死について。

 死について初めて考えたのは、いつとハッキリしたことは言えないが、小学生になるか、ならないか、そこまで遡る必要がある。


 なぜ死ななきゃならんのか。

 いずれ死ぬなら、なぜ生まれ、そして生きるのか。


 とんでもない罪悪だと思った。

 当時、「罪悪」なんて言葉は知らないので、恐らく、「ひどいこと」と思ったはずだ。


 初めて、「死んでやる」と考えたのも、やはり小学生の頃だったはずだ。理由については記憶してないが、宿題を忘れたかなんかで、「こんなことも出来ないなんて、生きていけるはずがない」とか、そんなことを考えたはずだ。


 くだらないだろうが、当時の私は真剣だった。


 それからも何度か、「死んでやる」と思ったものだが、全て己の不甲斐なさを恥じたものであった。


 金を使い果たしたところで死ぬという、この逃走旅行についても、自殺と言っていいかもしれんが、それよりはいくらか前向きなつもりだ。


 死という後も先も無いところに向かっているのに、前向きというのもおかしいか。


 とにかく、金を使いたい、旅に出たい、そういう欲求はまだある。


 出雲大社も見たいし、東尋坊にも行きたいし、高い寿司も食いたい。


 逃走旅行の後になればなるほど、格好はみすぼらしくなるのだから、日程の最初の方に入れるべきか。高い寿司の持ち帰りもあるのだろうか。

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