第一章1,2,3【2つの魂、1つの夢】
元々あった1話2話3話を一つにしました
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夢を見ていた。
先日までは呼吸をする度、痛みが電流のように走り続けて、自分が起きているのか眠っているのかが全く持ってはっきりしなかったが、ここ数日は身体全体が穏やかな空気に包まれている。
夢を見ていた。
そこは知らない場所だった。そこで自分が知らない人として過ごした夢だ。
その人の名前は、
そんな人━━勇翔は、幼いころから、両親が読んでくれた英雄の物語が大好きで、いつかは皆を助ける勇者になりたいと考えていた。
子供らしい夢だと今となっては笑い飛ばされるかもしれないが、彼の活発さ、明るさ、優しさは、常に家族や友達に勇気を与えていた。
勇翔は皆にとっての英雄だった。だが、英雄は常に神に苦難を与えられるものだ。
7歳の時、彼は家族を失った。原因は対向車の運転手が居眠り運転をしたことによる衝突事故だ。彼は7歳にして自分を愛してくれていた両親、面倒見の良かった姉を失った。
勇翔は親戚に引き取られたが、それもまた神が与えた苦難であった。引き取った親戚は彼を厄介者扱いし、時には暴力を振るうことさえあった。10歳の時には、密かに世話をしていた野良猫を殺処分されたこともあった。
それでも勇翔は泣かなかった。英雄は泣いてはいけない。両親が読んでくれた物語で、英雄はどんなことでも乗り越えてみせていた。彼は英雄になりたいのだ。泣くわけにはいかないと勇翔は強く決心した。だがその結果、勇翔は自らの感情を押し殺す事が当たり前となり、どんな苦難に直面しても泣かなかった勇翔はその代償として、元来の活発さ、明るさを失っていったのだった。
15歳になった勇翔は幼いころとは変わり、内向的な性格となっていた。人との関わりを避けたいわけではないが、感情を上手く出せない。そんな人間となってしまっていた勇翔は、学校生活では友達を作れずにいた。それでも勇翔にも毎日の楽しみはあった。それは本を読む事と、公園で猫と過ごす事だ。
毎日、下校時に通りの横にある公園で猫と遊ぶのが勇翔の日課となっていた。
とある雨の日、遊具の下を見ると猫を見つけた。美しい白い毛に、綺麗な緑色の瞳をした猫。一見すると飼い猫のようだが、鈴もつけていないし、雨の日にこんな所にいるのは不自然だ。
試しに持ち上げてみるが、抵抗を全くしない。
「お前、野良猫か?」
呼びかけに猫は自分の眼を見つめながら「にゃー」と鳴いた。まるで自分の問いかけに答えたようだと思わず笑う。
「そっか、帰る場所がないんだな。俺と同じだな。まあ、俺は帰りたくないだけなんだけどな」
人懐っこいが、恐らく野良猫なのだろう。何故かは分からないがそう思った。もしも野良猫なら、これからもこの公園で会えるかもしれない。そうなると名前が必要だ。この猫が覚えるかどうかは分からないが、自分の中で覚えやすくするために名前は必要なのだ。
「というわけで、お前に名前を付けてやるよ」
動物の名前を付ける時は、やっぱり見た目の特徴から名前を付けた方が分かりやすいだろうか。もしくは覚えやすいようにするなら、何かしら自分自身に縁があるものが良いだろうか。例えば、以前世話をした野良猫には、自分が好きだった勇者の名前を付けたのだが、今考えると恥ずかしいなと感じ思わず鼻を擦る。
最終的な別れ方は本当に悲しく、残酷だった。それでもあの猫と過ごした事という事実は、今でも良い思い出である。
この猫を見た時に自分が真っ先に思ったのは綺麗な緑色の瞳だった。綺麗な白い毛から『シロ』と名付けてもいいのかもしれないが、それでは余りにも平凡だ。
「じゃあ、お前の名前はヒスイだ。その綺麗な緑色の瞳が宝石の
そう呼ぶと嬉しそうに鳴くヒスイ。どうやら気に入ってくれたようだ。
元気に遊具の下を走り回るヒスイだったが、水を浴びたい気分だったのか、急に公園の外に走り出してしまった。猫は濡れるのは隙では無いと思っていたのだが。
「おいおい、雨が降ってるのに急に外に出ると危ないぞ」
通りに留まって横になるヒスイだが、向こうから車が来ている。恐らくあの車は雨のせいで猫であるヒスイの事は見えていないだろう。ヒスイも呑気にしており、このままでは轢かれてしまうのは明らかだ。
「まじかよ!くそっ、間に合え!」
全力疾走でなんとか間に合うかどうかの距離だが、一度幼い時に野良猫を見殺しにしてしまった手前、助けないという選択肢は存在しない。そんな選択肢は無いが、このままでは確実に間に合わないのは事実だと察した。少なくともヒスイを抱えてここに戻る事や、通りの向こう側まで車が来る前に走り抜ける事は不可能だ。
では諦めるのか?
