第二話 事後処理と新たな事件


「……米がうめえ」


 真夜は渚と別れた後、近くの牛丼屋に来ていた。


 熱々の肉。ふっくらとした白いご飯。湯気のわく濃厚な味噌汁。副菜としての漬け物と紅ショウガ。


 がつがつと真夜は牛丼を口に運び、時折味噌汁に口をつけ、味噌の味を堪能する。


 チェーン店の牛丼が、ここまで美味しいと思ったのは初めてかも知れない。


 学生であり、一人暮らしの真夜は偶にこうした物も食べていたが、味に関してはそこまで思い入れは無かった。


 しかし体感としては四年ぶりの白ご飯は何よりも旨く、味噌汁も日本人としては外せない料理の一品だ。


 シャキシャキとした白菜の漬け物もうまい。国産かどうかなどどうでもいい。ただただ、異世界では食べることができなかった故郷の味が懐かしく、とてつもなく美味であった。


「……ごちそうさまでした」


 思わず手を合わせて感謝する。元の世界に、日本に戻ってきて本当によかった。食文化もそうだが、文明レベルが全く違う。


 魔法文明は魔法文明で、珍しい物や感心することも多々あったが、便利さと言う点では、この世界の方が圧倒的に優れている。


「はぁ、食った食った。久しぶりの白米は最高だな」


 メガ盛りを食べ尽くし、ぶらりと真夜は夜の街を散策する。土蜘蛛がいた場所から、真夜が住んでいる街はそれなりの距離があった。およそ二十キロぐらいか。


 時間的な変化は神が言ったとおり、召喚されてから五分後程度だったが、距離的な物は違いすぎた。


 何がどうすれば、あんなに離れるのだ。もう少ししっかり仕事をしろと言いたくなる。神相手に不敬だが、思うのは個人の勝手だ。


「まあ他府県や海外に送り帰されるよりはマシだが、あの神さんも適当だな」


 海外に転移させられていたら、どうやって帰ろうかと本気で悩んだろう。


 土蜘蛛がいた場所から身体能力を強化してやれば、そう時間をかけずにこの街まで帰ってこられたから、良い運動にはなったし、自分の能力の把握にも役に立った。


(身体能力は衰えていたが、全体的に召喚前よりは確実に上。霊力はほぼ異世界で上がった状態のまま。霊術も習得しているものはすべて使用可能。身体能力強化、霊視、結界、防御、治癒、浄化、隠行は問題無し。肉体が無い怨霊や悪霊タイプなら、霊符による除霊も可能。けど攻撃系の属性の霊術は相変わらず使えないか)


 基本的な物は使用可能であり、霊符による攻撃は肉体を妖気などで物質化した妖魔にはあまり効力がないが、肉体を持たない悪霊や怨霊といったゴーストタイプの存在は、試しに適当に浮遊していた霊を浄化することで可能だと実証できた。


(簡単な除霊程度の仕事ならこなせるな。まっ、妖魔相手でも対処は可能だが)


 退魔師としては仕事を選ぶことになるが、悪霊や怨霊相手ならば問題なく対処可能であれば、仕事を請け負うことが可能だ。


 適当に事故物件を見繕って、浄化して利用することも可能だし、安く買いたたいて、高く売るということもできるかも知れない。


(わかっちゃいたが、相変わらず単純に霊力を球体状や弾丸にして放出したり、剣みたいな形での放出も無理と来たか。それに霊力を変換し、属性を持たせるのもできないままか。これが使えれば、戦いの幅も広がるし、色々と便利なんだけどな)


 今の真夜の霊力は、一流の退魔師どころか、超一流の退魔師以上の、この世界でも類を見ないほどの量がある。


 しかしそれを最大限、有効的に運用することができない。彼には放出系の霊術に対する適性が一切無いのだ。


 だから単純に霊力が多くても、その膨大な霊力を放出して直接ぶつけて妖魔を倒すことはできない。


 それでも以前よりはマシだ。以前は霊力が少ない上に、使える術も威力が低かったり、長期間霊符を手から離せば、効力を失うほどだった。


 ゆえに異世界に行く前は浄化も直接手で触れた霊符を対象に貼り付けなければならず、あの土蜘蛛にしたように、霊符に霊力を込めて、浮遊させながら完全な防御結界を展開することもできなかった。


