第17話 大切な息子

 しばらく歩き細い路地に入っていく。人目のつかないその場にリノを下ろすと不安そうな瞳を向けてくる。


 無理もない。普段ならまっすぐ家に向かって、そろそろついている時間だ。しかし、今のイヴァンには止まる場所がない。


 だから、リノを雨風しのげる家に置くためにもこの場所に来た。数日前までたまり場にしていたすぐ横の路地だ。


「マンマー?」


 弱々しい声からリノの不安が伝わってくる。


 イヴァンはリノの頭を優しくなでると小さな声で言った。


「ここで待ってろ。大丈夫だから」


 背を向け歩き出すイヴァンの服の裾がリノに掴まれた気がしたが気にせず、少し開けた路地裏に姿を現す。


「おい。来たのかよ」


 ふとっちょのダニエルが大声を張り上げる。隣にいるミケーラはけらけらとただ笑っている。


「ああ、相変わらずだな」

「なんだよ。急に顔出さなくなってよ、お前まで女王のっていうのかと思ったぜ」

「ちげーよ。……ただお願いがあんだ」

「お願いだ?」

「ああ。出来たら泊まらせてくんねーか、一晩でいいからよ」

「あ?めーつけられた奴を止めるわけねーだろ」


 ダニエルが豪快に笑うと、その裏でミケーラが静かに笑う。


 イヴァンは初めからこうなる想像はついていた。以前のイヴァンならこいつらに無理矢理いうことを聞かせるてただろう。しかし、今はそんな気にはならなかった。

 どうすればいいか悩んでいると、小さい手がイヴァンの指を握った。


「マンマー?」


 心配そうに問いかけるリノと目が合う。どうしてこの場にリノが、と大きく驚くイヴァンとは対照にダニエルとミケーラがお腹を抱えながら笑った。


「連れてきてんのかよ!そんなお荷物!」


 ダニエルに続きミケーラも嗤う。


「ママ!イヴァンがママ!どうやって生んだんだ~イヴァン」


 大爆笑する2人に背を向けイヴァンはリノの手を握り歩き出す。


 この嘲笑はイヴァンが受けるべきものであってリノに与えるべきものではない。急いでその場から離れようとするイヴァンの背中にダニエルの声が届く。


「良いぜ泊めてやっても!俺たちが大人の遊びを教えてやるよ。ガッハハハ!」


 またしても腹を抱え爆笑する2人にイヴァンの拳が出ることはない。息子の前でそんなことできるはずがない。


 リノは自分とは同じようになって欲しくないと、イヴァンはただそう思っていた。


 リノを抱きかかえると速足でその場を後にする。


 それからニコレッタとクララも家を訪ねたが相手にされなかった。無理はない、結果は初めからわかっていた。それでも一筋の可能性があるなら行動した。背中で寝ているリノの寝顔を見たとき、諦めてはいけないとそう思った。


 しかし、結果は何も得られなかった。イヴァンの知り合いはもういない。


 行く当てもなくぶらぶらと大通りを歩く。賑やかな声に目を覚ましたリノが周囲を興味深そうに見つめる。


 こういう商店街に来るのは初めてなのだろうか。ただその景色にウキウキで目を輝かせている。


 リノにとっては目新しいのか、お腹空いているのか、食べ物を指刺してはもじもじし、今度は俺の手をその食べ物の方へと持っていく。


 しかし、今のイヴァンにはこの食べ物を払えるだけのお金を持っていない。息子の前で強引に食べ物を奪うわけにもいかない。できることとしたらリノに静かに謝るしかなかった。


「ごめんな、今の俺には買えないんだ」

「買わないならどいてくれ」


 店員の言葉にイヴァンは黙って頷く。


 城での授業の疲れがたまっていたほどなくしてリノは俺の腕の中で眠りに着いた。ほんとうにすやすやと無防備に寝ている。


 適当に歩くと大きな広場に着いた。日は暮れ周りに人の姿はない。


 ベンチに腰を下ろすと目を覚ましたリノがよくの広場に興奮した様子で体から降りていく。近くの噴水に手を入れてみたり、かけっこしてみたりと本当に無邪気に遊んでいる。その息子の姿を遠目で見て、イヴァンはただうなだれた。


 この先どうすればいいのだろうか。家も、お金も、食べ物も失った。俺一人ならいつもの通り適当に遊んで最後はなるようになればいいと本気でそう思っていたが、今はそうはいかない。


 すべてヴィットリアのせいだ。以前の俺ならそう思っていたかもしれないが、今はそう思う気力さえない。誰もいない、孤独だ。どうしようもない不安がただイヴァンを襲う。ヴィットリアも同じ気持ちだったのかもしれない。そう思えば思うほど大きな罪悪感が押し寄せてくる。


「パッパ」


 その言葉に顔を上げるとリノが顔を覗き込んでくる。その時、自分の頬に流れる一筋の光に気が付いた。イヴァンは両手で目元を吹きながら震える声を隠すように息子に問いかけた。


「どうした」

「パッパ」


 そこでハッと我に返ったイヴァンはリノの顔を見つめる。


「今パパって言ったか?」

「パッパ!」


 リノはイヴァンの気も知らずに無邪気にその言葉を言って笑った。


 イヴァンは勢いよくリノを抱き寄せると情けない声で涙を流しながら言った。


「ああそうだ、俺がパパだ。ごめんな、ほんとにこんな無責任な俺でごめんな」


 もうとめどなく流れる涙を拭き取ろうとは思わなかった。情けなくみじめな自分からもう目を背けないために。



  ***



 同時刻。


 ラベンダーノヨテ聖域国、ラヴァンダ城内、情報監視室。


 沢山の液晶画面が開かれる中、中央の壁に張られた巨大な液晶画面にイヴァンの顔が映される。


「女王陛下の命によりイレギュラーヒューマンとし、ナンバー9252M2―46を対象に加え、捉え次第即刻拷問し処刑します」


 スクリーナ目に佇む彼女は静かな声で言い捨てると、小さな液晶画面を操作する別の女性が淡々と現状を報告する。


「ターゲットを発見しました。西西南、第五区繁華街外れ第12小庭園。今からデータ共有を始めます」

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