賄いごはん②


 エマの所での打ち合わせは、あの日は終わりを迎えた。

 後日一日も空けず、あたしは水飴の一斗缶を二缶と五十キログラムもの砂糖を台車に乗せ、再びエマの下を訪れている。注文した飴の材料の納品よ。

 一升は一.八リットル。一斗は十升なので、十八リットル。水飴の比重は店長も知らないらしく、適当に二十キロ強の重さだと言っていた。

 要するにだ。合計七十キログラムにも及ぶ大荷物を本店から地下、地下からエマの預かる支店へと運ぶのは並大抵のものではなかったわ。

 本店は一応だけど小さなエレベーターが付いているからいいのよ。問題はエマの支店の方よ。あっちは持ち上げて運ぶしか手段がなかったの。

 店長は手伝ってくれないし……。世界を繋げるだけ繋げた店長は「あとは任せた」と早々に去ってしまうんだもの!


 下っ端はつらいわね。


 そんな今日の昼下がり。


「今日は二週間くらいは日持ちする予定の、ピクルスを作ります。上手くできれば商品に、失敗と言わずとも納得できなければ賄い行きが決まる。よく使うものだからたくさんあっても困ることもない」


「洋風なお漬物ですね」


 お店にある賄い向けの漬物はやたらと多い。

 店長が趣味で作っているものがその大半を占める。

 それは梅干しに始まり、ぬか漬け、浅漬け、パンチェッタ、カイザーベーコンなるものに至るまで。木の実であったり葉っぱであったり、或いはお肉であったりと何でもお塩に漬けてしまう。

 正確には塩だけではなく、ほかの調味料や香辛料であったり、香味野菜が加わることが多いのだけど。


 また、レオが真似て作ったと思われる珍妙なものや、エマやルゥ族から提供される異世界産のものを含めるとその種類は数えきれない。外見も中身も様々な壺や瓶が店長宅のキッチンを半ば占拠してしまっている。

 その中で店長の作るピクルスはまともな分類に入る。お店でも提供されている商品で味も見た目も申し分ない。


「まあ、うちの場合だと正道なレシピとは少し違うから味が馴染むのは早い。その分、少しだけ日持ちしないという欠点も伴うが店ではそれなりに消費する以上、期限切れまで残っていることはまずない。残っても古漬けは俺が酒のつまみに化けるというのもあるが」


「どうせ、また変な魔法でも使うんですね?」


「使わないって、ちょっと邪道なだけさ」


 店長の言う”邪道”という言葉の意味合いは”正道”ではないという意味であって、なんちゃってレシピのような好い加減なものではないのよ。

 あくまでも正道から外れるという意味合いなの。



「まずは野菜を切る。当然だけど洗ってから水気を取ってあるよ」


「きゅうりですね」


「よくハンバーガーに挟まっているのも種類としてきゅうりだからね。ちなみに、きゅうりと姿形が似ているズッキーニはカボチャだからね、間違えないように。まあそれはいいとして、素材は手軽に入手できる日本の野菜で十分だ。コンセプトは保存食でしかないんだから、そこまで素材に固執する必要はない」


 庭木やお花の手入れはいつ行っているのかと不思議に思うのだけど、店長は特に家庭菜園のようなものはやってはいない。住宅部分の庭はガレージに占領されていて、中には軽トラが一台駐車されているだけだものね。

 なので、この野菜は契約している業者さんが持ってきたもの。八百屋さんね。


 きゅうりと人参を乱切りにする。

 普段、余所で見るピクルスだと縦に切り分けられたものが多いのだけど、このお店だと一口サイズで食べやすい大きさになっている。そこは店長の好みであるらしい。実際食べやすいので、あたしもここで変なツッコミ入れたりしない。