(しかも俺が異世界で手に入れた特殊な霊符でなきゃ、手元から長時間放つこともできないんだからな。それでも今の俺の扱える術は、どれも圧倒的に強化されてる。昔みたいに、悩む必要も無い)


 昔は散々と悩み、自らの境遇を嘆き、優秀な兄にコンプレックスを抱いた。


 その反動で、高校生になる時に、実家を離れ、この街で一人暮らしを始めることにしたのだ。


 しかし異世界から帰ってきた今では、そんな過去など本当にどうでもいいと思っていた。


 力は得た。得がたい経験を経た。自分自身を肯定することができた。他者から認められもした。


 もうかつての、落ちこぼれと蔑まれ、満足に妖魔どころか、低級の悪霊も倒せなかったかつての自分ではない。


 今の自分には強大な力と、経験に基づいた確固たる自信があるのだ。ならば何を悩む必要がある?


「さてと。まあとりあえず、家に帰って寝るか」


 久しぶりに布団の上で寝れる。何て素晴らしいことだろうか。しかも今日は曜日周りで言えば金曜日である。明日は土曜日で学校もない。真夜は部活にも所属していないので、朝から特に用事もない。


 好きなだけ寝てダラダラすることができる。


 異世界では野宿が多く、泊まる宿も高級な所はそう頻繁にあるわけではない。


 真夜は食欲を満たすと、そのまま睡眠欲を満たすために、帰路につくのだった。



 ◆◆◆



 京極渚は土蜘蛛事件の後始末に追われていた。行方不明者と相方の救出と警察への届け出。本家への連絡や土蜘蛛の卵の処理などと、やるべきことは山ほどあった。


 現在は警察もこの場に到着し、事後処理に協力してくれている。


 この世界では退魔師は一般に広く浸透しており、国が認めている退魔師は、それなりに発言力も高い。特に六家並びに、その他の有力な一族には秘密裏にある程度の支援が行われ、警察も協力してくれるのだ。


「はい。こちらは無事に終わりました。報告書に関しては、後日正式な物をお送りします。被害に関しても想定の範囲内です。犠牲者も今のところおりません」


 電話越しに本家に簡単な報告をする。今回の事件では、生存者は絶望的かとも思われていたが、土蜘蛛が産卵のための餌として保存していたため、かろうじて息があった。


 もしかすれば最初に捕らえられた人間は、親の土蜘蛛の餌にされていたかも知れないが、なんとかギリギリで間に合ったようだ。


「ただ、同行していた分家の彼が負傷しました。幸い軽傷でしたので、すぐに復帰できるとは思います」


『……わかった。分家とは言え、若手では有望だと聞いていたが、所詮は分家か。そちらもこちらで処理しておく。ではその土蜘蛛の案件は清貴(きよたか)が引き継ぐ。お前は別の案件に当たれ』


 電話の相手――京極家現当主にして、渚の実の父である――京極清彦(きょうごく きよひこ)は、一切の感情を含んでいないような淡々とした口調で彼女に告げた。


「……清貴様ですか。引き継ぎはどうすればよろしいでしょうか?」

『口頭で済ませておけ。報告書は後日、お前が上げろ。次の案件の詳細は追って知らせる』

「……承知致しました」


 渚が返事をすると、電話は即座に切れた。ツーツーと電子音が鳴るスマホを、渚はゆっくりと仕舞う。


「……いつものことですね」


 当主たる父から与えられる任務を淡々とこなす渚。だが一度たりとも、父である清彦から労いやお褒めの言葉を貰ったことは無かった。どれだけ任務をこなし、成功させようが清彦はそれが当たり前だと歯牙にもかけない。


 しかもその功績の大半は、次期当主たる兄や他の者の手柄とされる。


(彼のことを秘密にしておいて、結果的にはよかったですね)


