ラウンド40 ルルア国立ドラゴン研究所セレニア支部

 理性と感情は裏腹なもの。

 セレニアに帰るまでの間、その言葉の意味をひしひしと感じた。



 離ればなれになることは仕方ない。

 海を越えるほどに遠い距離でも互いを感じて安心できるように、誕生木のネックレスまで用意したんだ。



 口ではそう言って強がるくせに、二人きりになるや否や、子供のように全力で甘えてくる彼女。



 ちょっとでも離れようとすると、慌てたり泣きそうになったり、かと思えば無言で後ろについてきたり。



 本当は離れたくない。

 いつだって一緒にいたい。



 態度が語るその想いにほだされて、何度〝もう少しだけルルアにいようか?〟と言いそうになっただろう。



 それでも大人である以上、互いが抱えている事情を整理しないまま、感情だけで突っ走るわけにはいけないので。



 めいいっぱいに涙を浮かべる彼女に〝絶対にまた来るから〟と約束のキスをプレゼントして、ルルアに別れを告げた。



 あの後彼女は、必死に強がった反動でしばらく泣き止まなかったらしい。

 


『現地でのフォローは俺たちで頑張るから、研究でノアのことを忘れないであげてね。』



 そう言ってくれたキリハ君には、感謝するしかない。



 正直、あの子の頼みなら、無実の人間を理不尽に叩き潰すことだってやってあげるだろう。



 あの子がそんなことで道を切り開かないというのが、あの子をここまで認めている理由の一つではあるのだけどね。



 ともかく、これから忙しくなる。



 ノアと付き合っているという事実を伏せたまま、どうやってルルアに通う建前を取り繕うか、早急に対策を練らないといけない。



 この自分が態度を百八十度ひっくり返すわけだから、妥当性以上に必然性があって〝それはルルアに通うしかないな〟と思われる理由が必要なのだけど……



 ―――なんて悩みは、ものの数日でぶち壊されることになる。





「研究所の……所長…?」





 研究部に出勤して、いの一番に呼び出しを受けた会議室。



 オークス、ケンゼル、ターニャを筆頭に、各部の幹部が揃い踏みという厳格な雰囲気の中、言われたことがこれであった。



「実は数週間前から、友好同盟の次なる一歩として、セレニアにもドラゴン研究所の支部を置きたいと、ルルアから正式に打診が来ていたのです。」



 ターニャがざっくりとした事情を告げた後、オークスが苦い表情で話の続きを引き継ぐ。



「そんで、所長の役目を担う人間として白羽の矢が立ったのが君というわけだ。ゆくゆくはキリハに任せてもいいが、それまでの繋ぎは君にしか果たせないって、ルルア大統領御殿とルルア国立ドラゴン研究所総意のご指名だ。」



「おーい……また、僕になんの相談もなしに……」



 権力者なのは重々承知ですけど、そんな簡単に国家規模で動かないでくださいよ。

 そんなことを思いながら、とりあえず渡された資料に目を通す。



「というか、支部の件は了承するつもりなんですか? 普通の研究所ならともかく、ドラゴン研究所ともなると、国民の理解を得るのに苦労しそうなところですが。」



「もちろん。一筋縄とはいかないでしょう。」



 もっともな疑問をぶつけると、ターニャは冷静に一つ頷いた。



「しかし、セレニアも変わらなければなりませんからね。私が初代大統領に就いたことで、竜使いに対する偏見は一気に軽減されてきています。どうせなら、人にも恵まれてタイミングも合っている今のうちに、この国の根本までもを変えてしまおうと……そう思ったのです。」



「まあ確かに、人材とタイミングはバッチリでしょうね。」



 ペラペラと資料をめくりながら、ジョーはターニャの意見を支持する。



「研究所の場所は、今はドラゴンとの交遊空間になっている空軍施設跡地……安全性の実証は済んでますね。あそこの管理システムは定期的にメンテナンスしてあるんで、研究所用に改良するのも簡単でしょう。」



