第20話 開幕

 北の大地かつまだ4月となれば、19時を回ったところで辺りはすっかり暗い。加えて、御笠ヶ原は住宅街の外れで山の近くという立地条件なので人工灯の密度は薄い。

 つまり、我らの学び舎はすっぽりと夜闇に覆われているのだった。灯りがついているのは一部だけ。後は真っ暗。いつもの快活な姿はどこにもない。


「うわー、雰囲気あるね。いいよね、夜の校舎って! オバケとか出ないかなー」


 そんな光景を見て、我が姉貴は露骨にハイテンション。この御仁、積極的に怪談話やホラー映画を摂取するなどかなりのスプラッター好き。


「変なこと言うなよ。見ろ、すっかり怯えてるぞ」

「あー、ヒナだけじゃなく凜々華ちゃんもそういうの苦手系か。ごめん、ごめん」

 ふたりはぶるぶると身体を震わし、辛うじて首を左右に振った。


 対して、我がクラスメイトは完全なローテンション。行きのどこか気まずい雰囲気はどこへやら。身体を近づけ、軽く抱き合っている。仲いいな、こいつら。


 幼馴染様は怖い話系はまるでダメ。いつもは強気な瞳もすっかり潤みっぱなし。普段の態度から考えるとなんとも可愛らしいところがあるものだ。そういえば、林間学校の夜とかビビり倒してたっけ。

 そして、学園のアイドル様も同様だとは……いや、何となく違和感はない。あまりにも純真だから、こういう系もつい間に受けてしまうのかもしれない。赤くなることが多い顔色も今やすっかり青白い。


「それじゃ御笠ヶ原7不思議とかも話さない方がいいわね」

「なんだよ、それ。初耳だな」

「ま、入学したばかりだし当然でしょ。例えばね、音楽室のピアノがよな——」

「やめて、紗英ねえ!」

「わーわー、私は何も聞こえませーん!」


 あまりにも賑やかすぎだ。時折脇を抜けていく生徒に奇怪な目を向けられるほどに。たぶん、みんな星見会の参加者だろう。これから交流があるかもなのに、先が思いやられる。


 とりあえず、ふたりが落ち着くのを待って校舎の中へと入った。普段は使わない職員玄関が解放され、そこから屋上を目指していく。

 電気がついているのはその道中のみ。なので、廊下の先の方などは闇に包まれており——


「ねえ、今何か動かなかった?」

「気のせいだろ、そういうのやめろって」

「……やだもうさえねえきらい」

「わたしもわくいくんのおねえさんきらい」

 連中の口調はすっかり子供じみていた。


「なんか幼児退行してるんだけど——そしてアンタは何ショック受けてるんだよ」

「だって、こんなかわいい子たちから嫌われるとか……ふと唯奈のことも過って……」

「アホだな。完全に自業自得だろう」

 そうだそうだ、と幼稚園児系クラスメイトが勢いよく味方してくれた。


 そんな風に、おっかなびっくりに進んでいく。もはや、ある種の肝試し的ムーブと化していた。

 姉貴があまりにも脅かすものだから、最終的に俺の学生服の裾はすっかりふたりの寄る辺となってしまった。明日、皺になっていないことを強く祈る。

 

 階段を登りきると、屋上に繋がる扉の前にたくさんの靴が並んでいた。どうやら、この先は土足厳禁と言うことらしい。開け放たれた扉の奥に、ブルーシートが敷かれているのが見える。

 靴を脱いで中へと上がり込む。ひんやりとした感触が足裏に伝わる。

 初めてやってきたが、意外と広いなというのがまず第一印象。靴の数から予想はついたが、意外と参加者は多そうだ。女子の方がかなり多い。


「お姉ちゃん、ちょっと挨拶行ってくるから」

「あいよ」

「じゃあね、ふたりとも。それと、ごめんね?」

「絶対許さないから」

「左に同じです」


 あーあ、取り返しのつかないことになってるし。姉貴はすっかり傷心した様子だし。まあ半分冗談ではあると思うから、そのうち機嫌も治るだろう。


 とりあえず、俺たちも当てもなく移動していく。動き辛いというほどではない。暗さもあって、誰もこちらを気にしていないようだった。というよりも、意識は完全にこの後のイベントに向いているらしい。


