔を向けた。


「ええ、そうなんです。……私と兄の一郎兵衛いちろべえは親から受け継いだ小さな商店を経営していたのですが、その兄が先月、自宅で背後から心臓を撃ち抜かれて殺されたんです。オマケに金庫からは親の遺産がそっくり盗まれてしまいました」


「それは酷い・・・・・・」


「警察は強盗殺人と見て捜査を始めたのに、一向に進展がないので宝積寺先生に依頼したんです。

 でも、何の連絡もないから、こうして事務所に来たんです。捜査は進んでいるんですか?」柳生氏は不安そうな顔をして先生の方に向き直った。


「心配するな。俺は事件を見失っちゃいない」と先生。


「それじゃあ、半田が犯人だという証拠が見付かったんですか?」


「誰なんです、その半田とは?」私が質問を挟むと、柳生氏は再び私に顔を向けた。


「兄の悪友───と言えば聞こえはいいですが、実際には兄に纏わりつくタチの悪い寄生虫ですよ。私は昔からあの男が好きになれませんでした。

 半田は悪い奴なんです、ワトソンさん。悪の道に生きる堕落しきった根っからの極悪人なんです。堕落している上に非常に危険でした」


 その口ぶりから柳生氏は随分、半田という男を毛嫌いしているようだった。


「彼が犯人だと思うには、何か根拠あるんですか?」


「はい。半田は事業に失敗したとかで、兄からお金を借りようとしましたが、兄はキッパリと断ったんです。それで逆恨みして兄を殺して、金を奪ったんですよ。私はずっとそう疑っていたんです」


「あなたは事件当初から、そう言っていたな」と先生が間に入ったので、柳生氏はまた先生の方に向き直った。


「だってそうでしょう?事件前に半田は何度も兄とお金のことで揉めていたんですよ。絶対にアイツが犯人なんです。ええ、そうに違いありません」


「俺も奴からは目を離しちゃいないさ。調べるとあなたの言うように、非常に抜け目ない悪党だな。逮捕するには、まだ物的証拠は何も無いが期待して待っていてくれ」


「素晴らしい、宝積寺先生!やはり、あなたは偉大な名探偵だ!あなたなら絶対に半田を捕まえられますよ」


「半田を捕まえたら、真っ先にあなたに知らせるさ」


「お願いしますよ、宝積寺先生。必ず、半田を捕まえてください。奴が兄の仇なんです。私には分かるんですよ、絶対に奴が犯人なんです」


 柳生氏は先生と握手を交わすと〈二二一乙〉を出た。餅家通りを歩いて帰る柳生氏を窓から見下ろしながら先生は、不敵な笑みを浮かべた。


「小ずるくてマヌケな男だぜ。俺の話をすっかり信じている」


「どういう意味ですか?」私は首をかしげた。


「君も鈍い男だな。奴こそが、一郎兵衛氏殺害の犯人なんだよ」


「えっ!?そうなんですか?」


「ああ、ニ郎兵衛は博打で多額の借金を抱えていたんだ。それも、店の金を賭け事に使っていた事が兄にバレて絶縁寸前だったんだよ。

 そこで、遺産で借金を返済するために、兄を殺害して半田に罪を擦り付けようとしたのさ。兄を消せば、店も独り占めできるから一石二鳥というワケさ。

 被害者と争っていた人間を、やたらと犯人呼ばわりして疑わせようとするなんて、俺には通じない古い手だよ。半田を追っているように見せ掛けて、奴が油断している隙に虎井出警部に連絡して逮捕してもらうさ」


