第11話 素顔

 いつの間にか、掲示板前の賑わいは復活していた。せっかく人だかりも疎らになってきたというのに、すっかり逆戻り。

 だが、さっきまでとは注目の的が違う。みんながざわついているのは、学園のアイドルのご登場にだ。すでにその存在は1年には広くいき渡っているようだ。

「ねえあれって」「ああ、あの子が」「うわっヤバ、すげー可愛い」「めっちゃスタイルいいなぁ」「髪サラサラ!」などなど、羨望と称賛の声が漏れ聞こえてくる。


 当の本人はそんなことどこ吹く風。食い入るように、目の前の掲示物を眺めている。その横顔は凪いだ海のように穏やかだが——


「あ、藍星? いや、そんなことないって。藍星だってその……」


 2位じゃないか、そんな言葉を続けた日には全てが終わる。一瞬順位表に向けた視線の置き場は、完全にわからなくなってしまった。


「その、なんです?」


 涼しげを通り越して凍てつく声で言うと、藍星は静かにこちらへ身体を向けた。回転の勢いに、微かに髪とスカートの端が揺れる。宙を舞う花びらのようにゆっくりと。


 そこにあったのは、ひたすらにたおやかな笑み。見るものに安らぎを与えるような慈愛に満ちたもの。

 でもなんだろう。俺のは、息が詰まるような威圧感しか感じられない。じっと見ていれば、オーラ的なアレがその背後に見えてきそうだ。


「ええと、2位ってすごいじゃん!」

 自分にしては珍しくハイテンションで言ってみた。もうやけくそだ。

「やだなー、全教科満点の人に言われても、嫌味にしか聞こえないですよー?」

「……ですよね。あの、ホント、すみません」

 いたたまれなさいっぱいにすかさず頭を下げた。


 きらっきらっした素敵な笑みに、完全に気圧された。自然と、言葉と態度で謝意を表明していた。


「お、なんだ、なんだ?」

「あの人、誰だろ~」


 ただならぬ事態にギャラリーが湧き始める。困惑と興味の入り混じった視線をひしひしと感じる。

 すかさず、ふたつ目の失念。もっと穏便に済ませる方法はあったはずなのに。時すでに遅し。明日、いや数時間後にはどんな噂が出回っていることやら。

 まあいいや。これが本当に16歳のメンタルなら耐えられなかっただろう。でも時間の経過により多少は図太くなった自覚はある。他人にどう思われようが関係ねえや!


