ラウンド29 落ちるのは一瞬で―――
「まったく! ウルドたちは何をやっているんだーっ!!」
ひと悶着後の避難先として確保しておいたホテルのスイートルーム。
そこに入るや否や、ノアが不満を爆発させた。
「あ、ごめん。嘘ついた。ウルドさんたち、待機してないよ?」
本日のミッションは無事にクリアしたので、ジョーは悪びれることなくネタバラシをする。
「何ぃ!?」
「一般人ならともかく、この僕がノアの隣にいるんだよ? ウルドさんたちは、二つ返事で僕にノアを任せてくれたさ。」
自明のことを語るように、ジョーの口調は揺らぎない。
「それに、変にウルドさんたちと連携を取ると、僕のデートの相手がノアだってばれるかもしれないからね。お馬鹿さんたちをおびき出すためには、今日のノアにはか弱い女の子でいてもらう必要があったのさ。狙いどおり、女性をかばいながらならこれで十分だろうって、当初の計画より少ない人数で襲ってくれたよ。ルートの予測が立てにくいドライブを選んで、人手を分散させたのも効いたみたいだ。」
「お前……」
そこまで聞いたノアが、何かに思い至る。
「あっさりと誘いに乗ってくれたのがおかしいと思ったら……最初から、私とのデートを利用する気だったなぁ!?」
「その分、楽しませてあげたじゃない。短時間でここまでの手配をするの、ちょっと大変だったんだから。」
「大変だったって……お前まさか、今日の護衛だけじゃなくて、デートの準備も一人でやったのか?」
「当たり前でしょ。ウルドさんにお願いしたのは、今日ノアが休日出勤で御殿にいるようにカモフラージュしてほしいってことだけさ。」
「そう、か……」
ぽつりと呟いたノアは、ゆっくりと顔を下に向ける。
そこから彼女は、何も言わなくなってしまった。
(さすがに、怒っちゃったかな…?)
少しばかり気まずげなジョーは、言葉を探すように虚空に目をやった。
彼女の言うとおり、今日のデートは自分に差し向けられた刺客を叩き潰すための罠だった。
可愛い格好でおめかしをしてくるように注文したのも、敵に彼女をお荷物と思わせるため。
自分の好みだからとか、いつもと違う彼女を見たいからといった浮ついた理由は一切ない。
「………」
どうしてだろう。
口が動かない。
他人の尊厳を悪意で踏み潰す人間……そう言ったのはあなたでしょう?
僕に何を期待してたんです?
笑いながらそう言って、この
期待と絶望の落差は大きい方が効果的だから、日が暮れるまではとびきり甘やかしてやったつもり。
状況は整った。
あとは、自分が痛烈に彼女を突き放せば終わる話なのに……
『下手に私を否定して、私を傷つけたくない。私を失いたくない。お前の態度がそう語っておるわ!!』
まさか、本当に?
そんなわけない。
そんなわけ……
自分が踏ん切りをつけられずにいる間に、ノアの体が小さく震え出す。
それを見て、とっさに体が動いてしまった。
「あ、あの……」
ちょっと。
どうしちゃったのさ、僕。
ここまで最低なことをしておいて、今さらノアに何を言い繕おうとしてるの…?
「なあ! 私たち、ものすごくお似合いの最強夫婦になれると思わないか!?」
肩に手を置いたことで、自然と近くなっていた距離。
ほぼゼロ距離から見下ろした無邪気な笑顔は、目の前に星が散るような錯覚を引き起こした。
「……はい?」
「だって、考えてもみろ!」
現実についていけないジョーに、ノアは力説する。
「二人でなら、何も気にせずに好きな所へ行けるんだぞ!? いつ誰が襲ってこようとも、二人で返り討ちにできるのだからな! ターニャがディアを伴侶に迎えた気持ちが、今よく分かったぞ。これはたまらない!!」
「ちょっと…?」
「いんや~♪ それにしても、さすがはアルだな!!」
こちらの戸惑いなど気に留めるつもりなし。
大興奮のノアは止まらない。
「剣と薬をあのように絡めて使うとは、恐れ入ったよ! 銃の腕も申し分なかった! どうりで腐るほど恨みを買っておきながら、笑顔でしぶとく生き残れたわけだ。お前はまさに、ルルアの大統領たる私の伴侶にふさわしいよ!!」
「え……なんで怒らないの…?」
「怒る? 何故だ?」
きょとんと首を傾げるノア。
「お前があんなことをできたのは、私なら襲われても大丈夫だと信じていたからだろう? でも私を傷つけさせるつもりはないから、しっかりと私を守った。私に斬りかかった阿呆を遠くから銃で仕留めたのは、そういうことだろう?」
「………っ!!」
「それに、私を利用したお代なら、デートの準備と護衛を全部一人でやってくれたことで事足りる。どこに行くにも何をするにも、これでもかというくらいに配慮が行き届いていた。……ちゃっかり、私の好きな料理が食べられる店を選んでいてくれたのは、嬉しかったぞ? こんなの、私がお釣りを返さなければならないじゃないか!!」
あれだけの出来事を、豪快に笑い飛ばしてしまうノア。
お世辞や強がりでそう言っているわけじゃないのは、疑うまでもなく明らかだ。
(―――ああもう。なんだよ……)
ジョーは眉を下げて苦笑する。
今の気持ちってなんだろう。
長い間続いていた緊張の糸がプツリと切れて、どっと安心してしまったような。
無性に泣きたくなって、それなのに笑いたくなるような。
天才の頭脳をもってしても、いまいち表現し
「確かに……僕には、これくらい豪胆な人がちょうどいいかも。」
ごく自然に伸びた手が、細い
向こうもそういう気分なのか、
それに抗うことなんかできなくて―――どちらからともなく、深い口づけを交わす。
(人生初の負けだよ。本気で惚れちゃったじゃん……ちくしょう……)
恋に落ちるのは一瞬だ、なんて……
そんな夢物語のような世界の出来事を、まさか身をもって知ることになろうとは。
落差にやられたのは、どうやら自分の方らしい。
未だに戸惑っている気持ちは、現実に全然追いついていないけど……
今はもう、この衝動を止められない―――
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