 そこへ、真麻さんが入ってきた。


「先生、最後のお客様をお通ししてもよろしいでしょうか?」


「・・・・・・俺が呼ぶまで待つように言ってください」


 真麻さんが一旦、事務所を出ると先生は苦々しそうな顔をした。


「次の客は厄介な相手なんだ。君は馬喰横山長次郎鉅鹿之助太郎ばくろよこやま ちょうじろうおおがのすけたろうという男を知っているかい?」


「聞いたことがないですね。そんな仰々しい名前の人は」


「そうだろうな。知らなくて当然さ。いや、知らない方が良いと言った方が正しいかもしれないな。奴のせいで、十七人もの人間が自殺しているのさ」


「じゅっ、十七人もですか!?」私は思わず声を上げた。「いったい何者なんですか、その馬喰横山という男は?」


「奴は代理業を自称する、人間の皮を被った冷酷な吸血蛭──恐喝王なんだ。その手口はこうだ。

 まず、金や地位のある人間にとって、過去の恋文や浮気の証拠などの非常に不都合な手紙があれば、いつでも奴が高値で買うという噂を立てる。

 そうした手紙は恩知らずの下男や女中、または手紙の持ち主と仲の悪い人間が売りに来て、それを買い取るんだ。

 そして、その手紙をネタに金を強請るのさ。そうやって、もう何人もの人間が破滅させられている」


 先生の口調はいつも通り淡々としたものだったが、その中に強い怒りを私は感じ取った。


「どうして、そんな酷い人間を野放しにするんです?警察に逮捕してもらえばいいじゃないですか」


「そんな単純な話じゃないんだよ。例え、警察に相談して馬喰横山を恐喝罪として牢にブチ込むのは簡単さ。だが、冷静に考えてみろ。奴が逮捕されるという事は、同時に自分の表沙汰にしたくない過去を周囲の人間に教えてしまうようなモノなんだ。だから、被害者は泣き寝入りするしかないのさ」


「そんな・・・・・・、それじゃあ、馬喰横山の言いなりになるしかないんですか?」先生の話を聞いて、私は非常に歯がゆい思いになった。「それで、その男はここに何しに来たんですか?」


「あるご婦人が馬喰横山に金を強請られて俺に泣きついてきたのさ。黒上恵葉くろがみ えばという華族のご令嬢の名前を聞いたことは無いか?」


「ああ、その人なら聞いた事がありますよ。たしか、今度、土場小路どばのこうじ伯爵と結婚するとか」


「そうだ。あと、二週間で結婚する予定なんだが、運悪く馬喰横山に結婚に不都合な手紙を握られてしまったんだ。

 恵葉嬢が昔、田舎の若い貧乏地主に宛てた恋文さ。その手紙をネタに大金を要求して、応じなければその手紙を伯爵に送り付けて婚約を破棄させようと脅しているんだ。

 そこで、俺は彼女に代わって奴と会い、恐喝を止めてくれるように話し合ってほしいと頼まれたのさ」


 先生は立ち上がって扉を開けると、「真麻さん、客を通してください」と呼びかけた。


 一分ぐらいすると、恐喝王こと馬喰横山 長次郎鉅鹿之助太郎が事務所に入ってきた。 年齢は五十歳ぐらいで、如何にも狡猾なタヌキ親父という顔付きだった。服装も先ほどの堀戸 民太郎よりも悪趣味な感じがした。金縁の色眼鏡サングラスの奥には卑しい目が覗いていて、小柄だががっしりとした体を毛皮の外套で覆っている。太い指には高価な指輪が幾つもはめられていた。

 この指輪も色眼鏡も外套も全て、人の弱みをネタにして得た金で買ったものだと思うと、無性に腹が立ってきた。

 オマケに絶えずニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている丸顔が、さらに怒りを煽った。私の敵意のこもった視線に気が付いたのか、馬喰横山が口を開いた。


「あなたが宝積寺さんですか?」


「宝積寺は俺だ」と先生が言った。「彼はワトソンくんといって、俺の記録係だ。彼がいても構わないな?」


「ええ、別に構いませんよ。さて、あなたは恵葉嬢の代理だということですが、彼女は私の出した条件をのんでくれたのでしょうか?」


「どんな条件だ?」先生が聞いた。


「私からの要求額の七五〇円以上(※現在の換算で1500万円以上)を支払うという条件です。

 それが出来なければ、手紙は彼女の婚約者の手に渡ります。そうすれば、結婚は破談ですな」馬喰横山は相変わらずニコニコ顔で言ってきた。


「彼女が何もかも伯爵に話して、それを許して結婚を止めないと言えばどうする?そうなれば、アンタの持っている手紙には何の価値もないぞ」


「随分と威勢がよろしいですな。ですが、伯爵以外にも売りつける相手はいくらでもいます。そうすれば、彼女は社交界から──いえ、社会的に抹殺されます。そうなりたくなければ、私に七五〇円を払うしかないのです」