「あ、頭を上げてください!」だが、相手の方がそうはいかなかったらしい。すごい慌てている。「冗談、ほんの冗談ですから! 大丈夫、全然怒ってませんよ。ね!」

「ホントか? 実はまだ滅茶苦茶怒り狂ってるんじゃないか? 我がことながら、さっきのはとんでもなくイラっとする上から目線発言だった」

「ないです、ないです。さっきのは本当に、ちょっとイジワル言ってみたかっただけなんです! 自分より凄い人に。鬱屈した自己表現してすみません!」


 おかしなことに、なぜか向こうから謝られてしまった。どうしてこうなったんだろう。当事者ながらよくわからない。

 ただわかるのは、藍星凜々華という人物が心根のとても綺麗な女の子ということだけ。じゃなきゃ、こんな盛大な自爆なんてしない。


「とりあえずさ、アンタたち。めっちゃ注目されてるわよ?」


 幼馴染の一言はどこまで呆れかえっていた。たぶんこいつこそ、この場で最も冷静だろう……普段はそんなことないのに。


 頭を上げると、ちょうど藍星も同じことをしていた。そのまま視線が気まずくぶつかる。


「ええと、ひとまず場所でも変えるか」

「……そ、そうですね」


 先んじてまずこちらから歩き出す。

 だがすぐに、そもそもその必要はないことに気がついた。藍星の動揺っぷりにすっかりつられてしまったようだ。


「はいはーい、見世物じゃないからねー」


 なんてことを言いながら、陽菜希が隣りに続いた。わざとらしく人込みをかき分けていく。

 そしてやはり、別にこいつがついてくることもないのではとも気づく。


 釈然としないまま、廊下の隅っこまで来てしまった。すっかり遠ざかった弁当に、どうすればまた会えるのか現時点では見当がつかない。そんな腹ペコな昼休み。


「改めてごめんなさい。私が変なこと言ったせいで」

「いや、俺の方こそオーバーに受け止めてしまってすまない」

「いつまで謝り合ってるのよ……まあ、あたし的には孝幸が大げさすぎただけと思うけどね。あんなの、ただの可愛い皮肉じゃない。それを真に受けちゃってさ」


 ふん、とわざとらしく鼻を鳴らした後、徐々に陽菜希が笑い出していく。

 つられるように、藍星も笑みを溢す。

 ひとまず、これでさっきの騒動には収拾がついたか。あの場にいた大勢の第三者は別として。その程度、不釣り合いな藍星との接触の代償として受け止めておこう。


「そういえば、鳳さんは涌井くんと同じ中学なんだっけ」

 笑いが収まってから、藍星がちらりと陽菜希の方へと目を向けた。

「陽菜希でいいわよ。代わりにじゃないけど、凜々華ちゃんって呼んでもいい?」

「うん、もちろん。よろしくね、陽菜希」

「こちらこそ、凜々華ちゃん。――で、そうよ。あたしとこいつは同じ中学。小学校もそう。幼稚園もね」


 ちょっと顔を逸らし、胸を張って見せる陽菜希。

 なんでちょっと得意げなんだ……まあ、うんざりされるよりはいいんだが。


「あー幼馴染ってやつだね。いいなぁ、羨ましい。私はそういうのと縁がないから」

「そっか、凜々華ちゃんは白瑛はくえい出身だったっけ」

「あー、あのお嬢様学校の」

「そういうことを本人の前で言わない!」

「いやまあ事実ではあるので……」


 藍星は気まずそうに目を逸らした。なんとなく、その姿に謙虚さを覚える。ホント、素朴だなと見た目とは裏腹な内面に関心を覚えた。

 そこへ、ほら、とでも言うように横から小突かれた。昔と変わらないな、とこっちには懐かしさを覚える。


「そのまま進むこともできたのに、どうしてまた」

「うーん、色々かなぁ。ひとつはね、ここだと歩いて通えるから!」

「なんかどっかで聞いたような話ね……」

 同じ中学出身の奴がじろりとこちらを睨んできた。

「なんだよ、徒歩で通えるって素晴らしいぜ。通学に余計な手間を取られないんだぜ。雨の日も風の日も雪の日だって、そんなに苦労しない」

「あ、涌井くんはそういう志望理由だったんですね。仲間です!」


 親近感が湧いたのか。顔を輝かせて、藍星は嬉しそうに胸の前で手を合わせた。パチンと小気味よい音が寂しげな廊下に響く。


 それにしても中高一貫の白瑛を辞めて御笠ヶ原に進学か。中学受験とか相当大変なイメージなのに。塾でごく稀に小学生も見てたが、とても俺には無理だと思った。

 まあ別に合う合わないもあるだろうしなぁ。ただあのお嬢様学校にいても、この子は見劣りしないと思うけど。でもそんなことは本人がどう感じるかの話だ。

 

「ねぇ、さっきから気になってたんだけど、なんで孝幸には敬語なの?」

「あ、えと、それは……その女子中だったので、男の子の存在って新鮮で、あの話し慣れてないと言いますか……どう振舞えばいいかわからないと言いますか……」


 よほど恥ずかしかったらしい。藍星は赤くなった顔を両手で覆った。喋り方にもすっかり動揺が見て取れる。陽菜希に対しても敬語になってるし。


 しかし、あの学園のアイドルが実は男が苦手だったとは……今日まで全く知らなかった。なのにまあ、男子からよく注目されて大変だったろうと、他人事ながらに思う。

 いや、これからの話か。それを思うと、少し気の毒になるが、大してしてやれることもないわけで。

 でも、すぐに慣れるだろ。と勝手に心配しておいて、これまた勝手に納得するのだった。


「か、かわいい……じゃなかった、そんな化石みたいな人、イマドキいるんだ」

「割とストレートな物言いするのな、お前。知ってるけどな」

「やっぱり変、ですよね……でもその、どうしても緊張してしまって」

「まあいいんじゃない。無理して直すようなものでもないし。それも個性よ」

「もとはと言えば、お前が言い出したんだぞ」

「そうね、そうよ。ごめんなさい、余計なこと言いました!」

「怒りながら謝るとか、器用な奴だな……」


 ホント、こいつはいついかなるときも感情むき出しだな。まあそこがいいとこだと思う。前はどう思っていたかはもう忘れた。


 少しして、ようやく動揺は収まったらしい。藍星がひとつ大きく息を吸い込んだ。ただ、まだその耳辺りにさっきまでの余韻が残っているけど。

 その顔がこちらを向いた。何かを思い出したような顔だ。その瞳はよく潤んでいて、なんとなくドキリとしてしまう。


「そうだ、涌井くん。放課後、図書委員の集まりあるから忘れないでね……くださいっ!」


 奇妙な語尾で言い終えると、彼女は走り出してしまった。うん、全然立ち直っていなかったな。


「あーあ、お前のせいだぞ。藍星、すっごい気にしてるみたいだった」

「いや、だって、ちょっと気になっちゃったから……あとでもういっかい謝っておくわ」

「それがいい」

 ちらりと見ると、陽菜希も少しだけ責任を感じているような顔をしていた。


 もっとも、藍星が陽菜希に腹を立ててるとは思っていないけれど。でもまあ、意識してしまうきっかけを作ったのは事実だ。


 教室に戻ろうとしたところ、もの言いたげな視線を幼馴染はぶつけてくる。


「どうした? まだ何かあるのか?」

「ううん。どこかの誰かさんも女子と話すの苦手だったはずだよなー、って思っただけ!」


 どこか神妙な顔で声高に言うと、陽菜希も駆け出して行ってしまった。

 空前の廊下爆走ブームが来ているのかもしれない。そんなバカげたことをふと思う。いや、この高校ってそんな無秩序なとこじゃないんだけどな。


「腹減ったな」


 女子たちが消えたところで、タイミングよく腹の虫が鳴いた。ちゃんと時と場合を弁えられる虫でよかったと、ホッと胸を撫でおろす。

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