一瞬生じた雑念を振り払い走り続ける。絶対に諦めない。二度と自分は目の前で失われようとしている命を見捨てないと決めたのだ。
走り続けた勇翔はヒスイに向かって飛び込み抱きかかえる。そして車に背を向ける事で、衝突の衝撃から少しでもこの小さな猫を守ろうとする。
自分を見た車は急ブレーキをするためそこまでの衝撃は来ない。自分の命は分からないが、きっとこれでヒスイを守ることはできるだろう。少なくともこの小さな猫にとっては、自分は英雄になれたのだろうか。家族を失い、親戚からも否定され、人付き合いも諦めた自分が、結局誰の英雄にもなれなかった自分が、最後に小さな猫の英雄になる。
いい物語の締めくくりではないか。
背中に小さな衝撃があった瞬間。声が聞こえた気がした。
「目を覚まして」
* * * * *
暗闇の中で、声が聞こえた気がした。
「目を覚まして」
再び声が聞こえる。
聞いたことのないはずなのに、どこか安らぎを感じる声。まるで自分がどこまで行こうと、自分を掴んで離さないような強い意志も同時に感じる安らかな声だ。
その声に導かれるがまま、暗闇の中を進んで行く。苦痛によって暗闇の底へと引っ張られ続けていた魂は、今は安らぎに包まれていて自由に動くことができる。
上へと進んで行き、暗闇が、闇が晴れていく。
「目を覚まして」
また声が聞こえる。今度は知っている声だ。自分が生まれてからずっと聞き続けてきた声。自分がどんなに苦しい時でさえも、常に聞こえていた優しい声だ。
その声のする方へと魂だけとなった自分は進んで行く。暗闇の先に光が見えた。声もあの先から聞こえてくる。声は近づくほど大きくなっていって、光も大きくなっていく。もう暗闇は見えない。
「お願い、目を覚まして、シュウ!」
自分の名前が呼ばれると同時に、光があふれて━━━。
* * * * *
「……ここは」
シュウは目を覚まして、体を起こし、最初に周りを見渡した。
いつも通りの自分の部屋に、いつもの窓からの景色。何も変わった事は無い。にもかかわらず心が、魂が違和感を伝えてくる。前までは違和感も何もなかったいつもの光景に、シュウは強い違和感を持つ。
「そうだ、僕は病気で……」
自分の記憶を遡って状況を把握する。病気を患ったことで、自分は数日は苦しんでいたはずだ。苦しんでいた記憶は嫌なほどにはっきりとしている。自分の身体も満足に動かすことができずにいた嫌な記憶だ。
「それじゃあ、あの夢は?」
病気にかかっていた間は、苦しんでいた記憶しか残っていないシュウだったが、1つだけ覚えていることがあった。
それは目を覚ます前まで見ていた夢である。
自分自身が向井勇翔になり、知らない場所で短い人生を過ごした夢。とても長い時間、そんな夢を見ていた気がする
「あれは、本当に夢?」
不思議に思うのも当然だった。シュウは今まで夢を見たことはあったが、今回ほどリアルな夢は見たことがなかった。夢の中で向井勇翔として体験した喜び、悲しみ、痛み、雨の冷たさなど、全てを明確に思い出すことができる。
これではまるで夢と言うよりかも━━、
「記憶?」
そうだ、これは記憶なのだ。自分━━シュウ・ヴァイスが、向井勇翔として過ごした記憶。彼が記憶している限り、小さい頃から、あの雨の日に車に轢かれるまでの彼の人生。その人生を体験した事が、はっきりと自分の魂に根づいているのを感じる。
「つまり、これは……そうだ異世界転生ってやつなの……か?」
勇翔の記憶によると、彼の世界では異世界転生という作品が人気を博しており、勇翔もそれについての知識があるようだった。
だが、これが勇翔の記憶通りの異世界転生だとすると、ある問題が生じる。
「仮に、これが異世界転生だとして、俺は…いや、僕はどっち?」
勇翔の記憶を遡っていると、自分が何者なのか分からなくなってくる。
自分は向井勇翔が転生した姿であり、今記憶が戻ったのか。それとも、何らかの形で彼の記憶を持ったシュウ・ヴァイスなのか。自分の中に2つの人格を魂の中にを感じる。