「やはりな。お前さんなら、絶対にレベルアップさせてあると思ったわ。」



 口を挟んだのはケンゼルだ。

 他の皆も、特に驚いた様子はない。



 これは、大統領選で彼らと一緒に暴れすぎたようで。



 今の肩書きは一介の平社員に過ぎないのだが、一定以上の地位を持つ人間の間では、自分が裏で情報とシステムを支配していることが常識となってしまった。



 眠れる獅子は好きに遊ばせておけ。

 そういう感じで、自分の行いは黙認が最適解となっているのが現状。



 まあ、間違っちゃいないよね。

 やられたらやり返すけど、やられない限りは大人しくしているのが僕ですもの。



 得た情報とネットワークを個人的に悪用して、イージーモードで豪遊生活?

 この僕が、そんな低俗な考えで動くわけないでしょ?



 嫌味に聞こえたら申し訳ないけど、天才にとっちゃこの世界なんて、生まれた瞬間からイージーモードなんです。



 汚い手に出る価値も理由もないんです。



 自分がこの力を悪用したのなんて、アルシードの情報を操作する時だけ。

 それ以外は、ちゃんと全うな手段で世渡りしてきましたからね?



「キリハ君が了承するのであれば、将来的な所長が彼になることを公表しておくのもありですね。ドラゴンすらもひざまずく救国の騎士がそこを治めるとなれば、それだけで批判はなくなるでしょう。唯一の懸念は、その繋ぎが僕で納得されるのかってところですが……」



「寝ぼけたことを言うな。むしろ、君以外に務まるかって話じゃないか。」



 そこで横槍を入れてきたのはオークスだ。



「君にはすでに、安全にレティシアたちを管理しきった実績があるだろう。功労者受勲の際に、ドラゴン管理の責任者が君だったことを公表したのを忘れたのか?」



「あ…」



「それに、そろそろ解禁してもよさそうだから言うけど……君、キリハやターニャ様と同じで、ドラゴンと話せるだろう?」



「なっ…!?」



 衝撃に揺れる会議室。

 そんな中、指摘を受けた本人はというと……



「あら、ばれてました?」



 これだけであった。



「この場限りの話にするから、僕の陰に隠れてやってる研究の中身を言ってみろ。」



「……竜使い特有の瞳を元に戻す技術開発および、偶発性脳機能障害他、ドラゴン疾病の治療薬開発。」



 ジョーの答えを聞いたオークスは、溜め息を一つ。



「それを吐かせた上で訊くが、逆に所長をやりたくないのかい? まったく……セレニアじゃ色んな意味で危ないドラゴン研究のために、躊躇ためらいなくサンプルの血を飲んじゃってからに。」



「だって……人体は飽きた。」

「これこれ。素の君が出ちゃってるよ。」



 騒然とする周囲には構わず、オークスとジョーによるとんでもない会話は続く。



「これは、相談どころでは済まなくなりましたね。」



 最終的に、この場に収集をつけたのはターニャだった。

 彼女は席を立ち上がってジョーの傍に近寄ると、女王の雰囲気を放ちながら口を開いた。



「ジョー・レインさん。宮殿を統括する大統領として、先進技術開発部のあなたに辞令を下します。本日付で、ルルア国立ドラゴン研究所セレニア支部の所長に就任するように。開発部との掛け持ちになりますので大変かとは思いますが、頑張ってください。」



 大統領直々の辞令。

 拒否権は、ほとんどない。



 一息に通達を突きつけてきたターニャは、そこで表情をやわらげた。



「どうかキリハと共に、ルルアとセレニア、人とドラゴンを繋ぐ架け橋となってください。あなたの優しさに満ちた先進的な研究の成果に、期待していますよ。あなたが望めば……国を挙げて、応援しましょう。」



〝アルシードに戻りたいなら、いつでも力を貸します。〟



 暗に込められたメッセージは、もちろん理解している。

 しかしそこには触れず、ジョーは静かに頭を下げた。



「謹んでお受けいたします。ターニャ大統領。」


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