ウェディングケーキの試作



 先日、お姉ちゃんと彼氏さんが来店して久しい。

 翌日にあたしがお店の印象を問うと、お姉ちゃんは料理をべた褒めした。次いで、レオが格好良かったと言う。その次くらいであたしの働きを褒めたのだけど、店長への印象はやたらと弱いものだった。

 お姉ちゃんは物腰柔らかな店主という印象を抱いているのだけど、店長の容姿や相貌については何も語らない。エマに関しても同様だったわ。

 本当に、お店に掛けられているという魔法の凄まじさが窺えるわ。


 と、いう私事はさて措き。


 明々後日には件の結婚披露パーティーが差し迫っている。

 今日も本店には朝からエマを呼び付けているが、あちらは現時点では午後を過ぎた辺りであるらしい。世界を渡るため、どうしても時差が発生してしまうのよね。

 それでもエマの表情と姿勢は真剣そのもの。あたしもお給料が発生する以上は真面目に付き合うわよ? 当然でしょ。


 店長は今、どこかへ電話を掛けている。

 察するに注文であるらしい。ただ、どうにも様子がおかしい。


「――あぁ、そうだ。ホットケーキミックスを買って来てくれ。大体、一袋二百グラムくらいだろ? だから四キロくらいだな。……んなもん、自分で計算しろよ。えーと、二十袋以上だ。多い分には賄いに廻すから適当でいい。金は払うから安心しろ。だから早めに頼むぞ」


 普段の業者さんに注文する時とは、あからさまに態度が異なる。取引先というよりも知己のある人物と話しているかのようなの。


「よし! 手抜きの準備は整った」


「なんで手抜きなんですか?」


「エマの練習の為のみに、逐一スポンジを焼くのが面倒なんだよ。特にメレンゲがな!」


 今日まで店長はエマの為に本格的なスポンジケーキを拵えていたわ。

 ベーキングパウダーを使わず、卵白と砂糖で作ったメレンゲで膨らませる本格的なスポンジケーキを。

 夜の営業に向けての仕込み作業もある中でのことだものね。色々と面倒になったのよ、きっと。

 でも、とりあえずは今日の初っ端に飾り付けを試行する土台のケーキは、店長のスポンジケーキであるのは間違いないわ。だって、ホットケーキミックスは今注文したばかりで到底間に合わないもの。


 店長は面倒なんて言いつつも、間に挟むフルーツをカットしているわ。飾り付けに使うフルーツはあたしとエマでカットしているのよ。

 クリームも植物性のものじゃなくて、ちゃんとした生クリーム。業務用のは一リットルの牛乳パックに入っているから、一見するだけだと牛乳と間違えそうなのよね。

 これを店長は電動の泡立て器をつかうでもなく、手を翳して魔法で攪拌している。ズルい! でも憧れちゃう。


 エマが言うには地球上にはマナが極めて少ないらしく、エマでも魔石を電池代わりに利用しなければ魔術を行使できないとのこと。

 店長が言うにはある所にはあるらしいのだけど、深い森や山奥であったり、古い宗教施設周辺に限られるという。だというのに! 店長は軽々に魔法を使うのよ。

 エマが以前ポロリと漏らした言葉から察する――


『おとうさんのアレは魔法でも魔術でも魔導ですらないの。原型みたいなもの』


 ――ことは今のあたしでは不可能だけど、何か不思議な力であることは理解できる。と言っても、魔法だって魔術だって不思議な力なんだけどね!



からん、からん


 ドアベルが鳴る。

 正面のドアはあたしが出勤する頃には開錠されていて、昼間は鍵が掛けられることはないわ。業者さんの出入りがあるからね。

 でも、この客人はどうにも業者さんには見えないし、やってもいないランチ目的のお客様にも見えない。


「マスター、買って来たわよ!」


「おぅ! 悪いな、リエル」


 両手で段ボール箱を抱え、強引に足で扉を押し開けた女性は開口一番、店長に管を巻く。

 

「まったく、か弱い人妻にこんな重い物を運ばせるなんて……」


「虎太郎が持ってきた話が原因だからな?」


「……わかってるわよ。だからこうして手伝っているんでしょう」


 店長は女性を全く見ることもなく、仕込み作業を続けながら相槌を打つ。

 流暢な日本語を話す女性の見た目はヨーロッパ人のそれだった。いや、まあ、店長の言葉から十分に察しは付くわ。

 レオの母親であるリエルさんよね。


「リエル姉さん!」


「あら、ひさしぶりねぇ。エマちゃん……と、貴方が噂の佐藤伊織さんね」


「は、はい。初めまして、佐藤伊織と言います」


「うちのドラ息子が褒めてたわよ。筋が良くて、肝も座っているって」


 レオは面と向かって他人を評価しないの。

 見た目はゴリマッチョのくせに、気が小さいのよね。折角のハーフなイケメンなのに勿体ない性質だとあたしは常々思うのよ。


 それにしても、見た目がやけに若いわね。とてもレオの母親という年齢には見えない。うちのお母さんと見比べたら天と地、月とスッポンよ。

 あたしとそんなに変わらない年代にも見えてしまう不思議な感じ。人種的に日本人ではないから、かしら?