記憶によって人格が構成されると言うが、この場合の自分の人格はどちらなのか。などと考えていると、不意に扉が開いた音が聞こえた。
「あ……」
扉の方を向いてみると、母親のリサが自分を見ながら固まっている。恐らくは、身体を拭く為に持ってきたのであろうタオルと水の入った桶を落としてしまい、足下を濡らしてしまっている。それでも彼女はまったく気にしていないようだった。
「おはよう、お母さん」
「━━━━━━」
挨拶に全く反応を示さないリサを不思議に思い、ベットから降り、リサの元に歩いていくシュウ。そんなシュウを、リサは未だに信じられないかのように目を見開き、口をパクパクと動かしている。
「お母さん、どうしたの?」
「━━━っ、シュウ、身体は、もう大丈夫なの?」
「うん、僕はもう元気だよ。だから大丈夫。心配かけてごめんね」
「シュウ!!!」
「うわっ!」
不意にリサに抱きつかれ、驚くシュウだが、そんなのはお構いなしにリサは力強くシュウを抱きしめ続ける。
「貴方!!!シュウが!!!シュウが!!!」
「どうしたリサ!!!まさか、シュウの容態がまた悪化したのか!!!」
シュウを抱きしめながらリサが大きな声で叫ぶと、大きな足音を鳴らしながら父親のヴァンが部屋に飛び込んでくる。ヴァンも部屋に入ってくると、リサの時と同じように目を見開いて、一瞬時が止まったかのように動きを止める。
「おはよう、お父さん」
「シュウ、元気になったのか!」
ヴァンもリサの反対側からシュウに抱きついてくる。両親に強く抱きしめられ、少し苦しいと感じながらも微笑んでいたシュウだったが、不意に眼から涙がこぼれた。
「……あれ?」
「シュウ、大丈夫?」
「シュウ、まだどこか痛いのか?」
なぜ泣いてしまったのかは彼自身も分からず戸惑うシュウだったが、すぐに理解した。泣いていたのは彼だが、彼ではない。シュウの中にいる勇翔の魂だ。これまで家族を失った時以来、一度も泣かずに生きてきた勇翔の魂に呼応したシュウの身体が泣いたのだ。
そんな風に泣く勇翔の魂をシュウは感じていた。英雄であり続けることを枷に己の心を縛っていた勇翔。そんな彼が、両親の愛情に触れて泣いていたのだった。この事からシュウと勇翔の魂は同時に理解をする。彼らはシュウであり、勇翔であるのだと。勇翔がシュウの両親に反応し、泣いているのがその証拠だ。
「お父さん、お母さん、僕、ここにいてもいいんだよね?」
「当たり前だ!なんたって、お前は俺と母さんの息子なんだからな!」
「ふふっ、そうね。シュウは私たちの自慢の息子よ」
「2人とも勝手にいなくなったりしない?」
「ああ、父さんが2人の事をいつまでも守ってやるさ」
「心配しないで。母さんもね、前まではつよーい冒険者だったのよ」
先程まで考えていた心配などもう必要なかった。確かに自分にはこことは異なる場所で、異なる人生を送った記憶、魂がある。
だが自分はシュウであり勇翔でもある。名前などは関係が無い。ここでは自分は、両親が愛してくれるシュウ・ヴァイスだ。だからといって、勇翔の事は蔑ろにしない。自分達は一緒にこの世界を生きていく。そして自分と彼の夢をいつか叶えてみせる。
「ありがとう、お父さん、お母さん。あのね、僕、夢があるんだ」
「ほう、どんな夢だ?」
「ふふっ、シュウの夢を聞かせて?」
微笑みながら尋ねてくる両親。今こそが新しい人生のスタート地点なのだ。シュウだけではなく、勇翔と一緒に歩み始めるシュウ・ヴァイスの人生の第一歩だ。
「僕ね、いや、僕達は」
静かに、力強く言葉を紡いでいく。両親は静かに、穏やかにシュウの次の言葉を待っている。そしてシュウは告げる。
「━━━英雄になりたい」
自分の夢を、自分の中に生きる勇翔の夢を。
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