 渚は真夜に言われたとおり、その存在と協力を伏せて報告した。もし父の耳に入れば、確かに厄介な事になっていただろう。渚としては命を助けられたのだから、きちんとした礼をしたかったし、彼の活躍を喧伝したかった。


 しかし状況や彼女を取り巻く環境がそれを許さない。


 それでも渚は個人的に、真夜へのお礼をしたかった。仮令(たとえ)、本人が固辞しようとも、気持ちは大切である。


(彼には別にお礼をしなければいけません。命を助けられたのですから、当然のことですね)


 とは言え、連絡先も聞いていない。何故あの時、連絡先を聞いておかなかったのかと、真夜が去った後に気がつき、自分の迂闊さを呪った。


(色々と動揺していたみたいですね。彼に会って、また助けられて、話をして舞い上がっていたのかもしれませんね)


 思い出すのは遠い昔の記憶。相手は覚えていないだろうが、渚は今でも覚えている。


 あの日のことを……。


(ああ、本当に自分が不甲斐ない上に、情けないです。私の馬鹿。どうして、こんな所で抜けているんですか)


 彼がこの辺りに住んでいるのかも分からない。手がかりは何も無いようなものだ。これではお礼も何もあったものでは無い。


(それでも見つけようと思えば、見つけられますけどね)


 彼の霊力の残滓を辿れば良いだけのことだ。若干、ストーカーチックな思考だが、これは彼へのお礼のためと、半ば自分を納得させる。


(先に辿っておきましょう)


 渚は制服に入れておいた霊符を取り出し、祝詞を唱える。すると、霊符が一羽の白い鳥に変化した。


 彼女が、と言うよりも退魔師が霊符を媒介にして使う式神である。


「彼の足取りを追ってください。見つかったら、帰ってきてください」


 渚の式神は高度な物だった。退魔師が霊力の糸を繋ぎ、操作するのではなく、内包した霊力で自立行動ができる。このため、彼女の式神は術者から遠く離れた場所でも行動できるのだ。


 さらに視界共有や、行動の変更も行うことができる。


 鳥は空へと羽ばたき、真夜が去った方向へ飛んでいく。


 これで彼を探せるはずだと、渚は笑み浮かべる。


(お礼は何にしましょうか? それに直接出向かなければ失礼ですし、相手の都合も考えないと)


 あれやこれやと考える彼女は、先ほどの父親との会話の時とは違い、年頃の娘のように悩み、楽しむような雰囲気を出していた。柔らかい笑みを浮かべながら今後のことを考える。


(早くこの案件を終わらせて、次の案件が始まる前までに、一度彼にアポを取って会いに行きましょう。それが良いですね)


 その時を楽しみにしつつ、渚はいつも以上に事後処理を完璧にこなそうとした。


 しかししばらくして、使いに出した式神が真夜の隠形の術のせいで霊力を辿れず戻ってきたことで、激しく落ち込むことになるのだが、それをこの時の彼女は知る由も無かった。



 ◆◆◆


 時は少し遡り、とある都会の某所。


「あー、つまらん。こんなんやと、俺が弱いもんいじめしてるみたいやん」


 薄暗い路地裏で、学生服を着た一人の少年がつまらなさそうに呟いていた。


 身長は百八十近くだろうか。紺色の髪に紅いメッシュが特徴的な少年だった。彼の足下には、数人の青年達がうめき声を上げてうずくまっていた。


「そっちが喧嘩売ってきた上に、数人がかりで一人に勝てへんて、お兄さんら情けなくないん?」

「て、てめぇ……、いい気になるんじゃねぇぞ」


 リーダー格の短髪の男が、少年を睨むが、少年はどこ吹く風である。


「俺たちのバックには、アンビズが付いてるんだぞ?」

「なんやそれ? 新手の半グレ集団かいな? 今は暴力団やのうて、けったいな暴走族みたいなチンピラな名前が付いてるんやな。まあええ。ほな、そこへ案内してもらおか」


 少年は男を片手で掴むと、軽々と持ち上げた。


「なっ!?」

「実を言うとな、俺はあんたらみたいなのを探しとったんや。あんたらみたいな社会の屑が相手やと、俺も何の躊躇も気兼ねも、ついでに同情もせんと色々できる。俺らのボスがな、人を欲しがってんのや」