「リエル、いつから復帰するつもりだ?」


「披露パーティーには私も出席するから、その後になるわ」


「何も俺やケビン、その他諸々に気を遣う必要はない。夫婦仲が険悪なら仕方のないことだ。またここを寮代わりにすればいい。どうせ誰も住んでないんだ」


「ちょっと勘違いしないで……」


 店長とリエルさんの会話が嚙み合っていないのよ。

 『誰も住んでいない』というのも気になるけど、今はそれどころではないわね。レオのお家の一大事かもしれないわ。

 あたしもエマも聞き耳を立ててはいるけど、他人の不幸は蜜の味じゃ、ないわよ?


「じゃあ、なぜ復帰が早まる? 予定ではもっと遅くなるはずだったろ」


「旦那との仲は良好よ。……下の子、智恵理がね。この店に興味を持っちゃってね」


「あの子はダメだ、体も精神も弱すぎる。とても受け入れられない。うちは更生施設じゃないんだぞ」


「だからよ! 私が復帰して、親と一緒に働きたくないと思わせるの!」


「あぁ、そういう。でもその論法だとレオも引退か。だが、時期的にそう悪くもない」


「どういうことよ?」


 どうやらレオには妹がいたようね。

 そのレオも最近は大学の部活で忙しく、店に顔を出すことは稀なの。部活をサボらないと店には来られないのよ。

 あたしはそこで店長が白羽の矢を立てたのがリエルさんなのだと考えていたのだけど、どうもそれは違ったらしい。リエルさんのお家の都合によって復帰するとのことだわ。


「アーミルが少々キナ臭い。あの傀儡女王が裏で動いていると聞く。それはそれで干渉の条件から外れる良い機会とも言える。ただ、食肉の狩場には困ることになるが……それも腹案がなくもない」


「じゃあ、姉さんの出向も終わるのね?」


「そりゃあな」


 段ボール箱を入口横に置いたリエルさんは、カウンター越しに作業中の店長に詰め寄る。店長との距離が近い!

 これがヨーロッパの文化なの? スキンシップが過剰だわ!


「おい、ボディタッチは控えろと前に散々言ったろうが、虎太郎が嫉妬して昏い眼で俺を睨むんだぞ! そんなだから不仲だと俺も勘違いするんだ」


「別に構やしないわ。私も眷属のひとりだもの、これくらい当然の権利よ」


 さっとカウンター前のまな板から身を引いた店長。追い縋るように伸ばされたリエルさんの手は空を切った。ざまぁ!

 店長と入れ替わるようにエマがリエルさんに近寄る。


「リース姉さんもお戻りになられるのでしたら、あちらは封鎖ですね」


「そうなるでしょうね。どうなのよ?」


「ルゥ族も完全撤退。ゲートも安全を期して破壊する。うちでゲート無しの移動が可能なのは俺か先生くらいなものだからな」


「あのお婆さんもマスターに関わなければ、静かな隠居生活を送れたでしょうに」


「先生に関しちゃ、俺の一存でどうこうはできない。上も絡む話だからな」


「ふぅん、そっち関係なのね」


 エマは話の種を蒔いたにも拘らず、店長とリエルさんの会話に加われないでいたわ。当然だけど、あたしもちんぷんかんぷんよ。エマにわからないことをあたしが分かるはずもないわ。

 ただ、


「あのぅ、リースさんという方にはどこかでお会いしたような……」


「リースは私の姉よ。伊織ちゃんも会っているはずよね?」


「ん、ああ」


 店長の返答は、非常に歯切れが悪かった。

 これは、何かを隠している? 女の勘よ。あたしも女の子なの!


「いや、まあ、もうバラしてもいいんだが……魔獣肉や龍肉の話も絡めて説明したい。どうせ、数日後には確実に気付かれる」


「あぁ、アレを準備してくれたのね。旦那が無理を言ったようでごめんなさい」


「いや、謝る必要はない。虎太郎で何度も実験はしているから、それに関しちゃ礼を言いたいくらいだ。しかし、たぶん平気だとは思うが……サンプルが少なすぎるんだよなぁ」


「なるほどね。今度の新婦が地球人女性初の被検体になるわけね」


「佐藤さんの承諾があれば、魔獣肉だけでも実験に協力してもらいたいが……」


「えっ、あたし?」


 これはちょっとやってしまった? 藪を突いてヘビを出してしまったのかしら?

 あたしの聞き間違いでなければ、店長は魔獣肉と口にしたわよね。

 心配そうにあたしの方へ振り向いたエマの表情が硬い。若干、青褪めてもいる。

 ドラゴンの尻尾を狩りに出掛けた際に聞いた話を思い出したのかもしれないわ。

 あたしも、自分の血の気の引いていくのがわかる。

 貧血まっしぐらよ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る