第十九話 蟲
アスファルトの上に、思い切り身体が叩きつけられる。
「雪穂さん!!!!!!」
夜空の叫ぶ声が聞こえる。それを最後に、八坂雪穂の意識は一度、途切れた。
「……夜空は雪穂の治療にあたってくれ、こいつの相手は俺がする!」
「…わかった!」
あの距離から落下したのでは、おそらく骨が何本か折れているだろう。治療用の魔道具を使えば、何とか意識を取り戻すところまではいけるかもしれない。
だが、少なくとも今から復帰してまた戦うというのは不可能だ。
そして、伊織は目の前に映る"悪魔"の姿を見る。
一見人型に見えるが、目は虫のような複眼、頭からは触角を生やし、口には鋭い牙。前脚と思われるパーツの先は、蟷螂を思わせる鋭い鎌のようになっていた。そして、背中からは羽虫のような3対の羽根が、長く伸びていた。
悪魔は通常人の姿をしていると聞いていたはずだが、あれではまるで人というよりは"怪人"だ。
「気持ち悪い姿してんな、お前」
「お前の方こそ、男なのに何で女の恰好なんてしているんだい?僕から見たら君の方が気持ちが悪いよ」
「悪いがその手の悪口は言われ慣れてるんでね。だが…流石に羽虫野郎より気持ち悪い扱いは、心外だなぁ!」
伊織が先に仕掛ける。先の曲がった短剣状のそれを、悪魔に向けて突き刺そうとする。だが……
「(刃が…通らねえ……!)」
目標の身体が想定よりもだいぶ固い。何か殻のようなもので覆われているのだろうか。まるで甲殻を無理やりつついているような、異様な感触が刃から伝わってきた。
「この姿の気に入っているところでね、生半可な武器じゃ傷一つつかないんだよ。いいよね。敵を一方的に嬲れるっていうのは」
「良い趣味してんな」
「そりゃどうも」
「褒めて……ねえよ!!!」
だが、それが甲殻だとわかっているならば伊織にとって話は早かった。それなら、確実にそれで覆われていない場所が隙になる。それを狙って突く。
「……そこだ!!」
「残念」
だが、そう簡単に通させてはくれなかった。筋肉に力を入れたのか、隙間が閉じてしまったのだ。
「(考えろ……どうすればあいつに攻撃が通る……隙間を狙うのは無しだ。閉じられる。なら相手の視界外から……いや無理だ。さっきの動きを見るにこいつ相当視界が広い。それに視界の外をカバーする手段を持ってないとも限らねえ。)」
攻撃の全く通らない相手を前に、伊織はなんとか思考を巡らせる。
「僕も黙って突っ立ってるわけじゃないよ!?わかったらとっとと仕掛けてこいよクソガキィ!!!!」
くぐもってはいるが甲高い、不愉快な音声。それと共に、男がこちらに向けて前脚と思われる部位を振り上げてきた。
「図体だけで動きが単調なんだよ!そんなもんすぐに避けられる!!」
「それはどうかな!?」
前脚が何度も振り下ろされる。目で追うのが精一杯なほどの速度で襲い来るそれに、伊織は防戦一方になってしまう。
「こいつ図体デカい癖にスピードまであるとか反則だろ……!」
「すぐに避けられるんじゃなかったか?おらおら避けてみろよ?僕はお前みたいないきがってくるクソガキが一番嫌いなんだよ!!」
遂に何度か前脚による襲撃が、頬や腕を掠め始める。対応が追い付かなくなってきているのだ。
「オラオラどうした!とっとと仕掛けてこいよ!!逃げる鼠捕まえるだけじゃ面白くねぇぞぉオイ!!!!!」
「(クッソうるせぇ……!!なんだよこの声……凄まじくうるせえ……!!)」
男の声もまた、伊織にとって厄介だった。何せ、意図的に不快感を生じさせるようなその音階は、集中力と気力を削いでくる。少しでも耳を傾けていると、それだけで思うように身体が動かなくなっていくような気がしてしまうのだ。
そして、伊織は疲労なのか、あるいは石にでもつまずいてしまったのか、ついにその場に倒れ込んでしまう。
男によってつけられた傷痕から、夥しいほどの血が流れていることに、彼自身もやっと気づいた。いや、気づいてしまったというべきか。
「粋がっている割に所詮は雑魚。うん、少しは楽しめると思ったんだけどね。所詮は人間。やっぱり弱いか」
息を切らしながらも、伊織は立ち上がる。
「お前なんぞに……負けてたまるかよ……」
「空元気?うんうんそれもいいねぇ。だがそれは確実に寿命を縮めるよ。それにその身体、僕につけられた傷がたっぷりある。そのまま動こうとしても、君の身体は最早悪魔の器だ。諦めて死んだ方が賢いんじゃない?」
御堂が伊織を見る目が、嘲りや哀れみをこめたものへと変わっていく。
「……確かにそりゃそうかもな。それは正論だ。こんな身体じゃもう数秒後に悪魔憑きになっててもおかしくねぇ。いくら儀式具で身を守ってるとはいえ、生身の人間だ。お前よりはよっぽど脆い。だがな……」
「余裕かましてペラペラ喋ってるやつの隙くらい、突く余裕はあるんだよ!!!」
伊織はそれでも、そこに残っているわずかな隙を見逃さなかった。相手が勝ち誇っている時こそ、相手が最も油断する時だ。
この御堂という名の男は、身体能力こそ明らかに人間より上ではあるものの、すぐに慢心する傾向がある。
それこそが最大の隙だ。
そして…伊織はそれを見逃さなかった。何より、自分がまともに動けるのはこれが最後だろう。
「ぐっ…あああああああああ……!!」
決死の急所を狙った一撃に、御堂が身体をよじって悶え苦しむ。
「へへ……どうだ効いただろ……」
だが、その次の瞬間、伊織の身体は糸が千切れたかのように、その場に倒れた。意識を保つのも精一杯だった状態で、無理やり身体を動かし急所を狙ったのだ。
「(あーー……やっぱそれじゃ足りないか……夜空……あとはお前に任せる。…お前は……俺より強い……からな……)」
彼自身も、この一撃で御堂を倒せるとは思っていなかった。
だが、それ以上に彼は、諦めて死んだ方が賢いだろうという御堂の言葉が、それ以上に許せなかったのだ。
同時刻。夜空は、怪我を負った雪穂の治療の真っ最中だった。
「あれ……どうしてだろう……」
少しだけ違和感を覚える。そう、彼女の傷の治りがやけに早いことに気づいたのだ。骨まで折れているというのに、まるで映像の倍速再生でもしたかのようにそれが蘇っていく。
彼女の行う治療は、自然治癒の速度を高め戦える状態まで持っていくのが主。それに、雪穂は現在悪魔が憑いている状態。だが、それを抜きにしても明らかに早かった。
「………!」
だが、彼女をそのまままた戦わせていいものか。夜空は迷う。それに、伊織のことも心配だ。
あれこれと思考を巡らせている最中、雪穂の意識が戻ったのか、ゆっくりと目が開かれる。
開かれた目は、『黒色に染まっていた』。
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