「無理だ。恵葉嬢はそこまで金持ちじゃない。せいぜい、二〇〇から二五〇円(※現在の換算で400万円相当)が限界だ」


「なら、恵葉嬢は運が悪かったと諦めるしかありませんな。彼女は私が要求した額を支払うしか道は残されていません」


「そんなことはさせない」先生は椅子から立ち上がった。「ワトソンくん、後ろへ回りたまえ。この男を部屋から出さないようにするんだ」


 そう言われて、私が馬喰横山の後ろに回り込もうとすると、奴は図体の割には鼠のように素早く動いて部屋の隅に逃げ込んで、壁を背にして突っ立った。

 そして、懐から大型の拳銃を取り出した。それを見て、私はさっきまで馬喰横山が座っていた椅子をとっさに手に取った。


「おやおや、話し合いが無理だと分かったら、力づくで解決しようとするおつもりですか?そんなことをすれば、あなた方が不利になるだけですよ。

 先に手を出そうとしたのは、そっちなんですから、私が引き金を引いたとしても正当防衛が成り立つんですからね」そう言いながら、馬喰横山は静かに扉の方へ歩み寄った。


 流石に銃を持った相手に椅子では敵わないと思って、私は椅子から手を放した。

 それを見ると、馬喰横山はニヤリと笑って、扉を開けると足早に階段を駆け下りてバタンと玄関を開ける音が聞こえた。


「なんて・・・・・・、なんて嫌な奴なんだ!塩を撒きたいですよ!」私は思わず声を荒げた。「どうするんですか、先生。このままじゃ恵葉さんが・・・・・・」


「慌てるな。手はもう打ってある」と、先生は落ち着いた口調で言った。


「何をどうしたんですか?」私は食いついた。


「ワトソンくん、俺が何をしたと思う?俺は奴の屋敷に勤めているお雅沙がさという若い女中から、馬喰横山の金庫の暗証番号を聞き出したのさ。

 そして、昨晩、奴が高級倶楽部で豪遊している隙を狙ってお雅沙に屋敷に入れさせてもらうと、まんまと金庫から恐喝のネタとなる手紙を全部盗み出して、暖炉の焚きつけに使ったのさ。

 馬喰横山め、金持ちの使用人から恐喝ネタを買い取っている自分が、まさか使用人に売られたとは夢にも思わないだろうな。今度は自分が破滅する番だ」


 私は今朝、暖炉で燃やされていた書類の山を思い出した。


「あれは恐喝用の手紙だったんですね!でも、もし馬喰横山が手紙が無いことを知って、先生の仕業だと気付いたら逆に警察に訴えられるんじゃ・・・・・・」


「その心配はない。盗まれた物が恐喝のネタだなんて、口が裂けても言えないからな」


 今回も先生の違法スレスレ──というよりあきらかな犯罪行為には、声に出して賞賛はしなかったが、あの卑劣な馬喰横山に一泡吹かせたと思うと嬉しくて仕方なかった。


「しかし、退屈だな。もっと、面白い事件は無いのか。このままじゃ俺の優秀な頭脳にカビが生えて腐ってしまう」と、先生が背伸びをしながら愚痴をこぼしていると、真麻さんが事務所に入って来た。


「先生、新しいお客様がいらっしゃいました」


「客?今日はもう、客が来る予定はないですよ」


「予約はしていないのですが、どうしても先生にご相談したいことがあるそうです。お若いご婦人で、かなりお困りのようです。

 突然押し掛けてきたからといって、失礼な態度は取らないでくださいね。先生は女性への配慮に欠けているんですから」


 母親が子供をたしなめるような口調で言うと、真麻さんは事務所を出た。そして、入れ替わる形で新たな依頼人が入ってきた。

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