 ただ、


「これ?」


「きくらげだよ。生の」


「いえ、見ればわかりますよ! 包装に”生きくらげ”って書いてありますし」


 乾燥したきくらげを水で戻したものならば、大衆中華でも見たことは多々あるわ。でも、生のきくらげって初めて見た気がする。しかも一株が結構大きいの。


「生のきくらげは食感が良いんだよ。俺の邪道レシピが最も活きる食材だね。あと、セルリも忘れずに」


「セロリですね」


「きくらげは一センチくらいの幅で長さは三・四センチくらい。長くなるようなら適当に切って。セルリは表の筋をナイフやピーラーで削いでから、根元の太い茎は縦にこう二つに切ってからぶつ切りに。上の細い方はそのまま適当に。葉っぱは、あとで齧るからザルにでも分けておくように」


 店長は食材を呼ぶ時の名称が時々おかしい。

 正式名称ではあるらしいのだけど、一般人のあたしからすると何を示している分からず、”?”と首を傾げてしまうことが多いのよ。

 でも時期にあたしも、そんな言葉を発してしまうのかもしれないわ。慣れって怖いわね。



「漬け汁。俗に言う、ピクルス液を作ろう」


 店長の漬け汁に発言に、ちょっと笑いが込み上げちゃったわ。まあ、間違ってないんだけど。


「お酢は米酢でいい」


「ビネガーとかじゃないんですか?」


「なんたって安い! これに限る。それにピクルスはいずれにしろ熱を加えるからね。米酢の酸味もやや角が取れると言うのかな。多少和らぐんだよ」


 まあうん、安いのは正義よね。おいしければ尚良し。

 うちのお店。メニュー見ると、そんなに安くないのだけど……。

 これもお給料のためよね。


「一応レシピは全部ノートに書いてある。けど、普段は目分量なんだよ。詳しく知りたいなら、あとでレシピブックを確認するといい。季節、気温や湿度、体調もそうだけど、何もかも同条件にはできないから舌で覚えてしまうことが理想だよね。”技術は見て盗め”に近い方法は、今の若い子には難しいかもしれないけどさ」


 味覚という直接の感覚を得られるのならば、”見て盗め”とは違うのではなかろうか? とも、あたしは思うのだけど。

 店長は戦闘訓練でもない限りはあまり厳しくはない。てか逆に、甘いのよ。

 営業中でもあたしの初見の料理があれば、逐一味見をさせてもらえる。それはそのお皿の主体となる食材から付け合わせに至るまでの全てを、だ。

 ちゃんと呑み込んで口を拭い、制服が食べこぼしで汚れていないかを確認しないと、お皿を運べないのは痛恨の極みだけどね。

 最初、あたしがこぼして制服を汚すことがあって以来、最近だと店長に「あ~ん」してもらえる機会が多いから役得ではあるのよ。


 あたしって家だと次女だからと何をやっても褒められないし、優しくされることが少なかったの。

 お姉ちゃんは初めての子供だから両親にも祖父母にもちやほやされてた。

 両親も、お姉ちゃんを無駄に褒め過ぎたことを反省しているのか、あたしがお姉ちゃんと同じことをしてもまず褒めてもらえたことはない。

 弟が生まれると初めての男児ということもあってか、両親と祖父母の関心は弟に向いてしまった。

 そういう経緯もあって、あたしは優しくされたり、褒めてもらえる環境がとても心地良く感じてしまう。特に、このお店では店長に褒められたり、優しくされることが多い。

 ただ、褒められたり優しくされることに耐性がないのよね。だから、かなり擽ったいのも事実なの。


 レオの話を聞く限りでは、年齢不詳の店長はものすごく年上であるらしい。下手をすると、あたしのお父さんよりも年上である可能性の方が高いのよ。

 でも、父親というよりも歳の離れたお兄さんみたいな感覚の方が強いわね。従兄なんかよりも親近感のあるお兄さんと言った感じかなぁ。



「――聞いてる?」


「あ、はい」


「ちゃんと聞いててよ」


 考え事に耽って上の空だったとは、とても言えない。ちゃんと聞いてます、なんて適当な嘘も言わないけど。


「ミルクパン。片手鍋にお酢に塩、砂糖を入れる。砂糖は塩に比べるとかなり多くなるよ。酒はいつものお手軽ワインの白を入れる。無ければ日本酒でもいいけど、その場合は砂糖を少し減らすといい。包丁の腹でブチっと潰したニンニクをひと欠け。輪切りにした鷹の爪、種は好みだね、辛いから。最後に庭に生えてる月桂樹の干した葉っぱ一枚、別名ローリエだね」