「意外と人多いねー」

「そうだな。まー、物珍しいんじゃないのか。――うちの中学って、天文部あったっけ?」

 振り向いて、幼馴染に尋ねる。

「ないわよ。ついこないだ卒業したばっかりなのに、覚えてないの?」


 口調だけでなく、目を細めてありありと失望を見せつけられた。我が幼馴染は今日も平常運転。


 とりあえず、ははっ、と笑って誤魔化す。より深く呆れられ、ため息まで聞こえてきたけどたぶん気のせいだろう。

 だってしょうがない。陽菜希が——この場にいるほとんどが中学生だったのは、ほんのひと月前までのこと。でも俺にとっては10年前というのが余計にくっつく。


 テキトーに歩いているうちに、やや人の少ない手ごろな場所が見つかった。3人で、とりあえずそこに陣取ることに。


「でも、中学のとき何部があったかなんて、私も全部は覚えてないなぁ」

「凛々華ちゃん、いいのよ。無理にフォローしなくて。こいつは輪をかけてそういうのに興味ないの」

「まあ帰宅部だったしな」


 家に帰ってゲームやってる方が楽しい。そういう類いの人間なのだ、俺は。まあ、最近は逆にそういうのとは距離を置いているけれど。


「あ、そうだったんだ。陽菜希は? 何か部活やってたの?」

「うん、陸上。短距離をね」

「えー全然見えない!」

「昔から足早かったもんな、お前。さすがだちょ——」


 殺気を感じて慌てて言葉をしまい込んだ。ちょっと昔を懐かしみ過ぎてしまった。危ない、危ない。幼馴染からゆっくりと視線を外す。物言わぬ笑顔を向けてくるのはやめていただきたい。


 とにかく陽菜希は、鬼ごっこをしてみれば向かうところ敵なし。小学校時代はずっとリレーのアンカーと、走りにはすごく定評がある。

 そのうちに、また鳥とひっかけて誰かが呼び出した……俺ではない。ちなみに、そういったことをのたまう奴を地獄の果てまで追うのも得意だった。何かちょっと足が痛くなってきたような。古傷が疼く的なアレではない、たぶん。


「ね、涌井くん。今なんて?」

「それはもういいからっ! で、凜々華ちゃんは?」

「あ、はい」剣幕に押されながら畏まったように答える。「えっと、合唱部だよ」

「へー、藍星、声綺麗だから歌も上手そうだよな」


 水飲み場で初めて声を掛けられたときのことを思い出す。

 鈴の音を鳴らしたような透明感のある高い声。今話しているときよりもちょっと高かったのは、初対面だったからか。


 実際のところ、声の綺麗さと歌の上手さは比例しないんだろうけど。だから、完全にイメージの話。ただまあ、歌っている姿はとても画になりそうだ。どんな歌でも似合いそう。


「なっ……ええと、その、ありがとう、ございますっ!」


 藍星は全くこちらを見ずに、絞り出すようにして言った。あまりにも真横を向き過ぎて、鼻の形の良さがよくわかるほど。

 その顔は今まで見た中で一番赤かった。ぱっと思いつくのは熟れたトマト。いや、ゆでだこ? 見ていると、今にも湯気が立ち上りそうな勢いがある。


「アンタねえっ!」

「なんでお前が怒ってるんだよ」

「そういうことどうしてさらっと言うわけ? 聞いてるこっちの方が恥ずかしいわ、全く! ってか、そんなキャラだった? なにやっぱりキャラ変、高校デビュー?」


 陽菜希マシンガンは今日も絶好調だった。むしろ、ここまで発揮する機会が少なかったから、勢いがものすごい。


 思ったことを素直に口にしただけなのに。何なら純度100パーセントの誉め言葉だ。悪いことではないと思うんだけど。


 確かに、藍星の性格を考えればもっとオブラートに包むべきだったか。今もなお、彼女は恥ずかしがったままだ。今は両手で顔を覆っている最中。ご自慢の髪がすっかり乱れている。


「あの、なんかすみません」

「本当ですよっ!」

「ごめんね、あたしの幼馴染がアホで」

「うぅ、ひなの~」


 ポンポンと背中を擦る陽菜希に、藍星はガバっと抱き着いた。何なんだろうな、この光景。待ち合わせ場所からここまでですっかりふたりは意気投合しているじゃないか。元々ウマが合いそうではあったけど。


 結局俺は開幕宣言が行われるまでずっと蚊帳の外だった。できることはひとり寂しく空を見上げるだけ。

 雲は少なく、風はほとんどない。まさに今日は絶好の観測日和——




        ◆




 ふたりからちょっと離れたところまできてフェンスにもたれる。周囲は盛大ににぎわっていた。驚きと感動の入り混じった歓声があちこちから聞こえてくる。


 思えば、俺が星を見るときは基本独りだった。初めのころは親父や母さんについてもらっていたけど、中学に上がるころにはあちこち自転車を気ままに飛ばしていた。天体望遠鏡を装備して。


 だから、ちょっとこの人の多さにてられたのかもしれない。でも悪い気分じゃない。こうして微かな夜風に当たっていると気持ちがいい。


「もしかして、キミが涌井の弟さんかしら?」


 そんな風に夜空ではなく地上の様子に思い耽っていると、突然誰かに声を掛けられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る