「そこまでにしろ、八城」


 と、路地の入り口から声がかけられた。見ればそこには黒いスーツ姿のまだ二十代後半の色白い優男が立っていた。身長は百八十を超えているだろうか。紅と蒼の瞳をした、白髪の男だった。


「こりゃボスやないか。こないな所で何してんの?」

「お前が勝手に行動していると聞いてな。私自ら出向いたまでだ」


 ふんと鼻を鳴らす優男は、されどどこまでも冷たい目をしていた。その目を見た瞬間、八城と呼ばれた少年に掴まれていた青年は身体がどうしようも無く震えだした。


「せやけどなボス。あんたが言ったことやで。人を集めろって。それも……あんたが生け贄に使う用の人間をぎょうさんなってな」


 瞬間、八城の身体から驚くほど濃密な殺気が放たれた。怒りの感情が乗せられた殺気を、八城はボスと呼んだ男へと放った。


「ふっ、その程度の殺気で私が恐れるとでも? それともこの場に誰かを呼び込もうとでもしたのか? 生憎だが、ここには結界を張っている。誰も来ないぞ?」


「あー、そうなん? そりゃ残念やわ」


 顔を左右に振り、殺気を霧散させる。それに男は笑みを浮かべる。


「お前のそういう所は嫌いではない。私の言うとおりに従えば、お前の願いを必ず叶えよう。私は約束を守る男だ」

「……その言葉、覆すなや」

「誓おう。だからお前も、私の指示に従え。生け贄の選定はお前に任せよう。社会の屑を使うのも構わん。そいつらも十分に生け贄としての価値がある。だが動く前には声をかけろ。サポートはつけてやる」

(何がサポートや。俺への監視やろうが)


 八城は内心で悪態をつく。むかつくが、できる限り顔に出さないようにする。この男相手にどこまで通じるかわからないが、表面上だけでも従う意思を見せなければならない。


「それはありがたいわ。じゃあ次からはそうするんで」


 男はこの二人が何を言っているのか、半ば理解できずにいた。しかしそれでも分かることがある。自分の命は、この二人に握られてしまっているということを。


「そういうわけやからすまんな。でもあんたらも一般人や罪も無い相手を罠にかけたり、理不尽なことするやろ? それが自分に回ってきただけや」

「な、何を……」

「ああ。あんたのバックにいる奴らの所には案内してや? そいつらも連れていかへんと、全然足らへんのや。そうなると、本当に何も知らん一般人を攫わなあかん。俺的にはそれはしたないから、堪忍してや」


 ニィッとどう猛な笑みを浮かべているその顔からは、まったく悪いと思っていないことが見て取れた。


 だから、彼らがどうなるかなど決まり切っていたことだった。


「百八人の生け贄。この日本で集めるのは些か骨が折れるが、これも必要なことだ」


 八城の行動を眺めながら、白髪の男は小さく呟き裏路地から空を見上げ、不気味な笑みを浮かべる。


「まもなく復讐の幕が開ける。もうすぐ奴らを根絶やしにできる」


 ――待っていろよ、京極。必ずや根絶やしにしてくれる。


 男の呟きは、裏路地に小さく響くが、誰もそれを耳にすることは無かった。


 この日、この街を拠点にしていた半グレ集団アンビズは、一夜にして忽然と姿を消すこととなった。


 トップ、幹部、構成員含めて数十人が神隠しのように行方不明となったことで、警察も捜査に乗り出すが、目撃情報も監視カメラの映像にも何も映っていなかった。


 神隠しとも言うべき事件ではあるが、敵対組織との抗争などの線でも捜査が進められたが、事件は暗礁に乗り上げかける事となる。


 だがそれから一月後、県警の上層部がとある筋に捜査への協力を依頼することで、新たな事件の幕が開くことになるのだった。


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