「ローリエ、どこに植えてあるんですか?」


「店の東側、一番背の高い樹だよ。本当は虫が付き易くて、手入れが大変なんだけどね。そこはそれ」


 そう言われてみると、東側には高い木が何本か植わっていたはずだわ。

 あたしにはただの庭木にしか見えなかったけど、あの木の一本がローリエだったのね。店長は最後の言葉を濁したけど、庭木の手入れに魔法を使っているのが見え見えだわ。


「本来ならこの漬け汁だけを加熱するところなのだけど、俺の邪道レシピはここに野菜も入れちゃう。あとの手順は同じで、ひと沸きするまで加熱する」


「なるほど、きくらげですね」


「きのこには火を通さないとね。……っと沸いたね。あとは放置して粗熱を取る。粗熱が取れたら容器に移して冷蔵庫へ。邪道レシピは味の浸透が早いから冷えてしまえば、数時間後には食べられる。

 で次に邪道レシピⅡ。ここに煮沸消毒を終えた耐熱のガラス瓶がある。この金属の蓋を外してパッキンにアルコールスプレーを吹いておく。先程の材料の全てを放り込んで電子レンジで三分くらい。量によっては前後すると思って。これも粗熱を取ってから蓋をして冷蔵庫へ。冷めない内に蓋をすると開けにくくなるから注意。で、この邪道レシピⅡは家庭向けね。耐熱瓶さえあれば鍋も汚れずお手軽だよ」


「おおぉ」



 ほぼ全ての行程であたしが関わったのは野菜を切ったくらい。あとは全部店長がひとつひとつ丁寧に説明しながらこなしてしまった。

 できれば、正道のレシピも教えてほしかったのだけど、それは言わぬが花かしら?


 結局、粗熱を取るのに少々どころか多少の時間が経過し、営業時間に突入してしまった。今日はレオは不在で、店長とあたしで店を切り盛りした。

 店長は現在閉店作業中。あたしは業務用の食洗器の。それも大きなやつで今日の分の食器を一気に洗い、コンプレッサーのエアーで水気を飛ばし終わったところだ。

 食洗器は熱湯と専用洗剤で洗っているのだけど、エアーガンで吹き飛ばすと乾燥するまでの時間が短縮されて退勤するまでの時間を短縮できる。

 という店長の知恵袋なのよ。

 

 営業中に粗熱の取れたピクルスは、容器に移され店長が冷蔵庫に仕舞っていたようで、現在あたしの目の前には出来立てホヤホヤではないものの、冷えて味の染み込んだ煮物もといピクルス”も”並ぶ。


「以前、良いワインを抜くと約束したからな」


「てっきり忘れられているものと思ってました」


「ステーキもあの時の仔牛だよ。柔らかく評判も上々だ」


 頭と四股を落とされて枝肉へと姿を変えた仔牛は、あたしも以前確認している。

 その状態のまま数日熟成された後、各部位に切り分けられたものが現在お店の冷蔵庫に保管されていた。当然の如く商品である。

 今夜の賄いとして登場した理由は、店長の計らいによるものね。戦闘訓練の修了祝いというやつよ。

 

 あと三時間もすれば深夜になろうという時間帯なのだけど、これからステーキですよ? しかもお高い赤ワインも既にデキャンティングも終えている状態ですの!


 でも悲しいかな。あまり遅くなると終電がなくなてしまうのよね。

 それに温かい内に食べたいじゃない。


 なので早速ですが、いただきます!

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